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2014/05/10 23:09:14 (OW/QVbZu)

「女子高生コンクリート詰め殺人事件」というAVを動画で見ました。
調べてみると、実際にあった事件を動画にしたものだという事が、分かりました。
平成に生きる日本人なら、絶対にできない、実に惨(むご)たら殺し方をした事件でした。




【事件の一部をコピー・編集しました】


この事件は、加害者が全て少年(未成年)であったこと、犯罪内容が重大・悪質であったこと、犯行期間も長期におよび、少女が監禁されていることに気づいていた周囲の人間も被害者を救わなかったことなどの点で社会に大きな衝撃を与えた。


少年の自白に従って江東区の埋立地を掘り返したところ、ほどなく死体の入ったドラム缶が発見される。被害者の少女の死体はボストンバッグに詰められ、コンクリートを流しこまれて固められていた。
死体はすでに腐敗しており顔の見分けもつかなくなっていたが、ひどく痩せこけて皮下脂肪が半分近くにまで減っており、頭髪がほとんどなかった。これは長期間なぶられ続けたストレスにより抜け落ちたものであろうと思われた。膣には小瓶2本が押しこまれたままだったという。



被害者の少女は捜索願いの出ていた高校3年生のE子さんであった。4月からの就職先も決まっており、最後の学生生活を楽しんでいた矢先、彼女はいわれもない不幸に襲われたのである。


なお、主犯格の4人は、被害者の少女を監禁している間にも、表へ出ては強姦事件を繰りかえしていた。


⇒詳しくは 【閲覧注意】綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件の全貌 で、検索して下さい。
事件の通称は「女子高生コンクリート詰め殺人事件」です。





12月2日あたりから、彼らの行為は性的暴力から肉体的暴力に移行していく。つまり殴る蹴る、焼く、などの暴力になっていくのである

こんな状況をC の両親が気づかなかったはずはない。C の父親は息子たちが外出した際、妻に「二階がどうなってるか心配だから、見てきてくれ」と頼まれ、これを断っている。また母親は「まったくわからなかった」というのはどう客観的に見ても有り得ない話だ。呻き声、悲鳴、少年たちの怒声など、階下に響かなかったわけがない。実際のところはC の暴力がこわいのと、世間体のために押し黙っていたに過ぎないだろう。



【編集者の注釈】


事件が発生した当時、日本では、息子の両親に対する家庭内暴力に苦しんでいる家庭が少なくありませんでした。

原因は、息子が幼き頃に溺愛し「暴力をふるってはいけない」ということを、キチンと躾けていなかった事にあります。息子が幼きころには殴られても痛くないので、ほって置いたのす。多くの親は、幼き子供の親に対する暴力を、子供が甘えているだけと勘違えしていました。ところが子供が中学生になると、もう両親ではコントロールすることが出来なくなってしまったのです。

被害者の女子高生が監禁されていた「C」の両親も、そうだったのです。 このため、もし被害者を助けたら自分達親が、息子や盛んに出入りしてる不良達から半殺しにされてしまう事が明らかであり、怖くて助けだすことが出来なかったのです。

併せて世間体が警察への通報を、ためらわせた模様です。






仲間の暴走族連中が集まった際など、ナンパしにいこう、と言い出した者に、AやCは
「ナンパなんかすることねえよ。いま、ひとり監禁してるんだ。よかったら来いよ」
と公言していたらしい。
過度の輪姦により被害者は気を失うこともあったが、少年たちは彼女にバケツの冷水を浴びせ、また犯していたというから異常というより他ない。

そして、最終的には100人近くがこのことを知り、裁判記録に出ているだけで10人近くが強姦等に参加したことになる。

「なんでもするから家に帰して」と哀願する彼女に、彼らは自慰をさせたり、全裸にして「きちがいの真似をしろ」と強制。直径3センチほどもある鉄棒を性器に挿入し何度も出し入れしたあげく、その膣を灰皿代わりに使用した。

