性的虐待体験
よく読まれている体験談
叔父に初めて犯されたのは中学3年生の時でした。
叔父は叔母がいなくなり、私と二人きりとなる日を狙っていたようです。
あの日のことを、あの悪夢を忘れることはできません。
気がついたときは、上半身はブラ1枚で、叔父の手が私の陰毛の周りを触っていました。
叔父の臭くて、激しい息づかいが私の唇をふさぎました。
私にのしかかった、叔父はキスをしながら右手で私の胸をまさぐり、左手の指はクリから膣へ・・・
私は恐怖で激しく抵抗しました。
やめて、やめて、やだよ、やだよ。
でも
私にのしかかかっていた叔父の力は強く、
「さわぐな、さわぐな、誰も来やしないよ、少しの間我慢しな。」
そのことばに絶望を感じた私は抵抗を少し弱め、叔父に全裸にされた。
叔父は、私に「初めてか?、処女か?」と聞きましたが、私はただ泣いているだけでした。
(当然処女でした)
叔父は、無抵抗の体を嘗め回しました。
胸、乳首、へそ、陰毛、クリ、太ももから足の指のさきまで。
時々、叔父の勃起したものが私の体にあたりました。
長い間叔父は、中学生の肌はやわらかくていいな、といいながら
1~2時間もの長い間嘗め回し続けました。
両足を立てるように叔父に言われました。
私は両足を閉じたままでいました。叔父私の間に入ってきました。
叔父に両足をひろげられ、M字型に・・・
叔父のちんちんが私の処女の部分にあたりました。
叔父は何回も挿入試みたとうですが、なかなか的が定まらないようでした。
私が最後の抵抗をしたせいかどうか。
叔父は自分をちんちんに自分の手を添え・・・
激痛が走りました。
痛い、痛いと泣いて叫んでいる、私のことなど気にせず、
いい、いい、あやこのオマンコは最高だ。いい気持ちだ。
痛いよ、痛いよ。もう少しだ我慢しな。
叔父の息がだんだん激しくなっていくのがわかりました。
すべてが終わったあと、叔父は「あやこごめんな」
といってくれたことを覚えています。
終わったあと、布団の中で寝ていると、
叔父が、再びのしかかってきました。
その夜2回叔父に犯されました。
中学を卒業するまでに、叔母のいないときを狙って(叔母と叔父は共働きでしたが、お互いの休みの日が違っていたので)
叔父に20回ほど関係を強いられました。
学校から帰ってくると、すぐに制服のまま叔父に犯されたこともありました。
高校生になっても叔父との関係は続きました。
あやこさんへ
私は(当時)13歳の春過ぎから秋頃に掛けて実の母親から私自信が望まない娼婦化粧を施された状態で実の母親公認の近親強姦をされていました。
だから貴女の気持ちが良く分ります。
私の場合は強姦妊娠を連続3回した上で二度と妊娠出来ない体に成りました。そしてその年の冬の初めからロリータ娼婦に落とされてまいました。
私は今年で35歳に成りますが貴女ならこれから沢山の男性達と出会い幸せな人生が訪れると私は心から祈っております。
美奈子さんへ。
助言ありがとうございます。
が、残念ながらあなたのお話の内容は半分くらいしか出来ません。
理解できなくてごめんなさい。
私は現在22歳でOLをしています。
叔父との関係は高校を卒業するまで続きました。
両親とも他界し、叔父夫婦しか頼るところがありませんでした。
叔母はほんとうにいい人で私の面倒を良く見てくれました。感謝しています。
それに比べ、叔父は弱み?につけこんで、私を犯し続けたのです。
運良く妊娠はしませんでしたが、今思い出しても・・・
そんな訳で、今は男性恐怖症です。
あやこさんへ
美奈子は現在も現役の娼婦をしています。
当時、私自身は13歳の冬から14歳の夏ごろにかけては近所の18組の御夫婦専属の強姦娼婦として女の地獄を受け続けていました。
18組の御夫婦の一部の中に実の娘の近親強姦の実行を防ぐ為に私の実の母親に相談をしたそうです。
私の実の母親は一つ返事で「美奈子の強姦提供は可能よ・・・絶対に避妊はしない条件なら何時でも・・・何回でも強姦して良いわ」とその奥様に言ったそうです。
1組の御夫婦の奥様からの相談日の次の日の下校中に御夫婦の乗用車の中に無理矢理引き摺り込まれ・・・奥様が運転を換わり御主人が私を後部座席で強姦しました。
この言葉は・・・「美奈子の強姦提供は可能よ・・・絶対に避妊はしない条件なら何時でも・・・何回でも強姦して良いわ」は当時、私が住んで居た実家の駐車場に強姦放置さらた時に奥様が私の耳元で囁いた言葉です。
