私が11の時、母が再婚しました。
義父はSのうえ、初めから私の身体への興味を隠しませんでした。
小6の時、夜一人で寝ていたら全裸の母から一緒に来るように言われ、義父のところに連れて行かれました。
私の見ている前で義父は母を縛り、私にも裸になるよう命じました。
怖さで義父の言うとおり全裸になるり、義父の命令で縛られた母の胸を揉み乳首を吸わされました。
母の乳首が固くしこると、義父は洗濯バサミで挟むことを命じましたが、私が拒むと私も後ろ手に縛られました。
まだ毛も生えてなかった割れ目にも縄を食い込まされ、痛みと怖さと恥ずかしさで泣きだすと、母のショーツを口に入れられて上から縄で抑えられました。
泣いてる私の前で、母は乳首や小陰唇やクリトリスを洗濯バサミで挟まれたうえ、太い義父のチンポで犯されました。
義父は終わると、私の口から母のショーツを取り、母と義父の淫液まみれのチンポを口で清めるよう命じました。
私が拒否すると、母の乳房に裁縫用の針を刺し始めました。
母が悲鳴を上げると私のショーツが母の口に詰め込まれました。
口をふさがれながら子供のように涙と鼻水をだして泣いている母を見て私は義父のチンポを咥えました。
生臭くいやらしい匂いでぬるぬるして本当に気持ちが悪かったです。
チンポを舐め終わると、今度は母のあそこを舐めさせられました。
口をふさがれながら、顔を横に振って泣いている母が可愛そうで、母の割れ目から義父の精液を舐め取ってあげました。
それで満足したのか、義父は母と私の縄を解き、私と母は泣きながら抱き合いました。
それからは、義父はあからさまに私達母娘を弄ぶようになり、互いにレズの真似をさせたり浣腸をさせ合ったりして、母と私が互いを責めるのことに苦しむのを喜んでいました。
小学生の間に、母のオシッコを飲んだり経血を舐めたりもしています。
夏場は海水浴場の外れのほうで、二人とも水着ではなく白い下着のショーツで泳がされ、近くの人に見世物にされました。
中学1年の時、母は私だけ遠方に下宿させようとしましたが義父から拒否されました。
義父が新しい責めを私達にくわえる時はいつも母に、私の処女を奪うか新しい責めを受けるかを選択させました。
私の処女を守りたい一心で母は義父の要求を飲み続け、他人に貸し出しされるまでになりました。
母は自分を責めるのに使う縄や浣腸器などを入れたバックを持たされ、コートの下はショーツ1枚の姿で泣きながら私と抱き合った後、義父から連れて行かれました。
義父は約束だけは守り、母のいない時は私に手出ししませんでしたが、私は母の身を案じ部屋で泣いていました。
14歳の時、母と一緒に福岡県まで連れ出され、貸別荘のような所で10人位の男女の前で二人で裸にされました。
皆の前で1枚づつ脱がされ、キャミソール、ブラジャー、ショーツは競りに掛けられ売られました。
二人とも足を広げた姿で縛られ、あそこの毛を剃られ写真を撮られました。
その後は、全裸で縛られた私の前で、母に対して全員で拷問大会でした。
6時間後、口とあそことアナルから精液を流して気を失いかけました。
翌年は私も責められると聞かされ、皆の前で泣きました。
幸い、それから3カ月後に義父は交通事故で死にました。
母は葬儀が終わるとすぐに引っ越して、義父の知り合いとの連絡を立ちました。
私は幸運にも処女のまま義父から解放されましたが、母と心に深い傷を負いました。
義父から無理やり仕込まれた母娘のレズ行為は、義父の前でさせられるのは嫌でしかたありませんでしたが、
母と二人だけの生活になり、時々自然に互いの身体を慰めるようになりました。
温かい布団の中で、母の乳首を口に含み、吸ったり軽く噛んだりしながら、母の泉から熱い液が出てくるのを指でかき混ぜ、母のかわいい声が私の名前を呼ぶのを聞くのはとても素敵です。
母もお返しに私の割れ目を口で可愛がってくれます。