徹は広島の定時制男子高校で特別講義を担当した。
タイトルは『快楽と妊娠』だった。
以下、その要旨――。
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人は皆、母親の膣から生まれる。
母親の膣へは父親の睾丸の中から尿道を通じて直接送り込まれる。
生まれると母親の乳房を口に含む。
たっぷりと母親の乳首を舐める。
そして成長する。
男は小学生になれば同級生の女の子の躰に興味をもつ。
女の子の股間を見てみたい、触ってみたい、という衝動に駆られる。
男は中学生になれば女の躰の知識を得て欲情する。
女も小中学生になれば男の子の躰に興味をもつ。
見てみたい、触ってみたい、という衝動に駆られる。
男は好きな女を犯す場面を妄想して激しく自慰をする。
女も好きな男に犯される場面を妄想して激しく自慰をする。
高校生になれば男女は付き合い始め、デートを重ねる。
互いに相手に対して優しく振舞い、相手に尽くす。
その目的は、女を抱くため、男に抱かれるためだ。
女を抱き、男に抱かれ、自己の性欲を満たすためだ。
成熟した男女はやがて結婚を望み、互いにプロポーズをする。
夜景の綺麗な高層レストランか何かで雰囲気を作り、
「きみの可愛い笑顔を毎日見ていたい、僕と結婚しよう」
「素敵なあなたとずっと一緒にいたいの、あたしと結婚して」
とか何とか言って互いに綺麗ごとを並べる。
が、本音は、
「毎晩この女を抱いてこの女に射精する快楽を味わいたい」
「毎晩この男に抱かれる快楽を味わってこの男の子供を産みたい」
にほかならない。
結婚した男女は毎晩狂ったように快楽性交に耽る。
「結婚」した「愛し合う夫婦」という名目があるから誰にも遠慮はない。
公然と激しく熱く淫らで破廉恥な快楽性交に耽る。
じきに女は孕んで子供を産む。
女が産んだ子供を男女2人で大事に育てる。
激しく熱く淫らで破廉恥な快楽性交の結果としてできた子供を。
腹を膨らませた女が買い物に出掛けて街を歩く姿を見かける。
電車内であればその女に席を譲り、会話が始まれば生まれてくる子供に話題が向けられる。
妊娠を祝福するムードを作ってくれる。
が、実際には祝福ムードで接してくれる者ばかりではない。
腹を膨らませた女が街を歩くということは、
「恥ずかしながら私は男と破廉恥な快楽性交に溺れました」
と公言して歩くことにほかならない。
街ゆく人々は口には出さないが、孕んだ女に対して、
「可愛い顔してあの女はいつ子供の作り方など覚えたのだろう?」
「あの女はセックスでどんな破廉恥な喘ぎ声を出すのだろう?」
「あの女はどんな淫らな姿で男から子種を受けたのだろう?」
などと妄想を掻き立てられる。
妊娠した女に好奇の視線を向ける。
腹を膨らませた妻の隣に夫がいるならば、夫も
「恥ずかしながら私はこの女との性交で気持ちよくなってしまい、膣の中に射精してしまってこの女を孕ませてしまいました」
と公言しているも同然だ。
とはいえ、男の方には、
「妻が孕んでいる子は私の子とは限らないから、私自身はスケベな性交に溺れたとは限らない」
と弁解する余地は残されている。
子供の真の父親は母親のみぞ知る。
とはいえ、妻の孕む子供が自分の子種ではないと認識したら妻と並んで街を歩くことはないだろう。
当然、妊娠した女の側に弁解の余地はない。
腹を膨らませた女は、男との性愛の快楽に溺れた女だ。
男に乳房と陰部を弄ばれ舐め回されて濡れた女。
男に乳房を揉まれ膣に男根を抜き差しされて悦び喘いだ女。