更に、付け加えて貰うと・・・私が強姦放置をされた時点で偶然にも近所に住む2人の奥様が目撃し・・・私の無防備状態の両乳房と半開き状態の女性器を何度も見てこんな会話をしていました。
A子「(私に対して言った言葉です。)アンタ、良い身体してるじゃない。実の父親が強姦したくなっても当然ね、この際、私の旦那にも強姦提供させて貰うわ・・・楽しみだわ。」
B子「ねえ・・・A子さん、この顔を良く見てよ・・・完璧な娼婦化粧よ。この女(美奈子の事です。)自分で施したのかしら」
A子「うふふ・・・こんな13歳や14歳の小娘に完璧な娼婦化粧なんてまだ無理よ・・・それに、強姦されて口紅を舐め落されないのも変だし・・・」
B子「それもそうね・・・特にこの乳房が・・・(この会話の時にB子さんは私の両乳房を力任せに激しく揉み続けて更に言いました。)凄く硬くて・・・強姦されたとは思えないわ。」
A子「ねえ、B子さん。この際、2人でこの女(美奈子の事です。)の両乳房を激しく突いてみない」
B子「え・・・運が悪いと死んじゃうよ。」
A子「大丈夫・・・この女(美奈子の事です。)が失神するまで交代で背後から押え付けて・・・」
B子「解ったわ・・・」
この時、私は自分の両乳房を正面斜め上に突き出す形にされ握り拳で完全に失神するまで何度も交代しました。
交代回数は5回までは記憶していますがその後の記憶は解りません。
この件が元でその10日後には18組の御夫婦専属の強姦娼婦におとされました。
(18組の御夫婦の中に私の学校担任教師も参加していた事も付け加えておきますね。)
私も一時、男性恐怖症に成った経験が有りましたが今まで娼婦を続けてこれたのは私の過去の地獄の日々と同じ経験をした方達と知り合い辛い過去を語りあって来たからだと思います。
レズビアンの方達やホモの方達とバイセクシャル方達の沢山の知り合いに助けられて今、生かされています。
あやこさん、恋愛は無理に急ぐ事はしないで最初は何でも話せる事が出来る同性の方と沢山知り合ってから少し時間を掛けながら男性恐怖症を克服して行きましょう。
また、あやこさんにレス出来たら嬉しいです。
美奈子さんへ
同じような体験 私以上に悲惨な体験をされてるんですね。
いままで誰にも話したことはありませんでしたが、話すと少し楽になるような気がしてきました。
高校2年生の頃でした。
その日も、学校から帰ってくると同時に叔父が私の部屋に入ってきて、
「あやこ、そのままでいい、制服のままでいから、ベッドに寝てくれ。」といわれ、
叔父は制服のままの私をベッドに寝かせ、全身を触り始めました。
私がいやがり、体を丸くすると「あやこ、動くな、そのままでいろ」
叔父はさわりながら一枚一枚脱がしていきました。
全裸にされた私はいつものように両足をひろげられ、叔父のちんちんを受け入れていました。
湿ってもいない私の大切な部分にちんちんをいれて、動いている叔父は、私に
「あやこ、あやこのオマンコはあたたかくてよく締まるな。でも、あまりしめっっていないなあ」
叔父は乳首をしゃぶりながら「あやこ、乳首はどうだ感じるか?」
感じる訳などありませんでした。
その日は、叔父は私の上で30分くらい動いて終わりました。
その次の日もその次の日も同じように叔父に犯されました。
叔父と関係しているうち、叔父が毎回クリトリスをいじってくると
最初はほんとうにいやなだけでしたが、なんかへんな感覚になることがありました。
叔父は私と関係しているあいだ、「あやこ、感じるか。感じるだろう、あやこ」
ということが何回かありあました。
感じる訳などありませんでしたが、もしかすると、「感じる、感じるよ。いい気持ちだよ叔父さん」
っいったら、早くおわるんじゃないかと思い、
「感じるよ、変だよ、なんか変だよ、きもちいいよ」っていったら
そうか、そうか、あやこ、感じるか。
うん、感じるか、そうか。
その日は、叔父は早く私の中に放出して終わりました。
そうだ、その手があったのか。感じてる振りをすれば、早く終わるんだ。
次から叔父が襲ってきたときには、感じている振りをすることにしました。
案の定、叔父は早く果ててくれました。
でも、叔父は「あやこも俺のテクニックに感じるようになったんだ」
と勘違いしたようでした。
それから、叔父はますます私をおかす回数が多くなりました。
高校3年間で家と、ラブホで約150回ほどおかされました。
叔父に中出しされてるときどう思った?
