新幹線の座席に揺られながら、遥は窓の外を流れる景色を眺めていた。夕暮れが近づき、空は茜色から薄紫色へと変わっている。
「あの店、三ヶ月前から予約してたんだぞ」
隣の席から正明の声が届く。同じ愚痴を、もう何度聞いただろう。
「はい、存じております」
「わかってるじゃなくて、共感しろよ。あの店は予約困難でな。何か月も前から電話して……」
遥は適当に相槌を打ちながら、スマホの画面を見つめていた。夫からのLINEが入っている。『今日は何時に帰れる?』というメッセージに、まだ返信できていない。
「……で、次の予約ができるのはいつになるか……」
「課長、もう現地に着きます」
「わかってるよ。お前な、人の話を聞け」
新幹線が減速し、静かにホームへと滑り込んだ。二人は座席を立つ。駅前は予想以上に混雑していた。観光客らしき人々が提灯や法被姿で歩き回っている。
「なんだ、今日は何かあるのか?」
「祭りみたいですね」
遥が看板を見上げると、『第35回 夏祭り』の文字があった。
「……嫌な予感がするな」
正明の予感は的中した。駅前のビジネスホテルに始まり、徒歩圏内の宿泊施設を次々と当たったが、どこも
「満室」
の札がかかっている。
「すみません、今日は祭りでして……」
フロントの女性が申し訳なさそうに断る。
「他に当たってみます」
と遥が言い、次の宿へ向かう。雨が降り始めていた。小雨だが、二人とも傘を持っていない。遥のスーツの肩が濡れていく。
「おい、あそこ」
正明が指差した先に、派手な看板が見えた。ピンク色のネオンがちらついている。『エンジェル・ネスト』という文字が読み取れた。
「……課長」
「他に空いてる宿があるなら言ってくれ」
遥は言葉に詰まった。確かに、他に選択肢はない。
「わかりました……でも」
「緊急事態だ。仕事だからな」
正明は憮然とした顔で歩き出した。遥もその後を追う。ラブホテルの自動ドアが開くと、甘い香りが漂ってきた。ロビーには誰もいない。セルフチェックインの機械が光っている。
「……課長、私、ここで待ってます」
「馬鹿言え。一人で外にいる気か。雨が強くなってるぞ」
正明は遥の腕を掴んで、中へと引いた。
「仕事で泊まるんだ。気にするな」
「……はい」
遥は俯いたまま、ロビーの一画にあるソファへ座った。顔が熱い。夫にどう説明すればいいのか、まったく思いつかなかった。
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