あくる日曜日。
何となく熟睡感のない感じで目を覚まし、居間にいくと、化粧した顔の祖母が白のタートル
ネックのセーターに、昨日と同じ綿入れを羽織って、明るい元気そうな笑みを浮かべて、炬燵
の前に座っていた。
「婆ちゃん、おはよう。身体の調子、どう?」
と声がけして炬燵の前に座り込むと、上には湯気の立ったご飯と味噌汁の他に、焼きシャケ
など幾つもの皿が並んでいて朝食の用意がすっかり整えられていた。
「あなたたち若い人のお見舞いで元気もらったから、もう大丈夫よ」
明るい声でそういって、
「紀ちゃんが来てくれて、ほんとに助かってるわ。女の子っていいわね」
と紀子のほうに目を向けて、嬉しそうに言い足してきた。
エプロン姿で居間と台所を、忙しなげに行き来していた紀子の背中に、おはよう、と声がけ
すると、何故か目も合そうとせず、無表情なまま、おはよう、と妙につれない応対だったので、
鈍感な僕も少し、あれ?という気持ちになった。
かたちよく尖った鼻が、余計につんと尖って見え、切れ長の目も妙に伏し目がちで、そのく
せ祖母には、にこやかで屈託のない笑みを見せていた。
僕への応対は、怒っている時の紀子の表情がそのまま出ていた。
三人での朝食も、祖母と紀子の二人の会話が弾んだだけで、例によって僕はまた蚊帳の外だ
った。
昨夜の夕食の時も同じ光景だったが、それでも五分に一回くらいは、紀子が気を遣って僕に
話を振ってきたりしていたのだが、今朝はまるきりのガン無視だった。
温かい味噌汁を啜りながら、昨夜から今朝にかけて、自分が紀子に何か悪いことでもしたの
か、気に障ることでも言ったのか、頭の思考回路を思い巡らせるのだが、自分では何も思い当
たることがなかった。
山の天気みたいに変わる紀子に、僕は少しむかつきを覚え、それならそれでいいと、こちら
も無視することにした。
祖父の墓参りも三人で出かけたのだが、紀子のほうはいかにもわざとらしく、病み上がりの
祖母に気を遣うばかりで、歩く間隔も僕とは距離を置いているような感じだった。
本堂の前で尼僧の綾子が立っていた。
いつもの袖頭巾と、法衣の上に黒のオーバーコートを着込んでいて、祖母の顔を見ると、心
配げな表情で寄り添ってきた。
祖母と尼僧の立ち話が暫く続いたが、紀子のほうはやはり僕を完全無視のようで、いつもな
らべったりと寄り付いてくるのに、僕とは三メートル以上も離れたところに立っていた。
祖母と話し込んでいる尼僧の綾子の目が、時折、僕のほうに何か意味ありげに向いてきてい
たが、それは僕のほうが無視を決め込んだ。
昼食の時も、僕はやはり除け者になって、声が弾んだのは祖母と紀子の二人だけだったのだ
が、台所で洗い物を済ませて、居間の炬燵に座ってきた時、紀子が、
「駅近くの川辺りの公園に行かない?」
と平然とした表情で誘ってきた。
祖母が庭先に出て洗濯物を取り込んでいる時だった。
瞳の濃い眼差しは穏やかそうだったが、何か有無を言わせない気のようなものが漂っていた
ので、ああ、とだけ言って僕は頷いた。
紀子のほうから祖母に、川の公園に行ってくると言って二人は家を出た。
快晴の空からの陽射しで雪が溶け出し、川辺りの公園の土の部分はぬかるんでいたが、枯れ
た芝生と木製のベンチは乾いていた。
紀子が自分から先にベンチに座って、手招きで横に座るように目を向けてきた。
「雄ちゃんに先に謝っておくね」
膝の上に両手を置いて、紀子が僕の顔を真剣な目で見つめてきて言ってきた。
「何だよ、急に」
「昨夜、雄ちゃんがお風呂に入っている時、炬燵にスマホ置き忘れってったでしょ?」
それだけ聞いて、僕は全部を理解した。
「あなたのスマホが急に震え出したの。着信で明るくなった画面を横目で見たら、名前が出
てた。細野多香子さんって…」
それだけのことを紀子は一気に喋ってきた。
「それで俺を疑ったのか?」
初めて知ったような顔をして、僕は紀子の顔を窺い見た。
すると、紀子がそれまでの怒ったようなような表情から一変させて、細い顎をこくりと頷か
せた。
「バカだな、お前。この前、お前が誰かに付きまとわれていると言って、俺に言ったろ?あ
の時、俺のほうにもそれらしい、怪しげな動き合ったから、俺が直接、その細野って子と話し
たら、彼女に横恋慕してた知らない奴が、何を勘違いしたのか、俺が彼女と付き合ってると思
い込んでしたこととわかった時、今後も何かあったら連絡し合うってことで、番号の交換をし
合っただけで、何にもありゃしないよ」
ここが勝負どころの要だと思い、僕は一気にまくしたてるように言った。
喋りながら、僕のずる賢い頭が勝手にストーリーを考えてくれていた。
「じゃ昨日のメールは何だったの?」
半分泣きべそをかくように聞いてくる紀子に、
「その細野って子に横恋慕した奴が、べそをかいて謝りにきたって報告だよ。見るか?」
実際とは違うことを、僕は平静を装って強気に言った。
「ううん、いい」
「お前が女の子だというのが、よくわかったよ」
「何、それ?」
「俺にヤキモチ妬いてくれるのが嬉しいってことさ」
「意味わかんない」
「わからなくていい」
「お婆ちゃんがね、あなたたち何かあったの?って心配して聞いてきたの」
「それでここか?」
学校でもどこでもしっかりしていそうで、こういう事柄になると、関西弁で言うとひどくお
ぼこくなるのが、紀子の特性だ。
「お婆ちゃん、心配してるから早く帰りましょ」
紀子はもうすっきりした顔になっていた。
圧倒的に長いこれからの人生で、僕は何度、紀子という純真無垢な女性を嘆かせることにな
るのかと思うと、相当に気が重くなりそうだが、こちらも惚れた弱みもあるから仕方がないと
諦めることにした。
家に戻っての紀子の祖母への第一声が、
「お婆ちゃん、仲良しになったよ」
だった。
三時半過ぎの列車で家に戻ることになり、祖母が駅まで二人を見送りに来てくれた。
もう、早くから紀子は泣き顔で、何度も何度も祖母にしがみついたり抱きついたりしていた。
僕からの祖母への病気見舞いの言葉は、家で紀子が便所に入っている時に、耳元で囁いてや
った、
「今度はほんとに一人で来る」
だった。
もう一つ、僕の心を滾らせていることがあった。
あの迷惑なメールを送信してきた、細野多香子への報復だった。
僕の性格の裏面の心が、多香子の白い裸身を思い浮かばせてきていて、どのようにして甚振っ
てやろうかと、卑猥な想像を掻き立ててきていた。
「気持ち悪い目。何考えてたの?」
列車の座席で横にいた紀子に、蔑んだような目で見られ、僕は我に返った。
「お前と一緒に寝てるとこ想像してた」
「バッカじゃないの」
「お前が抱けるなら、バカで結構だよ」
紀子の蔑んだ眼差しは暫く続いた…。
続く
」
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