12月初め、彼らはE子さんに自宅へ電話させ、「大丈夫だから探さないで」と言うよう強要する。
同月上旬、E子さんが隙を見て警察に通報しようとしたのを発見し、少年たちは激怒した。彼女を殴る蹴るし、ライターで足をあぶって火傷させたり、無理にシンナーを吸引させたりして暴行した。

このあたりから、彼女に加えられる暴力はタガがはずれたようになりはじめる。
12月12日、E子さんは部屋にいた監視役のFに「私はどうなるの? 家に帰れるの?」と問うている。しかしFはそれに対し、「自分はしたっぱだから、わからん」とそっぽを向いた。

これ以降、被害者が受けた暴行は数限りない。全裸でステレオの曲に合わせて踊らせ、全員でいっせいにシャウトの部分で腹を殴る。痛い、と口にするとまた殴られるので彼女が顔を歪めると、Cは「この顔が面白いんですよね」と笑った。

また、肛門に瓶を挿入したり、酒を一気飲みさせたり、雪のちらつく寒い夜に裸でベランダに追い出したり、煙草を一度に2本吸わせ、むせる様子を見て愉しんだりした。

火傷のあとにライターのオイルをかけて点火し、彼女が「熱い、熱い」と言って火を消そうとするのを面白がり、何度も繰りかえしたともいう。




E子さんは「もう殺して」と泣いて哀願した。




この頃からE子さんはろくに食事も与えられなくなった。たいてい1日に牛乳1本。たまに気が向くと食パンを1枚食べさせる程度で、連日の暴行と栄養不良により、E子さんはどんどん衰弱し、トイレに行くにも階段を這っておりる有様だった。が、そのうちそれもできなくなり、牛乳パックに排尿するようになった。

連日の殴打に、あるときE子さんが失禁。座布団が汚れたといってまた殴打された。BはE子さんの別人のように腫れあがった顔を(「頬が鼻の高さまで腫れあがり、目の位置が判別できないほど」だったという)見て、「なんだおまえ、でけえ顔になったな」と言って笑った。

翌日、「面白いから、Aにもこの顔を見せてやろう」とその場にいなかったAを呼び出すと、Aはその変わりように驚いたものの、「なぜか負けまいという気になって」自分も殴打。火傷あとに幾度もオイルをかけては焼いた。

また「おまえはそろそろ殺そうかな、いや、やっぱりやめた」などと彼女を一喜一憂させたり、答えられない質問をわざとぶつけて責めたりなどして、精神的にも追いつめている。この時点から、E子さんの表情から感情の波が消えつつある。肉体的にも精神的にも、もう限界を越えていた。





12月下旬、E子さんはもはや牛乳をわずかに飲みくだすのがやっとの状態になった。一日中寝ているだけで身動きもできないほど衰弱し、顔面は腫れあがり、火傷あとは膿みただれた。もちろん風呂にも入れていないしトイレにも行けないから、膿と垢と尿の悪臭で、彼女はもう完全に少年たちの性欲をそそる存在ではなくなった。

ここに至って彼女は完全に「邪魔」になる。そこにもう人間としての尊厳はない。ただの「モノ」であり、「汚物」であった。


12月下旬、E子さんはもはや牛乳をわずかに

飲みくだすのがやっとの状態になった。一日中寝ているだけで身動きもできないほど衰弱し、顔面は腫れあがり、火傷あとは膿みただれた。もちろん風呂にも入れていないしトイレにも行けないから、膿と垢と尿の悪臭で、彼女はもう完全に少年たちの性欲をそそる存在ではなくなった
ここに至って彼女は完全に「邪魔」になる。ただのモノであり汚物であった

1989年1月4日、Aは賭け麻雀に大負けして不機嫌だった。このまま家に帰ってもつまらないので、B、C、Dと合流することにした
「ひさしぶりに、監禁女をいじめてスカっとするか」
E子さんはC の部屋で、身動きもできずに仰向けに寝ていた。少年たちは、殴る蹴るしはじめた

