人は何に対して羞恥心を感じるか。
それはその人の生育環境ないし文化的背景によって異なる。
日本人の文化的背景に鑑みるとき幼児期の自慰行為に対して特に母親が羞恥心を感じるのはごく自然な感情だ。
といって低年齢の娘を母親が一方的に叱ったり阻止したりすると、娘の思考や感情を屈折させる可能性がある。
性器に限らず自分の躰を触るときは常に手を清潔にすること、自分の裸や排泄行為や自慰行為は家族以外の人に見せないようにすることを伝える程度でよい。
ある程度の年齢になれば本人にも羞恥心が芽生え、これらのことは自然に家族にすら見せなくなる。
自分の躰に快楽を求めるのは生物的な本能だ。
阻止すること自体に無理がある。
中世の西欧諸国で流行した貞操帯は、処女の自慰行為を防止する目的で使用された。
が、中には頑丈な貞操帯を噛み千切ったり引き千切ったりする例があったという。
それほど、性欲すなわち快楽を求める本能は強力だった。
茜の自慰行為は一般的な幼児のそれとは少し事情が違っていた。
加奈子が茜の自慰行為に気づいたのは録画映像からだった。
自宅には地下の「ラブルーム」のみならず、リビングや和室などのあらゆる部屋、プールや庭園を含めた敷地内のあらゆる箇所に防犯用の、時には小説のネタ用のカメラが設定されていた。
人の動きや体温を検知して録画が開始されるシステムだ。
通常、それらの録画を全部チェックすることはない。
偶然、加奈子が小説執筆のネタを探すために夜の徹との営みを確認しようとしている最中に発見したのだった。
徹と加奈子が所用で外出している日中、使用人が清掃を終えて誰もいなくなった時間を見計らって、リビングのソファーに座って股間をいじる茜の様子が映っていた。
スカートとパンツを脱ぎ、下半身を丸出しにして恍惚とした表情を浮かべていた。
徹と加奈子の性交を何度も見ている茜は、性器を触ることで得られる快楽を既に知識としてもっている。
実際の行為でそれを感じているのだった。
他の幼児と異なり、明らかに自覚的に行っている。
両親がいないときを見計らってしているので、敢えてこれを本人に伝える必要はないと判断した。
手が清潔かどうか……これも心配はないだろう。
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