45.病室送り
目覚めると、薄い明かりの中に、遠く烏の鳴き声がしていました。
押し込まれていたのは、スナックの二階の更に上に造られた天井裏部屋でした。
この日から数日間、感染症から来る高熱に苦しめられました。
ママから痛み止めだと、怪しげな薬を与えられましたが、痛みは和らいでも、
背中や股間の傷からの膿が止まりませんでした。
全身の打撲の痕は浮腫み、変色した肢体には力が全く入りません。
夜も全く眠れなくなり、体力は衰える一方で、魘されるようになりました。
私の病状が手に負えなくなったママとホチキスとは、
温泉街の外れに建つ私立病院に私を入院させました。
どうやらこの病院は、ホチキス達に頼まれる女の子達の性病の検診と中絶で食べている様で、
医者や看護士もグルなので、相変わらず私は外部に連絡を取ることが出来ませんでした。
診察した初老の女医からは、もう少し担ぎ込まれるのが遅かったら、
命に関わるところだったと教えられました。
私は危ないところで命こそ助かりましたが、あの晩の膣への暴行された感染後遺症から、
卵巣の浮腫が生じ、結果的に両側卵巣とも摘出する事になりました。
出産という女としての大切な機能を失ってしまいました。
でも、この先、子供を作ることをしないと約束していた私には、どうでも良い事で、
格段の悲しみも無いことのはずでした。
しかし、手術の終わった晩、病室の天井を見上げていると、涙が流れて来ました。
「私、もう、妊娠することは・・・無いんだわ。」思わず、独り言を呟いていました。
大切な何かを失った悲しみが、胸の奥から湧き上がってきました。
幸い、HIVなど深刻な感染病には罹患しなかったことが判りましたが、
ホルモンバランスが崩れないように、今後も投薬は続けるとのお話でした。
この後は結局、手術から一週間、病室のベッドの上で過ごすことになりました。
つまり、職員氏達に置き去りにされてから10日以上が経っていました。
身体の傷が癒えてくると、ユウジのその後も心配になってきましたが、
今の私は、何も出来ない無力な存在でした。
ツッパリの迎えで、病院からスナックに戻された日、店にママの姿は無く、
別の見覚えのある人物と再会しました。
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