Aは蝋燭を持ち出すと、彼女の顔面に蝋を垂らして顔一面を蝋で覆いつくし、両瞼に火のついたままの短くなった蝋燭を立てた。E子さんは最早ほとんど反応を示さず、されるがままであった

さらにAはE子さんが牛乳パックに排出した尿を無理に飲ませている。B、Cは彼女の顔面を回し蹴りし、E子さんが倒れると無理やり引き起こして、さらに蹴りつけた。E子さんは身を守ろうとする体力もなかったので、そのまま転倒して室内のステレオにぶつかり痙攣を起こした
Aはそれを見て「仮病だ」と激昂

「てめえ、俺の前で仮病使うのか」
そう怒鳴ると、いっそう激しく殴打した。E子さんが鼻血を出し、手足のただれた火傷から血膿がにじみ出たため、「汚い」と言って、自分たちの拳をビニール袋で覆ってからまた殴った

しまいにはその1・7キロもの鉄球を使って殴った。AはこのときになってもまだE子さんの体にオイルをかけて焼いている。が、彼女はわずかに手を動かして火を消すような仕草をしただけで、そのうちぐったりして動かなくなった
2時間にもわたる暴行の末、彼らは「飽きて」部屋を出、サウナに行っている





1989年1月5日、この女子高生は死亡した







主犯格の男たちは、当時の少年法に守られ大した刑罰も受けずに
結婚して子供を産み、のうのうと暮らしています。

重要なのは
① 酒場で事件のことを自慢している。その結果・・・

② 世間の風当たりが強くなると、犯人であることを隠蔽するため、偽装結婚等の手段を用いて改姓している。

③ 「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人であることを被害者に告げた上で、 監禁罪等の犯罪を再び犯していることです。




このことから、犯人達は、全く反省しておらず、また女性を監禁して嬲り殺す危険性が極めて高いことが分かります。







貴方の愛する女性や娘を、いかにしてこれらの殺人鬼から守るか?

それが、今後の課題です!







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2
2014/05/10 23:34:01    (OW/QVbZu)
犯人の少年達が、恵まれない環境に育ったと力説するバカがいる。
しかし、少年達の過去など、まったくどうでもいいことだ。
被害者に与えた苦痛の比ではない。
残虐な死刑にすべきだ!


3
2014/05/10 23:54:23    (OW/QVbZu)
A(主犯)
昭和45/04月生
父親:証券会社社員。母親:ピアノ講師。妹一人
当時から父は愛人宅にいて、家庭は崩壊していおり、夫婦仲に問題があった。
小学校の頃には既に問題行動があった。
話し上手で面白いという評判もある。
小5でパンチパーマ。
ヌンチャク・木刀を持ち小学校に「殴り込み」をしたことがある。
「悪いことはかっこいい」と思っていたが、6年生の時に出来た勉強好きの親友に影響され真面目になる。

卒業文集には中学入学と同時に周囲の人のすすめで、柔道部に入部。
体型は小柄(160cm)だったが、3年の時に都大会で2位になり、東海大付属高へ推薦入学。
高校の柔道部の先輩・顧問に体罰を受ける。その内容はAの父親が裁判所に訴えたほど酷く、殺虫剤にライターをかざしあぶるなど度を越したものだった。

外に出て手当たり次第に喧嘩を売るようになり、家でも物を壊し、母親に肋骨を折る重傷を負わせたこともある。
高校を中退、中学の頃から付き合っていた同級生(Dの姉)と同棲。
18になったら結婚しようと1年半、タイル工として真面目に働くが、自動車学校の合宿場で知り合った暴力団員と知り合い銀座の生花商でアルバイト。やめられる雰囲気でなく、現実逃避するためにシンナーを始める。
シンナーを吸っている時にしか楽しいと感じない生活。
暴走族の特攻隊長、暴力団との交際、使い走り
前科
在学中に体罰を受けたことを動機に東綾瀬中学に乱入、窓ガラスを割るなどして補導、保護観察処分に。

最終判決 懲役20年 (ただし仮出所したため20年、勤め上げていない)
猥褻誘拐.略取.監禁.強姦.殺人.死体遺棄.傷害.窃盗.

