16歳
近いだけの理由で選んだ高校でも、同じ中学でセックスする仲の男の子のおかげで、入学直後から先輩達に誘われるがままセックスしていました。
中学の時と変わらず部室に連れ込まれては、何人か同時にする…。さすがにまわりや先生達も怪しいと思ったのか、何度か生徒指導室への呼び出しがあったけど、元々の地味な顔といたって普通の格好のおかげで、根も葉もない噂として片付けられました。
先輩達からはからかい半分で煽てられながらも、自由にセックスさせている為か他の女の子より可愛がられていました。可愛がられてというより、性処理係を失わない為のご機嫌とりが本音だったかと。
そんなもの無くても誘われればOKだったんですけど。
高校になっても生理がこない事に不安になった母に、半ば強引に連れていかれた病院で、私には子供をつくる能力がない事がわかりました。
先天的なもので子供は一生望めないと告げられましたが、母が落胆する横で私自信はそれほどショックも受けずにいました。
生理のめんどくささしか聞いていない当時では、子供を産めない事についてまで考えは及びませんでした。
アンパン子
高校の半ばから名前ではなくそう呼ばれていました。
もちろん先生や友達の前では名前を呼ばれ、セックス仲間からのみ。喘ぎ声と最中の音からついたあだ名です。
そのうちの1人に援交を持ちかけられ、何気に始めたそれで稼ぐ額はけっこうなものになっていて、持て余すくらいでした。
目的はお金ではなくセックスでしたが、女子高生というブランドはたくさんのお金を生むものでした。
お金稼げるよ、とビデオ出演やとあるグループへの登録も誘われましたが、自分でもなぜかわからないけどそこは線を引いて誘いに乗る事はしませんでした。
『付き合ってくれない?』
何人かに告白されました。
が、すでにいろんな人とセックスするのが普通だった私は、付き合っても他の人としていいなら…と条件をつけましたが、誰もそれをOKする人はいませんでした。
原付
稼いだお金で親に内緒で原付を買い、駅の駐輪場に置いて乗っていました。
夜家を抜け出して原付で道の駅に行き、休憩中のトラック運転手を誘って遊んでいました。
怖いイメージを持っていたけど、みんな気さくで優しい人ばかりで、いろんな地方の限定のお菓子なんかもよく貰ったりしました。
原付のおかげで伯父の家にもフラッと行けるようになり、そこで初めてフェラチオを教え込まれました。
『ある穴は全部使わないと損だ』
何度目かの時、伯父とは別になんとなく見覚えのある男の人がいました。
それはまだ私が小さい時に伯父の後に覆い被さってきた人でした。
久しぶりに会った私を見て、まるで親戚の子供に会ったかのように懐かしんでいました。
『大きくなったねぇ…可愛いのは変わらないね』
髪や頬を撫でながら話すその人が、昔大好きだった事を思い出しました。
声のトーンやテンポが聞いていて心地よく、不思議な安心感を与えてくれたからでした。
早くしたくて…と言うより早く突っ込んで欲しくてたまらなくなり、ぽ~っとしながら服を脱いで裸になっていました。
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