肌に纏わりつく湿気、古い気の匂い、どこか厳格な雰囲気、男の汗の臭気。祭りに湧く喧騒からはさほど距離のない神社の境内。その社殿の近くにある扉が開け放たれた倉庫の中で、繰り広げられた若い男との情事。今は遠い昔の出来事のように思えてしまう。
まるで映画のストーリーのように思えるけれど、確かにあった現実。忙しく送る日々の中で記憶の片隅で少しづつ色褪せていく。
あんなことが頻繁に起こったら堪らないけれど、無機質な生活に馴染んで精力的に涼子は生きていた。特段に不満はないけれど、何かが足りない気がするのは尋常ではない体験をしてきたからだろうか。そんなことを車窓の外で流れ去る景色をぼんやりと眺めながら、電車の揺れに身を任せている涼子がいた。
部分的にカットがされて襟足に向けて長い、そんなヘアデザインは肩まで伸びたセミロングに変わった。程よく伸びた前髪は少し浮かせて左右に分けられ、いい意味で大人の女性として魅力を増して輝いていた。
あんなにパンツスーツにこだわっていた出で立ちも、スカートスーツを身に着けることが増えた。 涼子自身は気付いてはいなかったけれど、美しい花に蜜蜂が誘われるように男性たちの視線を集めるのも必然と言えた。
それでもこのご時世に痴漢に走る酔狂な輩は早々現れるはずもなく、また願望を抱いてはいても全てを失うかもしれない愚行を犯す勇気のある者もいなかった。
けれど何事にも例外はあり、切っ掛けさえあれば間違いは起こってしまうものなのかもしれない。
早くオフィスに出社して、コーヒーを飲みたい。
そんな渇望を抱く涼子の前に、ホームから人の流れに押されて一人の男性が流れ着いたのだ。
爽やかで清潔感があって、涼子と少しずれる形で真正面に立った彼はそのあまりに近い為に居心地が悪そうにしていた。ふんわりと香る女の匂いは男の中の何かをくすぐり、気持ちを落ち着かせるのに苦労をする。
涼子もまた自分よりも歳下、恐らく20代の半ばから後半であろうその男性が放つ男の匂いに、心は穏やかではなかった。少し顔を横に向ければ唇と唇が触れてしまうかもしれない至近距離に、胸の奥の鼓動が早鐘を打つ。
自然とガードするように両腕を胸の位置で固定して、防御壁を築く。肩と太腿が触れて体温が伝わり、自分の中の得体が知れない何かが身動きをする。手放しで喜べはしないものの、女として許容のできる相手として心に淡い潤いを感じる。
そんな出会いだった。
それからは何度となく電車内で彼を見かけるようになり、今までどうして気付かなかったのだろうと不思議に思った。そして近くに彼を感じるようになり、隣や自分の前後に感じることも増え、身体が触れるか触れないかという立ち位置になることも、必然的に起こるようになる。
まるで女子高生のように高鳴る胸をときめかせ、そのくせ顔には微塵も出さない。嫌な女になったのかな……と、涼子はそっと溜め息を漏らす。
ドキッとした。不意に彼の手が自分の指に触れ、でもそれは電車の揺れによる不可抗力だと知る。
彼は痴漢に間違われやしないかと焦ったようにして、涼子に済まなそうに会釈をしながら指先でこめかみを掻いて見せる。
紳士というよりは嘘のつけない人柄というのか、涼子は彼に感心を持つようになっていた。
けれどこれまでに歳下と付き合ったことはなく、恋心というには浅すぎる。
とりあえずは興味ということよね、興味……。
誰に言うわけでもなく、心の内で自分で自分に言い訳をしてみる。
そして再び身体が密集することが起こり、お尻の片側に彼の太腿の体温が伝わる。微量の嫌悪感、それ以上にときめきとは別次元のざわめきが胸の内を撫でていく。涼子はあえてその正体から顔をを背け、気づかぬふりをした。
肌が触れただけで条件反射をするだなんて、時期尚早も甚だしい。彼がそんな人ではないと信じたいし、反応してしまう自分が嫌で自己嫌悪に陥った。けれど女としての勘が働き、警鐘を鳴らす。
そしてその勘はやがて当たり、涼子の気持ちは打ち砕かれることになるなんて、このときはまだ思いもしなかった。
この日も清潔な下着を身に着け、身なりを整えていつも通りに自宅を出てきた。その日の仕事を終えていつもの時間の帰宅ラッシュに湧く電車へと乗車、いつもと同じ疲労を抱えて人の群れの中で見を落ち着けていた。
次の停車駅で人が入れ替わり、もう慣れ親しんだ彼が乗車してきた。話もしたことがないのに一歩ずれて隙間を開ける、お互いにそんなことをするようになっていた。
二人だけにしか分からない意思疎通が交わされ、今では暗黙の了解が成り立っている。
さすがに正面に立つのは身体の密着度から遠慮をしたのか、わざわざ背後に回る彼。
涼子としては彼の胸に収まるかのような形になる方が好きだけど、背後から包まれるようになるのも悪くないのかな……。そんなふうに呑気に構えていた。
背中と下半身に伝わる彼の体温が相変わらず心をざわめつかせるけれど、まだこのときまでは安心感があった。なのに彼もまた、ただの男だった。
存在感を見せ始めた彼の分身がお尻に本性を現し、お尻の溝へと収まった。涼子は動悸を覚えて身体が強張るのを感じ、こう思った。
あぁ、また始まる……と。
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