元々大して頭脳明晰ではないが、その夜僕は、まともに物が考えられなくなっていた。
やっかいなレポートに取り組んでいる内に、ふと、疑問が沸いてきた。
『僕は、何をこんなに我慢してるんだっけ?』
そうだ。さやたんがもうすぐ期末テストだから、来てくれないんだ。勉強しなくちゃいけないから。
じゃあ、僕が会いに行けば?…ダメだ。勉強の邪魔になることには代わりない。
でも、いくら試験前でも夜は寝るよな。そうだ!さやたんが寝ている時に会いに行けば!
さやたんの部屋に行き、起こさないように寝顔を見つめて、キスでもして、帰ってくる。それなら…
僕の部屋の机の引き出しには、さやたんの家の鍵がある。
これはこの時より1ヶ月ほど前、さやたんがくれた物だ。
いつも僕のアパートに来てもらってばかりだから、僕もさやたんの家に行きたい。ご両親にも挨拶したいと僕が言ったら、さやたんは寂しそうに首を横に振り
「今はダメ。私が男の子と付き合ってるなんて言ったら、お父さん逆上して何するかわかんないもん。高校生くらいになってからなら…」
と言った。
その次に来たとき、さやたんは、合鍵と、玄関を開けるときに必要なパスワードを書いた紙を僕にくれた。
「これはお守り。もし私が、親に監禁されるとかで、急に連絡が取れなくなったら、それを使って助けに来て。でも、普通に連絡取れてる間は絶対使っちゃダメだよ。」
けど、その晩の僕は、さやたんの言いつけをすっかり忘れていた。
時刻は12時を過ぎていた。
「さやたんも、もう寝てるはずだな。今なら…」
僕は引き出しの奥から鍵とメモを取りだし、アパートを出た。
さやたんの家は、名古屋でも有数の高級タワーマンション。僕はそこのエントランスまで来て、建物の中へ入ろうとした。
ところが、扉が空かない。見ると右横に、テンキーがある。ここに何かの番号を入力しないと開かないらしい。
僕は試しにメモの番号を入れてみたが、エラー。さやたんに聞いてた、部屋の番号を入れても、同じだった。僕は途方にくれた。
なぜさやたんは、ここのパスワードを教えてくれなかったのだろう?
しばらくウロウロしていると、OL風の女性が来た。頼んで一緒に入れて貰おうと近付くと、思い切り怖い顔でにらまれたので、僕は立ち竦んでしまった。
その人が中に入った後は、誰も来なかった。さすがに諦めて帰ろうかと思った所に、タクシーが止まり、赤い顔の中年のおじさんが降りてきた。
建物の中に入ろうとするので
「あの、すみません。僕、ここに住んでる彼女に会いに来たんですけど、これの番号がわからなくて。一緒に中にいれてもらえませんか?」
と声をかけた。
おじさんは僕を睨み付け、
「番号が分からないなら、そこのインターホンで部屋にかけて聞いたらよかろう?」
と尋いてきた。
「そんなことをしたら、彼女のご両親を起こしてしまいます。お願いします。僕、今夜どうしても彼女に会わなくちゃいけないんです」
おじさんはまだ、怖い顔をしていたが、急にニヤッと笑い
「青春だな… いいよ。着いてきなさい。」
と言ってくれた。
僕にはおじさんが神様に見えた。
エレベーターの中で、おじさんにさやたんとのことをあれこれ聞かれたが、僕は感激していたので、一つ一つありのままを丁寧に答えた。
おじさんが降りる階が先に来て、おじさんは「がんばれよ」と言って、降りていった。
僕は何度もお礼を言って、別れた。
さやたんの家の前に来た。
メモの番号を押してから、鍵を回すと、玄関のドアが開いた。
悪いことをしようとしているのに、僕はばかになっていたので、大してドキドキしなかった。
玄関から入るとまっすぐの廊下。左右に2つずつドアがあり、突き当たりにもドア。さやたんの部屋だ。
足音に気をつけてゆっくり近づき、ドアノブを回す。
ベッドの上でさやたんが眠っている。
『やっと、ここまで来た!』
僕が感慨に浸っていると、勘のいいさやたんが目を覚ました。
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