八木貴之は激しい頭痛に見舞われていた。
(どうしたんだっけ…ああ、長い出張から帰ったんだ…)
結婚以来、愛する妻を残して一週間も家を空けたのは初めてだった。
妻と二人きり水入らずの時間を過ごそうと、勇んで帰って来ると、
リビングルームには何人もの男女生徒がノートと参考書を広げていた。
「た、貴之さん…疲れているのにごめんなさい…
せ、生徒たちの補習をしているの…」
普段の涼やかな表情に翳りがあるように思えたが、新しく赴任したばかりと
言うこともあって色々気を遣うのだろう。
「いいんだよ、君は立派な教師なんだから、僕のことより生徒のことを
優先して考えればいいよ。」
今にして思えばその時、優理子が何かを訴えようと潤んだ瞳を向けていたのを
貴之は見落としていた。
「八木先生の旦那さんですか~、先生に分からないところを教えてもらって
感謝してま~す!」
「俺らも先生の家だと勉強する意欲がモリモリ湧いてくるなぁ。」
人懐こく貴之に話しかけてきた女生徒の瑠奈が高校生にしては大人びた美人
なのに驚き、他の生徒も行儀がいい。
「ほらほら、恵理子もちゃんとお礼言わなきゃ~」
瑠奈に促され挨拶する女生徒に貴之は目を瞠った。
端正で整った顔立ちに愛妻家の貴之でさえ一瞬見とれてしまうほどだ。
「やぁ、いらっしゃい…せっかくだからしっかり勉強して行ってください。」
貴之は流石は名門校の生徒だと感心しながら、生徒たちを歓迎する。
貴之はスーツを着替えるとリビングのテーブルを生徒たちに占領されて
いるのでダイニングテーブルの方で寛いだ。
「旦那さま~…とてもイケメンですね~美人の八木先生とお似合いのカップルで
羨ましいです~」
瑠奈がリビングから脱け出して貴之のテーブルに近寄って来た。
「コーヒーを淹れたので、旦那様も召し上がって~」
甘えた口調の瑠奈に勧められ、面映い。
「えっ、すまないね…それじゃ遠慮なくいただくよ。」
貴之は出されたコーヒーカップを手にすると瑠奈に笑顔を向けて口元に運んだ。
「飲んじゃだめぇ!…」
突然だった。
リビングで教えていた優理子が脱兎のごとく駆け寄って来て、貴之が手にした
コーヒカップを振り落としたのだ。
「うわっ!」
熱いコーヒーがテーブルにぶちまけられた。
「駄目よ!…睡眠薬が入っているの! すぐに逃げて!
この子たちは悪魔よ!」
愛妻の必死の形相にも貴之は事態を飲み込めない。
「睡眠薬?…悪魔?」
そう思った瞬間、貴之の全身に激しいショックを襲った。
(えっ?)
意識を失う瞬間、貴之は依然としてニコニコ笑った瑠奈の手にスタンガンが
握られているのを見て取った。
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