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新しい生活環境で落ち着くまでは少々せわしなかった。ペースが掴めるようになり、自分にも余裕が生まれてくるまでは数年かかってしまった。その間、医局秘書の美〇子とは業務上のやり取りのなかでの接点しかなく、私自身も彼女のことが気にはなるものの特別な感情を抱くことはなかった。休憩中の雑談などから、彼女は大手企業に勤めるご主人と高校生と小学生のふたりの子どもがおり、ご主人の両親と同居している。実年齢は42歳、趣味でテニスをしており、テニスに対してはかなりの入れ込みようであるという背景情報を漠然とつかむにとどまっていた。そんななか彼女を強く意識するようになるある出来事がおきた。
ある初夏の暑い日のことだった。その日は外来の担当日ではなく、午前中の病棟業務を終えて早めに医局に戻った。他の医師は外来や他の病院でのアルバイト、所謂外勤に出ている日であり、医局にいたのは医局秘書の彼女ひとりであった。その日の彼女は普段の彼女と何か違ってみえた。まず普段はしていない小さなシルバーのイヤリングをしている。彼女は平素、地味めの普段着に白衣を羽織り、ヒールのついた白いサンダルで仕事をしているのだが、その日は鮮やかなブルーのペディキュアをしていた。ペディキュアと白い足のコントラストの鮮やかさに視線を足元にむけてあることに気がついた。ストッキングを履いていないことに。普段まじまじと見たことはなかったものの、職場の彼女はいつもベージュのストッキングを着用していたはずである。その日は所謂『ナマアシ』というやつだった。それだけではなかった。彼女に患者さんにいただいたナシを冷蔵庫に入れておいたので、食べるかと聴くと、「先生、いま私が剥きますから。ちょっと待っててくだい。」と医局にある小さな流し台でナシの皮を剥き始めた。彼女がこちらに背を向けている間に改めて観察してみる。白衣というものを着用したことのある女性ならよくわかると思うが、看護師のようにユニフォームを直接下着等の上に着用する場合は、パンティーラインがでないようにかなり気を遣うものである。しかし服の上からドクターコートタイプの白衣を羽織る場合はその辺への気配りがかなり甘くなるが、ここに大きな落とし穴がある。出勤する際の私服で下着のラインが浮き出ていないことを確認し、安心していても上から白衣を羽織り、そこに一定のテンションがかかると白衣の下の服の、そのまた下の下着のラインがはっきりと出てしまうことがある。白という色の効果のひとつだが、そのときの彼女がまさにそれだった。白衣の下からは細かいプリーツの入ったブラウンのスカートの裾がのぞいていた。視線を上に移すと白衣の上からでもわかる形の良い比較的肉付きのよい臀部に目がとまる。その瞬間、自分の目を疑った。のちにそれをハーフバックとよぶことを知ったのだが、縁にふんだんにレースをあしらっているにも拘らず、臀部を覆う布の面積は極めて小さい下着の形がくっきりと浮き立っていた。仮にこのような下着を若い看護師がつけていたとしても別段驚きはしないが、普段の彼女の雰囲気や周囲が抱くイメージからはかけ離れているように感じ、そのギャップに一種の生臭さを感じるとともに、彼女に対する興味が強くかき立てられた。
小皿に盛ったナシを私のデスクまで運んでくれた彼女にこう切り出してみた。
「今日はちょっと雰囲気が違いますね。ご主人とデートかな?この辺りでいいお店とかあります?まだまだこの辺のことはわからなくて、是非教えてくださいね。」
「ふふ。主人とデートなんてしませんよ。主人は3.11の後、会社で大きな組織再編があって、去年からインドネシアに単身赴任してるんです。」
「そうなんですか。それは大変ですね。いや逆に気が楽かな?」
「そうかもしれませんね。ふふ。でも先生こそ、奥様は東京でさびしがっているんじゃないですか?」
「どうかな。子供たちとマイペースにやってると思いますよ。ありがとうございます。ナシ。」
「あっ、□□さん(彼女の苗字)もナシ、食べてくださいね。」
「いただきます。この辺りナシ園ばかりで、うちもこの時期は方々からたくさんもらって食傷気味ですけど、このナシは美味しい。」
楊枝に刺したナシに片手を軽くそえて口に運ぶ姿に艶っぽさを感じながらも、私の頭の中はせわしなく動いていた。仕事帰りにご主人と落ち合って、記念日でも祝うつもりでないのなら、彼女の今日の雰囲気の変化はなんなのだろう。しかもご主人は昨年からジャカルタにいるというではないか。女性は男性の目を意識するばかりが雰囲気を変えるきっかけにならないというのはよく聴く話だが、今日の彼女の変化は違う気がする。いや絶対に違う。今日、何かあるのだ。あるに違いない。そんな考えが頭をめぐり続けた。
そこへ午前の外来を終えた教授が上機嫌で医局にはいってきた。低俗な人格はもとより、臨床家としての能力に対しても疑問を抱かざるを得ない教授だが、このときばかりは良い仕事をしてくれた。彼女の今日の変化に気が付いた教授は彼らしく無遠慮な質問攻めを始めた。
「□□さん、今日は髪巻いちゃったりしてなんかあるの?」
「待って、まって。いわないで。あてるから。う~ん、同窓会でしょ。仕事帰りに同窓会でもあるんでしょ。むかぁし、好きだった人とかがくるんでしょ?でもあんまり期待しないほうがいいよ。おおかた剥げてるか、デブになってるかだから。」
彼女の口元は笑っているようにみえるが、視線は書類を整理する手元に注がれている。相変わらずデリカシーのかけらもない人間だと呆れていると彼女が口を開いた。
「ふふ。テニスでダブルスを組んでいる仲間に誘われて飲みにいくんですよ。先週の大会で準優勝したのでペアでお祝いなんです。あっ先生、忘れないうちに。本日午後6時からの△△製薬の××さんとの面会予定ですが、到着が少し遅れそうとの連絡がありました。」教授は「俺、忙しいんだから走ってこいっていってもらわなきゃ。」と言い残し教授室へと消えた。
彼女は午後4時が近づいてきたので帰り自宅を始めた。
「教授相変わらずですね。」と声をかけると「私はもう4年になるので慣れました。先生、お疲れ様でした。お先に失礼します。」と彼女も足早に医局から消えた。
私は彼女が帰ると待ってましたと言わんばかりにパソコンを開き、『テニス/〇〇市/ダブルス/準優勝/□□ 美〇子』などのワードでインターネット検索をかけた。私の邪推は見事に的中し、予想通り大会というのは市が主催し、オープンで行われたミックスダブルスの大会だった。トーナメント戦の第4位までのペアの写真がそれぞれ掲載されており、準優勝の欄には美〇子と日に焼けたサーファーのような雰囲気の齢30前後の男が、賞品を手に並んで微笑んでいた。忘れず大会の開催された日程を確認すると先週の土曜、日曜にまたがって行われたものだった。彼女は今晩、この男と飲みにいく。普段は子供の教育に関する悩みや、同居する義父母への不満などは口にするものの、家庭の主婦としての一面しかみせない彼女が、この男と飲みに行く。明らかに仕事よりも見た目や趣味に多くのエネルギーを費やしていそうな白い歯ばかりが目立つこの浮ついた男と。しかもあのような下着を身に着けて。俄に股間が熱を帯びるのを感じた。
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