朝の光がカーテンの隙間から差し込む中、二人は身支度を整えてホテルを出た。遥の体は鉛のように重く、内腿の筋肉が歩くたびに痛んだ。昨夜の記憶がフラッシュバックしては、顔が熱くなる。
「課長、タクシー呼びます」
「ああ、頼む」
正明も疲れているはずだが、表情には出さない。二人は無言でタクシーに乗り込み、謝罪先の会社へ向かった。車窓を流れる街並みは、祭りの翌日らしい静けさに包まれていた。遥はスマホを握りしめながら、これからの謝罪の言葉を頭の中で反芻する。
「緊張すんなよ。俺がついてる」
正明が低い声で言った。その言葉に含まれる別の意味に気づき、遥は顔を伏せた。
「……はい」
タクシーが目的地の前に停車した。ビジネス街の一角にあるオフィスビル。遥は深呼吸をして、正明と共にエレベーターに乗り込んだ。ロビーの受付で名刺を差し出すと、女性スタッフが困ったような表情を浮かべた。
「おはようございます。〇〇株式会社の者ですが、田中様にお目にかかりたいのですが」
「あの、実は担当の田中は今日休暇を取っておりまして」
「休暇?」
遥は眉を寄せた。
「はい。昨夜遅くにメールを送らせていただきました。問題ないというご連絡だったのですが…」
「……は?」
正明が間の抜けた声を上げた。
遥は呆然とした。昨夜、ホテルに着く前にもスマホを確認したはずだ。いや、その後は……正明に邪魔されて、チェックする暇がなかった。
「……昨夜の、何時頃ですか」
「午後七時頃かと」
遥は膝が崩れそうになるのを堪えた。新幹線に乗る前には届いていたかもしれない連絡だ。確認しなかった自分の不手際。そして、それ以上に、無駄な出張だったという事実。
「冗談だろ……」
正明が低く呻いた。
「申し訳ありません」
女性スタッフが頭を下げる。
「いや、お気になさらないでください」
遥は引きつった笑みを浮かべた。怒る気力さえ残っていない。ただ、徒労感が胸を満たしていく。
「戻りましょう、課長」
二人は並んでビルを出た。朝の空気は澄んでいて、昨夜の熱気は嘘のようだ。
「なあ」
正明が小声で囁いた。
「次は俺の家で『出張』どうだ?」
遥は足を止め、彼を振り返った。ニヤニヤとした顔。この状況で、よくそんなことが言えると思う。
「嫌です」
即座に返したが、その声には以前のような嫌悪感は含まれていなかった。むしろ、呆れと、どこか甘い響きが混じっている。
「冷たいな。昨夜はあんなに熱くなってたくせに」
「……課長」
遥はため息をついた。
「もう忘れてください」
「忘れられるわけないだろ。お前のあの顔」
「課長!」
遥は顔を赤くして声を荒げた。正明は楽しそうに笑っている。
「まあ、いいさ。またミスしてくれれば、出張の必要がある」
「しません!」
遥はきっぱりと言い放った。けれど、その心の奥底で、小さな予感が芽生えているのを否定できなかった。この奇妙な共犯関係は、これで終わるのか、それとも。
「帰ろうぜ。新幹線、取らねえとな」
正明が歩き出す。遥はその背中を見つめながら、小さく息を吐いた。
「……本当に、最低です」
呟いた言葉は、朝の風に攫われて消えた。
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