私はその時14歳、母は35歳でした。父は離婚していませんでした。
塾の帰り、母が車で迎えにきてくれました。しかし、一時停止無視した車に接触しました。それに腹立てたのか、チンピラ風の人が弁償しろと言ってきました。母は悪くなにのに。
とにかく警察呼ぼうと、母が言うと、チンピラの車からボス見たいな人が降りてきて、
「ここで話しするのもなんだから」と場所変えて話そうと言ってきました。母が抵抗するとボスは私を羽交い締めし人質にしました。
私はチンピラの車に乗せられ、母は、その後ついて来るよう指示されました。
妙なことしたら、私を殺すと・・。
車内にはもう一人いました。逃げないよう後部座席の真ん中に座らせられました。車内で縛られると、私の身体触ってきました。嫌がると平手打ちされました。パンティーを脱がされると、彼らはその臭い嗅いできました。
このままHされると思い、泣き出しました。
マンションの一室に母と共に連行されました。チンピラは母に殴る蹴るの暴行くわえました。私は拘束され身体押さえられているので「やめて」と叫ぶしかありませんでした。
ビデオセットし、母に対し、ストリップを強要しました。抵抗すれば私を犯すと・・。
母は、「娘だけは逃がして」といいながらも全裸になりました。
脱ぐの遅い!という理由で私もストリップ強要されました。
とにかく怖いので脱ぎました。
全裸になると、再度拘束され、ベランダに連れていかれ鍵かけられました。外からは私の身体見られたと思います。
その間、母はレイプされてました。
時々いやらしい声や男の罵声聞こえてたので、想像はつきました。
どのくらいたったのか、やっと部屋に入れてもらえました。
「兄弟できるぞ、よかったな」
その言葉は何故か今でも頭からはなれません。
母は放心状態で私が部屋にいることもわからない見たいでした。
私は、男たちの物を舐めるよう言われました。
抵抗すれば、母の命はないと思い、臭いの我慢しながら拘束されている不自由な身体で舐めました。
母のあそこも舐めろ!と言われたので舐めました。
そのときです。後ろから、ボスが私のあそこに入れてきました。痛みと、処女喪失のショックで号泣しました。
結局何回も犯され、私もいつのまにか記憶なくしてました。
気づけば私は母と背中合わせに拘束されてました。
外も明るくなってました。
母が帰させてと言いましたが、1週間たったら帰すと言ってきました。
その間、私たちの生活は無惨そのものでした。
シャワーは浴びさてもらいましたが、2人でした。
しかもお互い泡立たせレズ見たいな感じで。その姿はビデオに録られました。
オトイレは1つのバケツでさせられました。
毎朝浣腸させられ、排泄も見られました。
食事は、1日1食(コンビニ弁当)でましたが、拘束されたまま犬のように食べさせられました。
1週間の間、シャワー以外で拘束は解いてもらえず、何人もの男にお尻までなぶりものにされました。
1週間後ようやく解放されました。
帰りに、母が私を強く抱きしめ「ごめん」といったのが忘れられません。