4
2014/05/11 23:36:28    (CI193KYw)

B(サブリーダー)
1971年5月生
主犯とは中学時代からの先輩・後輩の間柄。年上の主犯の体格を上回る身長約180cmの体格と眉毛まで剃り落とした細いつり目の凶悪な顔つきが特徴であり、まじめに学校生活を送っていた頃の面影は皆無である。

本事件での逮捕当時、出所したら少しでも(遺族に)償いたいと泣きながら言っていたが、これは彼の周囲の同情を買うための演技であり、実際は出所してもあまり償っておらず(しかも遺族に慰謝料を払ったのはとても愛娘を殺された遺族に対する慰謝料とは思えないくらいの少ない額であり慰謝料として払うはずのお金をなんと高級住宅やセルシオ(トヨタの高級車)の購入に使っていた)、セルシオを乗り回してドラ息子のような生活を送っていた。

また、かつての不良仲間も口を揃えて「あいつ、刑務所行っても、全然懲りてねえぞ。」と呆れ返っていた。後に知人を監禁、さらに暴行を加えた容疑でまたも逮捕される(この逮捕後に彼がコンクリ事件当時の少年B本人である事があきらかになった)。

コンピューター会社に勤めていた当時の勤務態度は非常に悪く、少年時代と素行の悪さは変わっていなかったため、彼をよく知っているヤクザからかなり怖がられていたようである。また、コンクリ事件を通報した(と思っていた)相手に逆恨みを抱いていた事から事件に対する反省のなさが窺える。

1999年8月、奈良少年刑務所を出所
中国人と結婚して、中国に行こうとするも離婚。
更正保護司と養子縁組。(実態のない養子縁組は違法:刑法157条公正証書原本不実記載となる)

2002年、コンピューター関係の会社に勤めるも退職。
暴力団事務所に出入りをし出す。
2004年6月、埼玉県八潮市で逮捕監禁致傷により逮捕。(供述時にかつての「少年B」本人である事が明らかとなる)



5
2014/05/11 23:57:15    (CI193KYw)

C (犯行現場の部屋の提供者)
1972年12月生

JR常磐線綾瀬駅から北へ15分ほど歩いた住宅街。玄関と二階ベランダが南欧風、3DKの建て売り住宅。約百平方メートルの敷地いっぱいに建っていて、両隣の家とは人がやっと入れるほどの狭さ。近くに小さな公園有り。事件の13年前、一家は同じ足立区内から引っ越してきた。

・父親=(当時48歳)…東京湾近く、隅田川沿いに近い町工場が密集した一角にある診療所にて事務長。入院設備は無いが七つの診療科目を備えた大きな診療所。
・母親=(当時47歳)…父親と同じ診療所にて看護婦主任を勤める。
・この両親が共産党員であったため、警察はマスコミを恐れてなかなか家に踏み込めなかった。

C少年は家庭内暴力が激しかった。
この事件が発覚した際、別件で既に栃木の少年院に送られていた。東京に呼び戻し逮捕。

・Cの兄=(当時17歳)…少年B(サブリーダー)と中学の同級生。
ほとんど一部始終を目撃し、時には食事を運んでいたにも関わらず事件発覚まで沈黙を守る。


Cの両親は2人とも共産党幹部。 警察が逮捕状を持っていった段階で、速攻で弁護士を用意し、 家宅捜索も弁護士立ち会いの元で行われた。
党は、事件後すぐの段階で湊の両親を除名し、 「共産党とは一切関係がありません」と発表。

そして、「監禁という認識がなかった」「少女は帰る気がなかった」
等のCの母親の自己弁護的記事を赤旗によって 、1989年5月20日~27日まで連載コラムでバックアップ。 Cの両親への援護記事文。

