2014/06/06 12:46:05
(NIPbPhR9)
神作 譲(旧姓.小倉)(かみさくじょう)被告の母親(小倉悦子)の狡知さ
詳しくは、「神作譲被告の母親の狡知さ」で、検索をかけて下さい。写真を見ることが出来ます。
神作譲( 帰化人で犯行時は小倉 ) 親は、三郷在日部落の名主。
※神作譲の母親は最初の事件の直後
「わたしの息子はこの女のせいで人生を狂わされたんだ!」
と逆ギレし、被害者少女のお墓を破壊するという暴挙に出た為に、遺族はやむなくお墓を移す
平成16年7月28日、神作譲被告の事件後再び起こした監禁事件の初公判が行われた。
同日テレビ朝日の報道ステーションで、神作被告の母親のインタビューが放送された。
母親は形通りの謝罪をしたりするものの、なぜか心が伝わってこないのである。
夫との別居(不幸な家庭境遇)、「遺族の方が引越されたので連絡がとれず、、」といった弁明、どことなく責任転嫁や自分も被害者みたいな姿勢が見えた。
神作被告の母親とはどのような人物なのか。
コンクリート事件当時、東京都A区の都営アパートに住んでいた母親は、高裁の判決が出る1ヶ月前の平成3年6月11日(登記簿上の日付)、約2,750万円の融資を受けて埼玉県Y市のマンションを保有した。
今後損害賠償等の民事訴訟が起き、多額の補償をしなければならないかもしれない時期で、かつ高裁判決の前という時になぜマンションを保有したのか。
詳細は本人以外知る由もないが、判決の1ヶ月前といえば、判決文の土台もある程度出来上がり、よほど大きな問題でも起こさない限り、譲被告の情状面に不利に働くことはない時期。その点を見越してのマンション保有なのか?
高裁での審理時に、被害者のために161万円の積立をしてることが明らかになったが、家を売り約5,000万円の慰謝料を準備した別の加害者の親と比較すると、あまりにも低額。しかもこの積立も事件直後からすぐに開始したのではなく、1審が始まった後の平成2年に始めた
母親はY市のマンションがあるにもかかわらず、平成8年10月4日(登記簿上の日付)、約4,400万円の融資を受け、同市(Y市)内にさらに店舗兼住宅を保有した。
購入の時期も、5年~10年の不定期刑を終え出所する可能性のある頃というのも、被害者への補償よりも、帰ってくる息子のための準備が優先したのだろう
今回の監禁事件の舞台となった母親経営のスナックがある埼玉県M市は、コンクリート事件被害者の方が拉致された場所や、自宅のあった場所である。
そのような場所で、スナックを営業するということに何のためらいも感じないのか
「夫との別居」、「女手一つで」、「都営アパート暮らし」といった貧しいイメージを演じつつ、その裏側では、判決の1ヶ月前にY市にマンションを保有していた母親。
(ローンではあるが)いくつかの不動産を保有していた母親の姿を見ると、「被害者の遺族の方と連絡がとれないので、補償ができない」というのが、どれほど本当の気持ちなのか疑問が湧いてくる。
母親には、真の意味で被害者の方に補償をしようという気持ちがあるのか?
【編集者・注】そんなもの有る訳ない!。あったら被害者のお墓を壊したりしない!