愛撫されてオーガズムに達したことは当然あるんでしょ?
屈辱だった?
叔父に犯されてる人が多いことに驚いたり納得したり。
私の場合は中2のとき、お盆に帰省した叔父と盆踊りを
見に行ったときでした。その帰りに、叔父に誘われて
村はずれの鎮守様に行って、そこで犯されたんです。
大好きな叔父に抱きしめられてキスをされて、夢の中の
出来事でした。あそこに叔父の指が入ってきて、へんな
気持ちになって・・・・激痛が走って・・・・
叔父に内緒と言われて・・・・・
翌年のお盆には、再び置かされて、こんどは快感を
感じて・・・・・
あやこさんとさやかさんへ
1度だけですが私は(当時14歳)の春頃に強姦殺人手前まで追い詰められた事が有りました。
この強姦殺人を運良く回避出来たのは当時の学校の女担任教師の一言でした。
女担任教師のワインレッドの口紅で強調された形の良い唇から放たれた言葉は私にとって絶対に信じられない言葉でした。
今でも覚えている当時の会話を読んでください。
(この会話が元で当時の学校男性教師達と男子クラスメイト達からの本格的な強姦が始まりました。)
女教師「学校構内での強姦娼婦をさせて金儲けの道具にすれば良いじゃない」
実の母「貴女が美奈子を学校構内で男達に強姦の仲介人をしたら自分の身に危険が及ぶじゃない・・・本当に大丈夫?」
女教師「大丈夫よ・・・以前からこの女(美奈子の事です。)を強姦したい男性教師達を知っているから・・・」
(この時、私は実の母と別の3人の奥様達から両乳房と女性器を集中的に痛めつけられていました。)
この時の(両乳房と女性器)激痛は女だけしか解らない事ですね。
丁度、この時は金曜日の夜8時30分頃を過ぎてたと思います。
そして、翌週の月曜日の朝に実の母親から娼婦化粧を施された状態で強制的に登校をさせられました。
当時の実家から徒歩で約40分の距離でしたので私の顔を見た同性の成人女性の一部の方達からは批判的なお言葉を頂きました。
「やだ、あの子、周りの男達に対して挑発的な態度を取ってる・・・」
「制服姿で、あの化粧は・・・ちょっとね。」
「私、初めて見るわ・・・完璧な娼婦化粧を施した同性方を・・・まだ、10代よね?」
この日から私は中学校を卒業するまで制服の下は完全裸体姿でした。
この日、私の担任女教師は校舎校門の前で私の姿を見付けると直ぐに私の腕を掴んで無理矢理、保健室に行きました。
そのまま、私は保健室内で男性教師3人から女の地獄の洗礼を受けました。
私が受けた女の地獄を想像して頂ければ・・・(強姦された女の姿を・・・)
丁度、あやこさんが小学生の時に既に美奈子は近親強姦と強姦娼婦の地獄の中でした。
あやこさん、さやかさんへ
私も御二人に協力出来たら凄く嬉しいです。だから、私の過去を知りたいなら沢山聞いて下さいね。
私の過去(近親強姦と強姦娼婦経験)が御二人の今後の生きる力になれば凄く嬉しいです。
また、あやこさんとさやかさんにレス出来たら嬉しいです。
無名さんへ
多分あなたは男の方ですね。
女の気持ちわかるわけないですね。
無理やり、汚い叔父のちんちんを入れられて、
体なめまわされて、感じ訳なんかないですよ。
いやなだけです。目閉じながら「早く終わってくれないかな」
といつも思っていただけ・・・
両親が他界し、叔父夫婦の家に兄妹であづけられ、
あなたに妹がいて、その妹が無理やり叔父に犯され続けていたら、
あなたはどうしますか。
あやこさん、さやかさんへ
お身体の調子は如何ですか?
蒸し暑い日が暫く間、続くみたいですね。
私、もっとあやこさんとさやかさんのお話を聞きたいです。
宜しくお願いします。
無名さんへ(絶対???男の方ですね)
女性が一番嫌いな言葉は・・・止めた方が良いと思います。
新着投稿
動画投稿
体験談
官能小説
人気投稿