帰国後に再会した祖母を見て、子供の頃とは視る眼が違い、女として視る
のですが、艶めかしい女のには驚きました。
気のせいか彼女が私を視る眼に、女のそれを感じたのです。
数年前の彼女とのオマンコが鮮やかによみがえり、そして思ったのです。
《好い女だな~ 好い体をしてるな~ 前のようにオマンコしたい》
それほどに魅力的であり、艶めかしい彼女だったのです。
彼女は54歳になっていたのですが、昔と変わらず瑞々しく若いのです。
その時は魅力的な彼女の年齢などは、考えても見ませんでした。
まだ12歳の私が自分の祖母に対してそのような感情を持つのは??と思
われるでしょうが、既にオマンコを長期間経験している私です。
満州へ帰ってからも榊原梢という同年の女の子と毎日のようにオマンコを
していました。
ある日の事でした。
《梢! お医者さんごっこをしよう》
《わたしを裸にして 全部調べてね》
初めの日は驚くといけないので、お医者さんごっこで、オマンコとマラを
いじったり、舐めたりだけでしたが、翌日にはオマンコに太いマラをはめた
のです。
それからは二人共にオマンコに熱中し、毎日はめていたのです。
彼女は1ヶ月ほどで、オルガズムを覚えたのです。
《あなたっつ 何か変よ ああ~っつ うくくきゅ~ん》イッタのです。
彼女は学校から帰ると、そのまま私の家に来て、2,3時間オマンコに狂
っていたのです。
父も母も仕事に出ていたので6時頃までは、二人だけになれるのです。
しかし大東亜戦争も末期になり、彼女の父親が転勤となり、そして辛い永
の別れになったのです。
最後のオマンコでは泣きながら口説くのです。
《きっとあなたのお嫁さんにしてね》
《梢は俺のお嫁さんだからね また会ってオマンコしようね》
そのような私でしたので、一般の子供達とは違い、女性を視る時は大人と
同じだったのです。
それまでのオマンコでは、素晴らしい快感があったのですが、最大級の目
くるめくの快感が得られる射精はありませんでした。
年少で知識の足りなかった私は、それがオマンコの全てだと思っていたの
です。
大人のオマンコの相手は余人に考えも付かない、再び祖母だったのです。
再会した彼女の濡め濡めで強く締め付けるオマンコに、射精という頭の芯
からしびれ、表現に窮するほどの淫爛なオマンコを、初めて経験させて貰っ
たのです。
この世の中にこんなにも素晴らしいオマンコがあったのか!!感嘆したも
のでした。
その瞬間に祖母のオマンコに溺れ、彼女も太いマラに執着したのです。
再開後の初めてのオマンコでは、はめている時間が長く、なお且つオマン
コからはずす事なく、連続的に何回でもはめる事が出来たのです。
これも梢との、毎日のオマンコのお陰なのだと思います。 次に続く
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