◆共産党・橋本敦議員(参議院)の発言
さまざまな少年事件は、社会全体の構造の歪みや、受験戦争などの教育の歪みといった背景の中で
おきてくるものです。・・・
被害者による報復主義には反対ですし、20歳未満の少年は、まだまだ未熟ですから、教育し、更生させていく必要が あるんです。(インタビューより)




6
2014/05/12 00:06:06    (p/PMq4fm)

D (監視役)
1971年12月生
Dは11月の強姦に加わり、最後の暴行では彼女を鉄球で、何度も殴るなどしている。

1996年11月=Dが仮出獄

少年院でいじめに合い、現在引きこもり症候群。
四人の少年達の中では一番痩せていて、ファミコンが好き。
・父親:幼少時(5歳)に離婚。その後まもなく交通事故で死亡。
Dの姉が、事件の主犯A同棲していた。

仮出獄後:横須賀市金沢区六浦東OO住宅に母ヤスと2人暮らし
 


7
2014/05/12 00:22:18    (p/PMq4fm)
考えられない。酷すぎる。
超法規的措置で少年法適用不可でしょう。
人間のやることじゃない。
どうして死刑にしないんだ。


8
2014/05/12 08:02:41    (p/PMq4fm)
A、B、Cからささいなことでリンチにあう。
現在は地元スナックで、この事件のことを面白おかしく語る無反省人間。

9
2014/05/12 14:21:13    (p/PMq4fm)

【外国の性的犯罪者の話】

6歳の少女に性的暴行を加えた罪で10年間服役していた男が、出所した日の夜、自身の娘(19歳)に性的暴行を加える事件が起きていたことが明らかになった。男は警察に対し、「10年も閉じ込められて、欲求を抑えることができなかった」と話したという。

逮捕されたのは50歳の男。8月31日、「まともな人間になります」と話して出所した男は、帰宅して数時間後、酒を飲むと自分の娘に性的暴行を加えた。

近所の住民の話では、男の妻は軽度の知的障害者で、子供は中度の知的障害者の娘と、中学1年生の息子の2人。男の入所後、何度も離婚を申し出て、ようやく成立させたという。しかし、収入がないため、家は男名義であったが、その家でそのまま生活を続けていたそうだ。

警察によれば、この日家族は男が酒と料理を持って帰って来たのを見ると、喜んで一緒に祝ったという。しかし、酒を飲んだ男は、夜、みなが寝静まると娘を襲い、気付いた妻や息子の制止を振り切って、暴行を加え続けた。娘の悲鳴を聞きつけた近所の住民が通報したということだ。

ある弁護士によれば、性犯罪者に対しては強制治療が行われているが、形式的なもので効果はほとんどないそうだ。また、現在は出所後5年間は、毎週管轄の派出所に近況を伝えに来るよう義務付けており、その際には地域の精神科医やカウンセラーによるチームが鑑定を行い、再犯の恐れがないと判断されるまでカウンセリングを続けるという。しかし今回の事件は、そうした指導が行われる前に再犯が起き、出所後のカウンセリングではカバーしきれない、現制度の不完全さが浮き彫りになった。


 ☆ ☆ ☆


注意して下さい!

性的犯罪者は、再犯の危険性が極めて高いのです!


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2014/05/27 20:25:10    (0wvCUF6J)
性犯罪者は犯罪を繰り返す。その具体例 ↓


出所後すぐ、女児ら9人に性的暴行 18件の罪に問われた無職男に無期懲役

(産経新聞 5月26日(月)20時24分配信)

 大阪市内で平成22~24年、小学生の女児4人を含む9人に性的暴行を繰り返したなどとして、強姦致傷や強盗強姦など18件の罪に問われた無職、尾木敬治被告(44)に対する裁判員裁判の判決公判が26日、大阪地裁で開かれた。斎藤正人裁判長は「被害者に与えた精神的、肉体的苦痛は甚大で、極めて卑劣で悪質な犯行」として求刑通り無期懲役を言い渡した。

