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彌久抄
カテゴリ: 官能小説の館    掲示板名:ノンジャンル 官能小説   
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1:彌久抄
投稿者: うなぎだ ◆OIVbvWW3pE
「僕と、その……付き合ってもらえないかな?」
 セイテンノヘキレキ。確かそんな言葉だったかな。アリエナイ。と、思うほどにこの人、確か中山君だったかは、私にとって意外な人物だった。辛うじて名前を覚えてたってくらい、ほとんど話した事もない人だ。
 その人に呼び止められた放課後の体育館脇。あまりもの驚きに眼鏡がズレた。
「あの、そんな……急に言われても」
 一年生の時にだけ同じクラスだった中山君は私以上に影の薄い人で、覚えているのは窓際の後ろの方になんか居たって事ぐらい。
「駄目……かな? やっぱ」
 汚れた上履きの爪先がおどおどしている。もし私みたいなのがこの人と付き合ったら、目立たない者同士ひとまとめに、からかわれちゃうかも知れない。
「あ、ありがとう。でも……私」
 変な汗が腋に滲む。告られたのなんて初めてだし、どうやって答えていいのか。
「その、別に嫌とかじゃないの。ただ、私中山君の事全然知らないし、話した事もあんま無いし……」
 はっきり断わるのもなんか申し訳ないし、もしかしたらすごくいい人かも知れないし。逆にアブナイ人で、変に逆恨みされちゃうのも怖いし。
「じゃぁ、友達って感じでもいいから」
 あぅ、もっと断わり辛くなっちゃった。どうしよう。どうしたらいい。
「でも私、可愛くもないし、話なんか面白くもなんともないし……」
 爪先が一歩踏み込んで来た。背中がコンクリート壁にくっついて、汗を冷やす。
「そんな事無いよ。阿部は可愛いし、僕、同じクラスだった時からずっと見てたんだ。……いや、変な意味じゃ無くて」
 見てたって、私なんかの事を?
「あの、返事はまた今度でも……いいかな」
「あ、うん……そうだよね。急にこんな、困るよね」
「ううん、こっちこそ、ご、ごめんね」
 切り抜けた……いや、全然切り抜けてない! 先送りにしただけだ。なんで私っていっつもこうなんだろう。
 私は顔を上げて中山君が去った後の景色を見渡す。遠くからの潮風が誰もいない校庭の砂を巻き上げて、どこかの荒野みたいだ。私はひどく落ち込みながら、脱力感を肩に乗せて学校を後にした。疲れた。ドキドキがまだ治まらない。坂を下る足音がいつもよりパタパタとうるさい。
 県道の真上にモノレールが走る。錆びかけた階段を昇った先のプラットホームには、中山君が居るかも知れない。だから今日はバスで帰ろうか。そう思っている時に、香奈からのメール。今、大船で買い物してるって、暗に買い物付き合えって事だ。道路を渡るのをやめた私は、返事を打ちながら手前のバス停に立った。

「中山? 誰それ」
 香奈はフライドポテトを頬張りながら喋る。
「一年の時にさ、窓際の一番後ろ座ってた、ちっちゃい人」
「あーなんか居たね、アタシらより少し背の高いぐらいの。ちょっとキモいやつじゃなかったっけ」
 安いアクセサリーショップで買ったと言うキラキラしたピンクの髪止めを眺めながら、そしてポテトに手を伸ばしながら、口を動かしている。
「その人にね、さっき告られた」
 そう言うと、ポテトを半分くわえたまま目を見開き固まった。
「体育館とこで、あれ、待ち伏せされたのかな。付き合ってくれって」
「マぁージでぇー!?」
 彼女は私と対照的で、派手好きの目立ちたがり屋。明るくて可愛いし、男子にも人気あって羨ましく思う事だらけだった。彼女ならハッキリ断われたりするんだろうな。
「んで? んで?」
「断わろうとしたんだけど、上手く断れなくて……」
「何よそれー!」
 見事に仰け反った。後ろに壁があったら多分後頭部を強打して事故になっていた。私は俯き、溶けかけた氷をストローで突つく。
「だって……」
「彌久ったらいっつもそう。ハッキリしなよ」
「今度改めて返事するって、逃げて来ちゃった」
「保留かよ! バッカねぇ。相手は勝手にいい方に受け取って、勝手に盛り上がっちゃうんだから」
 目の前に萎えたポテトを突き付けられる。
「そういうもん?」
「そういうもん! ホントあんた男知らなさ過ぎ」
「だって……しょうがないじゃん」
 ストローを吸ったけど、ズビビって音が出るだけだった。
「そう言う時はね、付き合ってる人がいるのーとか、好きな人がいるのーとか、テキトーな事言っとけばいいのよ」
「嘘つくの?」
「うぜーっ」
 香奈は笑いながら思った事をズバズバ言う。でも、そんな所も彼女の魅力だと思う。
「よし、じゃあ実際男作っちゃお。それなら嘘じゃなくなんじゃん」
「そういう問題じゃ、ないと思うんだけど……」
「今度の週末いい男紹介すんからさ、彌久もいい加減カレシ作りなー」
「そんな急に」
 ただ、いつも強引で私を振り回す。
「最近知り合った人が大学生でさ、イケメン連れて来させんから。後は私に任せなって」
 そう言うと香奈はシナシナになったポテトをゴミ箱にぶち込んで、私の手を引っ張って行った。

