初めての自慰は中学二年の時だった。
その頃は今と違って学生がズリネタを手に入れるのは至難の業だったし、性の指南書など有ろう筈もなかった。何しろ、勇気を振り絞って隠微な雰囲気の本屋に行って難しいインドの哲学書の文庫本を無理して買って、ついでにみたいなフリして「エッチな本てどんなんですか?」としらばっくれて聞いても、「これなんかよく出るけど」などと言われて渡されたのは「チッチとサリー」だか何だかのラブコメマンガだった。
自慰をしたくてもやり方が分からず、洋服ダンスの奥にあった親父の週刊誌に「金冷法」なる絶倫トレーニング法が書いてあったので、風呂で真似しついでにマッサージをしてみた。当然勃起はしていたが気持ち良くも何とも無くて、ただひたすら30回だったか50回だったか陰茎をシゴいては湯船に入ったり水道水で冷やしたりしていた。そのうちいきなり催してきて、何が出るか知らないので、小便が出ると思っていたら精液が出て来た。
びっくりして手に取ると、生臭くて指にまとわりつくしお湯を掛けると取れにくくなった。慌てて石鹸で洗い流したが、ペニスが痛くて、二度としないとと思ったが、
翌日になると射精の瞬間が忘れられず、今度はトイレでペニスをシゴいてみた。右手の親指と人差し指で輪を作って亀頭部分を往復させた。
一度体験済みという事になると今度は次に何が起こるか分かっているので、当然快感を期待し、その通りになって来た。それでも快感を感じ始めてから射精までが余りに短く、射精後は痛みに後悔した。
当時、両親は共働きで、学校から帰ると一人だったので、必ずオナニーした。回を重ねる毎に自然と妄想する様になって快感が増し、痛みも和らいで来た。
オナニーする度に妄想を変えた。
最初の妄想はヨーロッパの貴婦人が胸をはだけているところだった。そのうち快感そのものでオナニーする様になり、親父の古い荷物の中にあった週刊誌やヌード付きの手帳を見ながらする様にもなった。
その頃は射精すると何メートルも飛ぶのが正常なのだと思い込んでいて、せいぜい1メートルぐらいしか飛ばない自分は病気かも知れないと思っていた。
毎日毎日オナニーをして、今度は全裸でするようになった。家の廊下で精液を飛ばすのが気持ち良くて仕方なかった。