男の逞しい男根で膣を責め立てられて激しい快楽に溺れた女。
膣で男を気持ちよくさせて膣内で男を激しく射精させた女。
これが妊娠して腹を膨らませた女の実態だ。
が、世間ではこれを「おめでた」といって祝福する。
女も膨らませた腹で安心して街を歩けるという道理になる。
ここで、日頃よく見かける光景を思い出そう。
両親が小さな女の子を連れて来て一緒に楽しそうに遊んでいる。
手を引いて歩いたりブランコに乗せたりシーソーをしたり……。
父親も母親も女の子の仕種や笑顔が可愛くて仕方ない。
女の子が健康で明るく活発に育つよう、毎日大切に育てている。
このような幸せそうな家庭はどのようにして作られたのか。
この女の子が生まれる一年ほど前、両親は単なる男と女だった。
新婚直後の若い男と女にまだ子供はなかった。
2人だけの「甘い新婚生活」を送っていた。
世間一般でいう「甘い新婚生活」は表向きの表現だ。
その実態は「卑猥極まりない淫婚生活」にほかならない。
男と女は仕事から帰宅するとすぐに互いの躰を求めた。
毎晩、ベッドで全裸になって恥ずかしい性行為を繰り返した。
愛すべき可愛い女の子を作ろうとする意図は全く念頭になかった。
単に「異性」という互いの肉体に欲情して快楽を貪っただけだ。
男は毎晩、妻を裸にして妻の肉体を弄んで興奮した。
女も毎晩、夫に裸にされて肉体を弄ばれて興奮した。
男は妻の乳房や陰部を淫猥に弄び、卑猥に舐め回し、快楽に喘ぐ妻の淫らな姿に興奮して男根を痛いほどビンビンに勃起させた。
女は夫に乳房や陰部を淫猥に弄られ、卑猥に舐め回され、そのイヤらしい行為に興奮して、乳首を勃起させ膣を愛液で溢れさせた。
男は妻に覆い被さり、妻の卑猥な膣肉へと己の淫猥な男根を捻じ込む。
妻を性奴隷として支配する悦びに激しく興奮しながら。
女は夫に覆い被さられ、己の卑猥な膣肉へと夫の淫猥な男根と捻じ込まれる。
夫の性奴隷として征服される悦びに興奮しながら。
男と女は互いに腰を激しく上下させる。
互いの性器から燃え広がる淫らな快楽に悶え喘ぎ叫ぶ。
実際、スケベでイヤらしいことをすればするほど快感は増幅する。
男と女はより深い快感を求めて破廉恥極まりない痴態を晒す。
単なる性獣と化し、人間とは思えないような喘ぎ声や呻き声を放つ。
夫は顔を紅潮させて恥ずかしそうに喘ぐ妻が可愛くて仕方ない。
己れの男根が妻をこれほどまでに悦び喘がせているのかと思う。
興奮と支配欲がさらに高まり、腰の前後運動の激しさを加速させる。
妻の喘ぎ声は激しさを増し、やがて妻が快感の絶頂へと昇り詰める。
「ああッ、あなたッ、愛してるわッ、気持ちいいッ」
妻が夫にしがみつき喘ぎ叫びながら絶頂して全身を痙攣させる。
妻は夫に抱かれている間は「夫に愛されている」と実感できる。
夫に抱かれ膣を責め立てられる快感は妻を幸福感で満たすからだ。
夫も妻を抱いている間は「妻を愛している」と実感できる。
妻を抱き膣を責め立ている快感が夫を幸福感で満たすからだ。
性交で快感を得ている間は「愛し、愛される」実感が得られる。
「性交=男女が愛し合う行為」と見做される所以だ。
愛し合うから性交するのではなく、性交することで愛し合うのだ。
やがて夫も耐えがたくなり、呻きながら妻の膣に勢いよく射精する。
男が妻の膣に射精する快感はたまらない。
愛する妻の膣。
愛する妻の可愛い喘ぎ顔。
愛する妻の可愛い喘ぎ声。
よがり喘ぐ可愛い妻の膣に思い切り射精するのだ。
妻の膣に射精する快楽。
これが男にとってはたまらない。