 あれは小学生の頃で、たぶんお人形さん遊びの延長だったんだと思う。私がお人形さん役で、色んな服に着せ替えてもらったり、髪をとかしてもらったりして遊んでいた。香奈は綺麗な服をたくさん持っていて、着せてもらうたび、なんだか私が香奈になったような気分になって。二人だけの秘密の遊びだったなって、そんなことを思い出していた。
「これなんかどう?」
「えー、短か過ぎるよ」
 香奈の両親がそれぞれに出掛けた日曜の午前中。まずは服のコーディネートからと言って自宅へと呼び出された私。
「つべこべ言わない。だいたいアンタが地味ぃな服しか持ってないのが、いけないのよ」
 言いながら私を立たせて、ジーンズのボタンを外す。私はあの頃の遊びを思い出していた。全て香奈にやってもらって、私はただ立っているだけ。バンザイしてと言われ、子供みたいにTシャツを脱がされる。
「彌久、結構胸おっきくなってきたじゃん」
「そんなこと……」
「同じくらいかなぁ。下着もアタシの勝負下着貸したげんね」
「いいよ、そんな」
「お人形さんは黙って言う事聞いてなきゃダメ」
 ギクリ、とした。香奈もあの頃の遊びを思い出していたんだ。
「これとかスゴくない?」
「透けてるよ? そういうのは香奈が穿きなよ」
「過激すぎて穿けてないからアンタに穿かすのよ」
 クスクスと笑いながら私のパンツを下ろす。私と香奈は相変わらず背丈も体型も一緒みたいで、下着も服もぴったりだった。
「うん、彌久カワイイ!」
 鏡に映る香奈が私の髪をブラッシングしながら言った。赤いミニスカート。黒いキャミソールに白いワイシャツ。蝶々のゴム飾りで短い髪をまとめ、淡いピンクのリップを塗られる。仕上げは頬っぺに軽いキス。こういうの五年ぶりぐらいで、私は顔を赤くした。
「似合ってんだけどねー、眼鏡がまだ地味なのよねー。今度コンタクトにしちゃいなよ」
「コンタクトは苦手だよ」
 でも、鏡の中の私は私じゃないみたいで、だから自由に振る舞える気がした。

 いつも膝下まで隠れる長めのスカートかジーンズばかりの私にとって、こんなミニは落ち着かないったらありゃしない。ポーチでお尻を押さえながら、駅の階段を昇るのも苦労した。スカートだけじゃなく、黒いキャミまでもが短い。人前におヘソを晒すなんて初めてだった。周りの視線ばかりが気になって、絶対似合うとか言ってたその言葉が今さらながらに怨めしい。
「早く! 電車来たよ」
 赤と白のボーダーシャツにグレーのパーカーを羽織った香奈が、階段を昇り切ったプラットホームで手招きする。同時に、モノレールがホームに滑り込んで来た。
「あっちー」
「暑いね」
 ボックスシートに座ってから私はワイシャツを脱ぎ、膝元を隠すように掛ける。車窓からの陽射しが肩に刺さり、日焼けしそうだったけど我慢した。西鎌倉を出て加速したモノレールはトンネルを越え、晴天の街へと飛び出して行った。

 大船駅に着いて改札口。後ろから馴れ馴れしく声を掛けて来た二人の男。
「あ、慎治、待ったぁ?」
 一度だけ、香奈を迎えにきた車の運転席にチラリと見た事のある人。
「今来たとこだよ。その娘? 友達っていう」
「うん、彌久って言うの」
「ミクちゃんか。可愛いじゃん」
 私は緊張してお辞儀するのが精一杯だった。下を向きながら一瞬チラリと覗き見れば、案外優しそうな人たち。
「慎治と健介。横浜の大学通ってるらしいんだけど、前にね、そこの商店街でナンパされちゃってさ」
 確かに慎治さんはいかにも軽そうで、茶髪からピアスを覗かせている。隣の健介さんはガッチリした体格に短めの髪が似合っている。駅前には大きな白いワゴン。黒い窓を見て、やっぱり怖い人たちなんじゃないかって不安もよぎる。
「じゃ、行きますかー」
 高速に乗って横浜へ。彼らは前に座り、私たちは後ろの席。受験を控えた私たちにとって大学の話は楽しくて、憧れが詰まっていて、横浜に着くのもあっと言う間に思えた。