 斎藤裁判長は判決理由で、尾木被告の最初の犯行が、女性に暴行するなどした前科の服役を終えてから約3週間後に起きていると指摘。「前科3犯があるにもかかわらず性犯罪を繰り返したことは強い非難に値し、再犯の懸念もある」とした。

 判決によると、尾木被告は24年2月、大阪市内で当時10歳の女児にナイフを突き付けて拉致した上、ホテルに監禁して性的暴行を加えるなどした。



 女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人達も、まったく反省しておらず、また、誰かをなぶり殺すかもしれないなぁ






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投稿者:横山 裕史
2014/06/06 12:46:05    (NIPbPhR9)

神作 譲(旧姓.小倉)(かみさくじょう)被告の母親(小倉悦子)の狡知さ 


詳しくは、「神作譲被告の母親の狡知さ」で、検索をかけて下さい。写真を見ることが出来ます。


神作譲( 帰化人で犯行時は小倉 )  親は、三郷在日部落の名主。
※神作譲の母親は最初の事件の直後
「わたしの息子はこの女のせいで人生を狂わされたんだ!」
と逆ギレし、被害者少女のお墓を破壊するという暴挙に出た為に、遺族はやむなくお墓を移す



平成16年7月28日、神作譲被告の事件後再び起こした監禁事件の初公判が行われた。
同日テレビ朝日の報道ステーションで、神作被告の母親のインタビューが放送された。
母親は形通りの謝罪をしたりするものの、なぜか心が伝わってこないのである。
夫との別居(不幸な家庭境遇)、「遺族の方が引越されたので連絡がとれず、、」といった弁明、どことなく責任転嫁や自分も被害者みたいな姿勢が見えた。
 
神作被告の母親とはどのような人物なのか。
 コンクリート事件当時、東京都A区の都営アパートに住んでいた母親は、高裁の判決が出る1ヶ月前の平成3年6月11日(登記簿上の日付)、約2,750万円の融資を受けて埼玉県Y市のマンションを保有した。
 今後損害賠償等の民事訴訟が起き、多額の補償をしなければならないかもしれない時期で、かつ高裁判決の前という時になぜマンションを保有したのか。
 


詳細は本人以外知る由もないが、判決の1ヶ月前といえば、判決文の土台もある程度出来上がり、よほど大きな問題でも起こさない限り、譲被告の情状面に不利に働くことはない時期。その点を見越してのマンション保有なのか?
 

高裁での審理時に、被害者のために161万円の積立をしてることが明らかになったが、家を売り約5,000万円の慰謝料を準備した別の加害者の親と比較すると、あまりにも低額。しかもこの積立も事件直後からすぐに開始したのではなく、1審が始まった後の平成2年に始めた

母親はY市のマンションがあるにもかかわらず、平成8年10月4日(登記簿上の日付)、約4,400万円の融資を受け、同市(Y市)内にさらに店舗兼住宅を保有した。
購入の時期も、5年~10年の不定期刑を終え出所する可能性のある頃というのも、被害者への補償よりも、帰ってくる息子のための準備が優先したのだろう
 
今回の監禁事件の舞台となった母親経営のスナックがある埼玉県M市は、コンクリート事件被害者の方が拉致された場所や、自宅のあった場所である。
そのような場所で、スナックを営業するということに何のためらいも感じないのか

 「夫との別居」、「女手一つで」、「都営アパート暮らし」といった貧しいイメージを演じつつ、その裏側では、判決の1ヶ月前にY市にマンションを保有していた母親。

(ローンではあるが)いくつかの不動産を保有していた母親の姿を見ると、「被害者の遺族の方と連絡がとれないので、補償ができない」というのが、どれほど本当の気持ちなのか疑問が湧いてくる。


 母親には、真の意味で被害者の方に補償をしようという気持ちがあるのか?



【編集者・注】そんなもの有る訳ない!。あったら被害者のお墓を壊したりしない!




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