いや、男に限らない。
女にとっても同様だ。
女が膣に夫の射精を受ける快楽はたまらない。
絶頂した直後の膣に射精される快感。
愛する夫の男根。
愛する夫の切ない喘ぎ顔。
愛する夫の切ない呻き声。
愛する夫の男根が勢いよく精液を噴く。
自らの膣に愛する夫の精液が放たれる。
その気持ちよさが忘れられない。
毎晩毎晩これを繰り返す。
昼は互いに「性交には興味はありません」といった顔で仕事に励む。
家に帰れば2人でおぞましい性獣と化して淫楽性交に耽る。
数か月ほど経つと妻の躰に異変が起こる。
往診から帰ってきた妻が、「できちゃったらしいの」と夫に告げる。
それを聞いた夫は大袈裟に喜んでみせる。
毎晩、淫乱で破廉恥でスケベでイヤらしい性行為に耽った結果だ。
妻の妊娠を妻の手柄として賞賛することで、快楽に溺れた過去の恥ずかしさを紛れさせる。
恥ずかしい性行為を大手を振って肯定できる。
妻も夫との恥ずかしい性行為の日々を顧みる。
が、夫に喜んで貰えれば、快楽に溺れた恥ずかしさは軽減される。
後日、男も女もその両親や周囲の者に子供ができた旨を報告する。
恥ずかしい性行為の記憶に顔を赤らめながら。
が、周囲の者はそのことには触れず、祝福や歓迎の言葉を浴びせる。
無論、若い男女が淫猥な快楽性交に溺れた結果だと認識しながら。
数か月後。
生まれた女の子は健康に育つ。
この女の子を作った快楽性交も男女は幸せだったが、この女の子の誕生と成長もこの男女にとっては幸せだ。
両親にとって生まれてきた子供はたまらなく可愛い。
大事に大切に育てて幸せな人生を歩ませたいと願う。
無論、女の子の将来は大抵、その両親の思い通りにはならない。
成長途中で事故や病気で死に至ることもある。
中高校生になれば反抗したり犯罪に手を染めたりすることもある。
親に反抗し親に心配をかけ親を苦しめるようになった娘を見て、両親はその女の子を作った性交のことを思い出す。
あの破廉恥な快楽性交に溺れた結果、できた娘だということを。
後悔の念に駆られる。快楽に溺れた過去の自分を恨み蔑む。
他方で、子供が両親の思い通りに育つ場合も稀にはある。
素直で人に優しく明るく上品で皆に好かれ、成績優秀で希望通りの進路を実現させた娘を見る。
その女の子を作った性交のことを思い出す両親はほとんどいない。
なぜか。
そのような破廉恥性交の結果としてできた娘だと認識することは娘の存在を汚すことになるという感覚が生じるからだ。
目の前にいる娘は素直で可愛い。
自慢の娘だ。
快楽性交に溺れて娘を作ったことに後悔はない。
が、なぜか、その行為自体は肯定しがたい感覚に陥る。
これは、性交の快楽をタブー視する日本の文化的背景による。
当然、娘にも性交の快楽を覚えさせたくないと思う。
両親から見て完璧だった娘の人生の一面に翳が射すからだ。
が、両親と同様、娘もいずれは性交の快楽を覚える。
両親が破廉恥な快楽に溺れたのと同様、娘も快楽に溺れる。
男と淫猥で破廉恥極まりない快楽性交に溺れ、やがて妊娠する。
人類はこれを飽くことなく繰り返して子孫を残してきた。
何万年と続くその淫猥な営みにどのような意味があるのか。
それを解明することなく、人間はこの行為をひたすら繰り返す。
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徹はこのように結んで講演を終えた。
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