ノートパソコンを前に、キーボードを忙しなく動かしていた指を不意に止めた。不慣れだった頃は手元ど画面をそれこそ何度も何度も、自分の目で往復させたものだ。
美紀は足が地についていないような、ふわふわした落ち着かない気持ちを持て余していた。これではまるで、遠足前夜の子供みたいじゃない………。
刺激的な出来事から数日が経つというのに、集中力が途切れると、ふと思い出してしまうのだ。
いつ誰かに気付かれるかもしれない満員電車の中という状況で、あんなことを体験したのだ。協力者の手を借りたあの青年に片膝を抱えられ、逞しいモノの味を教えられるなんて……。
美紀は視線だけを上げて、部下たちを見やった。火照った顔を両手で抑えながら、上司の異変に気たく様子がないことに、そっと胸を撫で下ろす。
満足できるほどの腰の動きではなかったけれど、思いの外よかったのだ。短いストロークでやんわりと奥を突かれ、信じられないほど恥ずかしくて逃げてしまいたいのに、感じさせられる苦悩……。
その矛盾した感覚の中で美紀は、いつしか声を殺して喘いでいたのだ。
残念ながら最高潮まで味わうことは叶わず、あの青年は電車を下車していってしまった。学生時代に痴漢の被害はよく経験したけれど、それ以来だった。いや……あんな衝撃的な目に遭わされたのは人生で、初めてのことだったのだ。
それはそうだ、挿入までされたのだから。
あの日以来あの青年の姿を見ることはなく、美紀の中の何かが収まらなくて、悶々とした気持ちを持て余している。
まったく、どうしてくれるのよ………。
退社後の駅に向かう道すがら、飲み歩く習慣のない美紀は思い立って脇道に足を踏み入れてみた。
そこは様々な飲食店が立ち並び、人気のないお店はすぐに入れ替わる激戦区でもある。その中にちょっとしたイタリア料理が楽しめる、立ち呑み屋があるのだ。以前に同僚に連れて行かれたことがあり、美味しかったことを覚えていたのだ。
そこでタコのアヒージョやワンピースのピッツァを肴に、グラスワインを美紀は3杯を頂いた。
それで気持ちがいくらか落ち着けただろうか、ほろ酔いの足でお店を後にした。
……と、その時、道端に小さなテーブルを出して、占い師が営業をしているのを見つけてしまった。
普段ならば絶対に無視していたはずなのに、アルコールの入った体が足を向けさせたのだ。
若い頃は何人かの占い師にみてもらっていたが、大抵の占い師は皆、同じようなことを美紀に言うのだった。それは恋多き女、結婚相手は慎重に選ぶ必要があると。要するに、男を見る目がないと言われているも同然だったのだ。確かに夫とは上手くいかなくなり、離婚をしている。
夫と出会うまでの男性たちとは、長く続くことがなかった。夫はその中でも申し分のない男性だったはずで、だから結婚をしたのに、どこで歯車が狂ってしまったのか。
そして占い師たちは決まって、同じようなことを忠告してきた。
………セックスが好きでしょ?気おつけなさいよ……
貴女はその虜になりやすいから……
だから男性をよく選び、見極めなさいと忠告をされたのだ。確かに美紀は自分でも性欲が強いとの自覚はあった。男好きのする容姿をしているとも揶揄をされたことがあるし、近寄ってくる男性はよく見ていたつもりだった。
避妊にも気を付けていたし、会えば必ず体を重ねることを拒まなかった。男は誰もが美紀に夢中になり、体を貪った。人には言えない恥ずかしいこと……顔面騎乗位といったか、男性の顔の上に跨ることを要求され、美紀もそれに応えてきた。
一晩に幾度も繰り返し貫かれ、女に生まれたことの悦びを謳歌したものだ。美紀のその見た目からは想像が出来ない乱れように男は皆んな夢中になり、温存していた体力をそこで使い果たすまで腰を使ってくれたものだった。
そう……夢中になっていたのは、美紀の方なのだ。
占い師は胡散臭い身なりの人が少なくないが、この人は綺麗な格好をした老婆だったことに敷居の低さを感じ、美紀は20数年ぶりに占ってもらうことにした。
………いらっしゃいませ、何を占いましょうか?……
……えぇ……今ちょっと、気になることがあって……
占い師の問に、曖昧に答える美紀。こういう場合は大抵、異性関係だと占い師の老婆は察する。
美紀の顔を一瞥して手相を見ただけで、あぁやっぱりね……と意味ありげな表情を老婆は作った。
……今までに占いを受けたことはある?……そう……
じゃあ言われたことがあるんじゃない?
美紀はまだ何も核心的なことを喋ってなどいないのに、これから老婆から言われることをほとんど確信していた。
………最近、素敵な男性との出会いがあったわね…
もうその彼から離れられないんじゃない?…
老婆は随分と言葉を選んで喋ってくれているけれど、次の言葉で全て見抜かれていると感じた。
………体の相性がいいから、これからもっともっと
セックスの虜になるわよ……
夢中にならないように気お付けなさいね、こ
の意味は、分かるわよね……
隣町の支店にいる同期、三枝真理子から連絡があった。今度の週末にゴルフレッスンがあるのだという。とあるゴルフ場の会員でもある会社のお陰で、一日貸し切りでマンツーマンでインストラクターが教えてくれると、息巻いている。
休みの日にまで出歩きたくない美紀は断ったが、それで諦める真理子ではない。家庭での主婦業から開放されるのだから、。
………見なさいよこれ、イケメン揃いなんだから…
スマホに送られてきた画像には、ゴルフウェアを身に着けた大学生くらいの若者数人が、爽やかな笑顔で写っている。こんなことだろうと思ったのだ。真理子は命の洗濯だと鼻息を荒くしているその理由がこれで分かったが、どこかの男子大学生のアマチュアだろうと見当がつく。
きっと真理子はその日のためにエステに通い詰めて、当日のゴルフウェアはミニスカートで来るに違いない。消そうとしていたスマホの顔面をもう一度見返して、美紀は、あれっ……となった。そこに写っていたのは、今も下半身の感触が忘れられないでいる、その原因を作ったあの青年なのだから……。
数日後、美紀たち保険会社の中堅女性数人の姿は晴天の空の下、鮮やかなグリーンが続くゴルフ場にあった。それぞれが自己紹介を済ませ、自然とペアが決まるから不思議である。
真理子はもちろん熱い視線を向ける相手と組み、美紀は進み出てきた相手と組むことになった。
もちろんその相手は、あの青年だったことは言うまでもない………。
無論あの青年……卓の巧みな策略であると、美紀は想像すらしていないかった。
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