2014/12/18 22:20:30
(TX0nLiC9)
大阪市中央区千日前1丁目6-10 千寿ビル地下1階
空閑文庫 090-3947-2161 空閑明大
私の記憶が正しければ、柄谷さんはその空閑さんに200万円渡したはずです。その金銭で小さな事務所を借りて、それをNAMの事務所にしてもらいたいというようなことでしたが、しかし空閑さんは勝手に大きな物件を借りてしまいましたので、家賃の支払いに苦労することになりました。初期のNAMのトラブルの原因というのはそういうしょうもない些細なことから始まりました。
私自身は大阪のスペースAKに行ったり、空閑さんと会ったりしたことはありませんが、知っている範囲でいえば、スペースAKは古本屋でもあれば左翼の集会や交流会をするような場所でもありました。現在もあるはずです。先程申し上げた通り、空閑さんは広い物件を借りてしまい、家賃の支払いがしんどかったので、NAM会員に自分のスペースAKに来てもらって金銭を払ってもらわなければ経営がやっていけない、というようなことになりましたが、でもそれは、彼が小さな事務所ではなく大きな物件を独断で借りたからそうなっただけなので、どう考えても自業自得です。
空閑さんには、彼に自己犠牲的に奉仕してくれる若い人々が大量にいました。事務局長の乾口さんをはじめ、岩田さん、米正さんなど沢山の人々がいましたが、そういう関西の人々の意見は、空閑さんは善人、いい人なのだというようなことでした。そうなのかもしれませんが、でもその空閑さんという人は、他人、例えばNAM東京の人々を理不尽に罵倒したり恫喝したりするどうしようもない人でした。メールでそうだっただけではなく、柳原さんに毎日「ぶっ殺す」などと脅迫電話を掛けてくるような人でしたが、私自身がそういう人のことを善人、いい人などと少しも考えないのも当然なのではないでしょうか。
NAMの全国大会があり(私は行きませんでしたが)、そのとき、空閑さんは高瀬さんなどのNAM東京の人々を入場させるのを拒もうとしたそうです。山城さんは自分に謝ってきたから許してやってもいいとかいう話でしたが、実に自分勝手です。高瀬さんは当然、非常に不愉快でしたが、NAMではそういう不愉快な人間すら排除してしまうわけにはいかない、といっていました。
最終的に当時NAM代表だった柄谷さんが、空閑さんと訣別しましたが、事務局長の乾口さんは「彼は工場労働の仕事をやめてスペースAKを開いたからNAMの原理を実行した唯一の素晴らしい人間だ」とかいう理解不能の破綻したロジックで空閑さんを擁護しました。けれども、工場をやめて古本屋を開くことがNAMの原理を実行することなのだなどという考えはくだらないと思います。しかも、自分の金で開いたわけですらなく柄谷さんの金なのです。
空閑さんは、自分が個人的に嫌いな人々はメーリングリストに登録しないとか、排除してしまうなどといった我儘勝手をしていましたから、そういうことでは困るので、NAM事務局を移転してもらいましたが、でもそのことに、空閑さんは激しく抵抗しました。彼にとってはNAM事務局の持っていたもの(それは第一に会員情報であり、第二にNAM会費からなる資金です)が彼のくだらない権力の源泉でしたから、それを手放したくなかったというだけです。でも、太田出版の高瀬さんが大阪まで出向き、柄谷さんや乾口さんも同席して、会員データなどを引き渡してもらいました。けれどもそのときに、多額の現金がなくなってしまっていました。