古びた雑居ビルには、花井さんの事務所以外は、他にテナントも入っていないらしく、街中の雑踏とは反対に、しぃんと静まり返っていて、表の道を行き来する車の音が響き、その静けさがかえって私の妙な胸騒ぎを強めました。エレベーターを降りて、狭い通路を歩いてドアの前に立った私がノックすると、扉が開いて、いやらしい顔でニヤニヤと薄ら笑いを浮かべた花井さんが、私を中に招き入れました。中に入ると、おそらく花井さんが普段使用するものでしょう、奥の真ん中置かれた大きなデスクの、脇にある、来客用のソファーの方へ案内されました。事務所には、コピー機とプリンター、普段は7、8人ほどいるのでしょうか、事務机がひとまとめに固められていましたが、電話とパソコンが一台ずつ置いてあるだけで、それ以外は何も机の上にはありません。オフィスにしては、あまりにも殺風景で、人が普段から仕事をしているように感じませんでした。私はソファーに座り、落ち着きない様子でいると、向かいに花井さんがドカッと腰を下ろしました。
「急なことで、あんたもビックリしただろ?」
野太い声で、花井さんが話しました。花井さんは、60ぐらいの、男性にしてはそれほど背が高いわけではなく、私より少し高いぐらいのガチっとした体格です。
お腹はぽっこりと出て、失礼ですが、脚も短く、薄くなった髪に、パンチパーマをかけています。褐色に日焼けした肌が、脂でテカテカと光り、全身から力がみなぎり、ギラギラした感じがします。
薄い茶色の、趣味の悪いサングラスをかけ、レンズ越しに見える眼は、どこかネチネチして身体にまとわりつくような視線で、私を見ていました。いかにも成金男という感じで、腕には高級時計と金のブレスレットをジャラジャラとさせ、太い指輪やネックレスをし、口を開くたびに金歯が見えます。
私に断りもなく、太い葉巻に火をつけ、
煙をもくもくとふかせ、濃い葉巻の匂いで私は思わず咳き込みました。ムッとして睨むように花井さんを見ましたが、お構いなしといった感じで、話を続けました。
「田中とは古い付き合いでな、今までも仕事を回してやったけど、この不景気ですっかりあのザマだから、見かねてワシが、無担保、無利子で融資してやるともちかけてやったんだ。」
「…それは、ありがとうございます。」
電話と同じ、相変わらず恩着せがましい、人を見下した口ぶりで、自慢気に話す花井さんに、内心怒りをこらえ切れないでいましたが、会社を思うと、安易に話を断るのを切り出せずに、私は言葉を飲み込み、黙ってしまいました。
「何度もアイツに、あんたを譲るよう頼んだんだが、優秀な部下を手放したくないと、アイツに何度も断られたんだが、今回の話で、アイツもとうとう背に腹は代えれんかったのか、とうとう諦めてくれたみたいだ、ガハハハ…。まぁ、あんた一人を素直に差し出せば、アイツも飼ってる社員を路頭に迷わさずに済むんだからな。安いモンだろ?あんたにとっても、アイツみたいな器の小さい馬鹿な奴の下で働くより、ワシの下の方が、あんたにとっても働き甲斐はあると思うよ。」
私は、抑えた怒りが爆発しそいになりましたが、ただぐっとこらえました。頭に血がのぼり、顔が熱くなるのを感じながら、無礼な態度を改める気配の全くない花井さんを、私は睨みつけました。
※元投稿はこちら >>