小学生の頃から同居していた父親の弟の叔父さんに悪戯をされていました。
いつから悪戯が始まったかは忘れましたが、記憶に残っているのは小学三年生の頃には家族の目を盗んでは私の下着の中に手を入れてまだ膨らみもない胸を触ってきたり、ショーツの中にも手を入れて性器を触ってきたり、叔父さんの性器を触らされていました。
両親はカフェを経営していて帰宅はいつも遅く、その間に叔父さんに悪戯をされていました。
私も両親に話せないでいて、叔父さんの行為を嫌がれば良かったのでしょうが、なぜか拒む事も無くてされるがままで居ました。
五年生になった頃には叔父さんに性器を舐められたり、膣の中に指を入れられたりもしていて、時には叔父さんの性器を口に入れられたりもしました。
今思えば叔父さんの性器はそれほど大きいとか太かったと言う印象はなくて、小学生の私でも固くなってる大人の性器を口の中に入れられても苦しくはなかったけど、奥に入れられるとむせたり、えずく感はあり、それが一番の苦痛でした。
叔父さんはいつ頃かは忘れましたが、ビデオカメラをセットしたり、片手にはデジタルカメラを持って撮影する様になりました。
五年生の後半ごろから胸が発育し始めて、盛り上った乳首の奥を触られるとヒリヒリした痛みを感じる様になり「痛いから触らないで」とお願いしてもやめてくれませんでした。
逆に痛がる私を見てニヤニヤと薄笑いを浮かべてカメラのレンズを私に向けてきては撮影て、私に性器を自ら開かせた叔父さんの唾液で濡れてる私の割れ目を弄りながら膣の中に指を入れ、私の中で濡れた指でクリトリスを擦る様に触ってきたり、時には叔父さんの固くなってる性器を刷り付けたりされました。
私はその頃にはセックスの事を知っていたので、私は叔父さんに処女を奪われるんだ、と思っていました。
六年生になると、胸の膨らみは更に成長して乳首の奥のシコリも無くなり始めて、乳房と呼ぶにはまだまだ小さいですが膨らみ始めて、私の性器も叔父さんに舐められたり、吸う様にされていた小陰唇は少しヒラヒラしていました。
クリトリスを吸ったりされると私の身体は大人に向けて成長してましたから、叔父さんの行為で膣の中からは分泌物が流れだし、それを見て叔父さんは悦び、またカメラのレンズを私に向けていました。
何かと理由を付けて学校から帰る時間を遅めにしていましたが、さすがに小学生の私には夜まで外に居られなくて夕暮れで薄暗くなる頃には自宅に向かって歩いていました。
そして玄関に入ると叔父さんが待ち構えていて慌ただしく私を叔父さんの部屋に引っ張って行き、背負っていたランドセルを邪険に剥ぎ取ると私をベット押し倒し、素早くスカートとショーツを脱がし、上の服は一枚ずつ脱がすのが面倒臭いのか一気に押し上げて、ソフトブラも捲り上げられました。
すぐに胸の膨らみを揉んだり、乳首に口を付けて舐めたり吸ったりしながら、私は性器にも手を伸ばし包皮に包まれたクリトリスを刺激してきました。
刺激されれば嫌でも身体は反応して膣の奥の方がじんじんし始め、そして叔父さんの指が膣の中に入りその液体で濡れた中を指で擦りあげ、クリトリスを包んでいた包皮を捲り、敏感になっている米粒くらいしかなかったクリトリスを濡れた指先で弄られると我満の限界で身体がヒクヒクし、自分の意思に反して吐息や声が出てしまい、叔父さんはそれを聞くとにやけた顔でカメラに納めていましたが、いつもの様に自分のズボンとトランクを脱ぐと叔父さんの性器はいつもの様に固くなって上を向いていました。
しゃがんで私の脚を左右に大きく広げると私の性器を見下ろして、叔父さんの性器を私の割れ目に擦り付ける様に上下に動かしているのを感じた次の瞬間に膣口が広がるの感じると、出たり入ったりを繰り返しているのが分かりました。
覆い被さる様に私に倒れ込んできた瞬間に痛みが走り膣口が今までに無いくらいに広がりました。
我慢できない程の痛みではありませんでしたが、更に叔父さんの身体と私の身体が密着するとお腹の奥が苦しくなり、痛みより違和感と言うか苦しい方が強かった。
叔父さんの腰がぶつかる度に私の身体は上に押し上げられ 、痛みとお腹の苦しさが身体に感じました。
首の辺りや胸の辺りを舐められながら私の身体を揺らす叔父さんの腰の動きはリズミカルに私の身体の中で動く固くなって叔父さんの性器を感じていました。
痛いし、苦しいし早く終わって欲しかった。
でも私の期待は外れ、叔父さんの性器は私の膣の中から抜いてもらえなかった。
散々、ビデオカメラやデジタルカメラで撮られたあとにやっと私の上で叔父さんの腰の動きが止まり、解放されました。