 伊勢佐木モールの街路樹の下でぶらぶらと過ごす。横浜へはよく香奈と二人で来て買い物したり、ハンバーガー屋さんで何時間もダベったり、カラオケ入り浸ったり、プリクラ撮ったり。でも今日はいつもと違う。派手なお洋服着て男の人がいて、ダーツなんて初めてだったし、男の人とカラオケ歌うのも初めてだった。なんだか楽しくて嫌な事も受験の事も、みんなみんな忘れてしまう。
「いつもこんな風に遊んでんの?」
「たまにねー」
「ズルイ。最近遊びに誘ってくんないと思ったら」
「だってアンタ男が一緒って言ったら、来たがらなかったじゃん」
「そ、それは……」
 それは気を使ってたんだ。私なんか居たら邪魔だろうと思って。でも何でだろ、今はそんな風には思わない。この短いスカートのせいか、みんなの笑顔のお陰か。ここに居てもいいような気がしてきた。

「疲れたでしょ?」
 香奈と慎治さんがクレーンゲームやってるのをベンチで眺めていた時、缶ジュースを二つ持って健介さんが声を掛けてきた。私がオレンジジュースを指差すと、彼はプルトップを開けて差し出してくれる。
「ううん、ぜんぜん」
「また一緒に遊ぼうな」
「うん!」
 頷いた瞬間、中山君の顔が脳裏を掠めたが、すぐに打ち消す。今目の前にいるこの人は大人の男性だ。一緒に遊んでいると、自分も大人になったような気分になれる。
「ミクちゃんてさ、彼氏とかいないの?」
「え? あ、そんな、いませんいません」
「へぇ、こんなに可愛いのに?」
 じっと見詰められて、男の人に可愛いなんて言われたのは初めてで、とてもじゃないけど直視できない。多分私の顔は赤くなってる。
「でも、モテんでしょ?」
 俯きながら首を左右に振る。普段の私を見たらきっと幻滅するに違いない。
「そろそろ帰るかー」
 慎治さんがこちらに歩きながら言った。よく見れば香奈と手を繋いでる。ただの友達だって言ってたのに、とてもそんな風には見えなかった。

 ゲーセンを出たら外はすでにオレンジ色で、一日の終わりがとても早く感じる。私たちは車に乗り込み帰路についた。
「楽しかった?」
「うん!」
 帰りは健介さんの運転で、私は助手席。後部座席では香奈と慎治さんがイチャついてる。チラチラとルームミラーを覗いてみるけど、慎治さんの頭頂部しか見えなかった。赤信号の時、ふと健介さんの顔が近付いて来て、私に耳打ちする。
「あいつら、見せ付けてくれんよな」
 一瞬だけ後ろを振り向いてみた。そして私は、二人がキスしてるところを見てしまった。仄かに覚える嫉妬。香奈が奪われるような、そんな気がして。やがて信号が青に変わり、私はそそくさと前を向いた。健介さんは苦笑いを浮かべながらアクセルを踏む。

「ウチ寄ってく?」
「おお、そうだな。軽く飲もうぜ」
「私もー」
 慎治さんの誘いに他の二人が乗ったのは、ファミレスに寄ってご飯を食べていた時だった。
「私は……」
「もちろん彌久も付き合うよね」
 三人の視線が集まる。こう言う時にはっきりと断れない自分が怨めしい。でも断ったら、せっかく楽しかったのが嫌な空気になっちゃいそうで。基本私に無関心な母だから、香奈んちに寄ってくってメールすれば何も言われないし、だからいいか。ちょっとぐらいなら。

 慎治さんは大船のマンションで独り暮らしの2DK。繁華街が近いせいか、パチンコ屋さんの音が微かに聞こえる。目の前の大きな座卓には吸殻の溜まった小さな灰皿、テレビのリモコン、缶ビール、サラミに裂きイカ、などが雑然と散らかっていた。フローリングの床には雑誌や漫画が髪の毛まみれ。いかにも男性の独り暮らしと言った感じで掃除ぐらいして欲しいと。でも今、私はそんな事より香奈が普通に缶ビールを飲んでいる事に驚きを隠せずにいた。こんな香奈、見るの初めて。
「彌久も飲んでみなよー」
「私はいいよ」
「缶酎ハイの方がいいんじゃね? これならジュースみてえなモンだし」
 くわえ煙草の慎治さんがコップを出して来て私の前にドン。毛の生えた太い腕がにゅっと伸びて、銀色の缶からシュワシュワした透明の液体が注がれる。私は断りきれず、それを恐る恐る口に含んでみた。柑橘系の仄かな甘さと強い炭酸。確かにジュースみたいだけど、ちょっと苦い後味に顔をしかめる。
「これなら飲めんべ」
 正直、ちょっとは興味あったんだ。香奈が飲んでるんだから、私だって。
「……うん」

 
2021/02/09 18:53:42(yfGernhw)
7
投稿者: J ◆WCdvFbDQIA
ドロドロしながらも凄く爽やかな話で一気に読み終えました。
次回作に期待しています。


21/02/13 16:15 (Lat5wsFt)
8
投稿者: うなぎだ ◆OIVbvWW3pE
ありがとうございます。書き貯めている物を上げて行きたいと思います。
21/02/16 08:07 (dh3ZeD8X)
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