男は少女の左右の膝を左右の手で掴み、大きく広げようとしていた。
必死になって抗うコダマ。
勿論、股間を露わに晒すことに対する拒否感が大きな理由のひとつであった。
股間を露わにしてしまえば、それは己れの女性器を剥き出しにすることを意味する。
性器を剥き出しにしてしまえば、再び悪夢のような激痛に貫かれるのは必至だ。
性行為、男性器の挿入行為などという生易しい表現では済まない。
それは紛うことなき暴行であり強姦、即ちレイプに他ならない。
あの痛みと屈辱を再び味わうのは真っ平御免であった。
もうひとつの理由。
それは生理、所謂、『月の障り』を露わにすることに対する忌避である。
初潮を迎えた少女の誰もが『大人』になった徴と教えられ、寿がれる。
だが、同時に定期的に訪れる『それ』を露骨にすることを避けるべきであることを言外に教えられる。
明確な理由は知らされない。
『ただ何となく』そうすべきだというのが実感だ。
今のコダマには漠然とだが理由が分かる。
『初潮を迎える』ことは『受胎が可能な肉体』になったことを意味する。
『受胎が可能な肉体』は『受胎に至る行為』が可能であることと同義だ。
『受胎に至る行為』、それは男性との性行為に他ならない。
『性行為が可能』であることを『性行為の対象』として拡大解釈をするものがいないとは言い切れない。
拡大解釈の結果が、あどけない少女達に悲惨な運命をもたらす可能性は排除すべきなのだ。
いずれにせよ、今のコダマにとってその思考や論理に意味は無く、最短距離で辿り着いた結論だけに意味があった。
端的に言えば、ふたつだ。
暴力により犯されたくない。
経血に汚れた性器を見られたくない。
それ以上でもそれ以下でもなかった。
けれども少女は・・・悲しい程に少女でしかなかった。
所詮は女子中学生、十四歳の肉体が壮年男性の腕力に敵うわけがない。
ゆっくりと。
徐々に左右に広げられていく少女の両脚。
広げられていく過程、ある段階を超えてからは、力が入らないのか急速に開かれていくコダマの股間。
また・・だ。
また暴力に屈するのか・・。
また・・あの苦痛を・・?
「ひっ!」
正真正銘の悲鳴を上げる少女。
男はコダマの予想を遥かに超えた行為に及び始めていた。
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