名無しさん
年月が過ぎて、八十を過ぎた隣のオバさんを見て当時が懐かしく思えるのは、その時は辛かった出来事も貴方が大人になって其々の要因を理解されたからだと思います。
思春期に抱く大人の女性への憧れは、その相手の表面しか見えないと思いますし、内面なんて深く関わらないと現れて来ませんし、まして裏の顔なんて知らぬが仏です。
8さんの言われている様に、世間から取り残された様な過疎地での生活は退屈で毎日が同じ事の繰返し、寂しいと思う気持ちも薄れて行くのだと思いますが、旦那様方は外の仕事で気が紛れても留守を家で守る奥様方は何も有りません。
子供が幼い間は育児や家事で紛れますが、手を放れて家から出られると野良仕事でもしながら旦那様方の帰りを一人で待つしか有りません。
五十前後になると、そんな暮らしが当たり前の様になりますが体は女としてまだ終わっていません、でもその年代になると旦那様方は殆ど相手にしなくなっているのが現実で、奥様方が欲求を抱いても満たされる事無く、平然と毎日が繰り返されて行きます。
当時、自分の村や近隣の村でも、そんな年代の奥様方と近所の爺さんがデキてるって話はよく聞く事で、大概は女癖の悪い爺さんから目を付けられるのですが一旦関係してしまうと、逆に仕掛けられた方が爺さんを放さなくなっている事が多い話です。
自分が勤めていた林業の先輩方は定年過ぎの方ばかりでしたから、そんな癖の悪い爺さん達とは同年代で、あの家の女房は遣らせるとか、あの女房は激しいだとか、酒の席で良く噂話しを聞かされていたと言います。
仕事は炭焼きもして、民家に直接配達もしていましたが自分が十八で免許を持つまでは先輩方がしていました。
免許を取って仕事を引き継ぎ配達に出掛ける時に先輩の一人から、お前筆下ろしはまだやろ、あの家の女房は好き者で頼めば遣らせてくれるからとコッソリ耳打ちされました。
親方の奥さんとは二年越しの関係で、この間からは家に呼んで遣らせて貰っているとは誰も知るよしも有りませんから、先輩は絶対遣らせるから頼んで来いと笑って見送りました。
問題の家への配達は下心も有り一番最後にしました、期待して玄関で待っていると出て来たのは、親方の奥さんよりもかなり歳上の印象で期待外れもいいとこでオバさんとゆうより、どちらかと言えばもうバアさんでした。
さっさと炭を置いて帰ろうとしたら、お茶出すから飲んで行けと呼び止められ和菓子まで出され仕方なく頂いていると、あんた見たいな若者が地元で仕事って珍しいなと話し掛けられ、それに山で職人遣ってるなんてと凄く驚いていました。
まあ、この歳で地元に残ってる奴は居ませんでしたから、珍しいのは確かですが何かバカにされている様な気がしていると、地元に残って凄く立派だよと誉め称え、でも地元に釣り合う年代の娘が居ないから大変だろうと聞いて来ました。
大変?何の事だろと思っていると、アレだよ、アレはどうしてるんだと言って、私で良かったら相手してやろうかと、あから様に誘って来られました。
体は痩せ細って服の上からも胸はペッタンコだと一目瞭然、興味も湧かず唖然としていると遠慮せんでええから一発抜いて行けと、玄関入った土間で下着を膝まで下ろして生尻を平然と向けられました。
まあ毎晩自分でもしている様な年代ですから、いざ見せられてしまうと股間は勝手に過剰な反応しますから結局は遣らせて貰ったのですが、親方の奥さん以外とは初めてでした。
入れた瞬間に相手によって中の具合が違うんだなと感じました、中の締まりが半端無く三擦り半で逝かされました、メチャクチャ気持ち良かったのです。
終るとバアさんは、どうだいスッキリしたかと聞いて平日は夕方まで父ちゃんは戻らんから、また溜まったら日中にゆっくり抜きに来たらええよと平然と言って帰されました。
職場に戻ると先輩は直ぐにどうだったと聞いて来ましたが、自分はからかわないで下さいよ、歳上過ぎますからと誤魔化しましたが先輩は笑いながら、そうか俺から見たら年下でもお前からすると、もう六十過ぎの婆さんだからなと笑い転げていました。
六十過ぎと聞いて驚きましたが、入れた中の気持ち良さにはもっと驚かされ、年齢はあまり関係無いのかと当時は不思議な思いでした。
炭の配達に近隣の集落を回っていると、大概は自分を見て驚きながら地元に残っている事を凄く誉めてくれました。
それだけ若い働き手は地元から流れ出して戻らず、過疎化の町は住人の半数以上が定年を過ぎた所謂、限界集落が密集した地域となっていました。
親方の奥さんが、何とかして自分を繋ぎ止めたいと思っている理由を、配達に回りながら実感していました。
配達に訪れた玄関先で炭を渡して、お茶でも飲んでお帰りと中に招き入れてくれる方は、殆ど親方の奥さんと同年代の五十前後の方で自分を子供と重ね合わせて見ている方が殆どでしたが、中には色目遣いで胸元を開いて遠回しに誘って来る方もいて、何度か配達に訪れている間に遣らせて貰える様になっていましたが、自分の若い精力をぶつけてもそれを上回る勢いで迫って来られますから、普段の欲求不満が伺えます。
途中で中には絶対に出すなと言って来た方は一人だけて、後の方は平然と中に出させていましたので、一人を除く他の方は閉経していたのだと思います。
親方の奥さんしか知らなかった自分は、配達の際に他の方とも経験する様になり相手によっての違いを知れば知る程、一番最初に、あからさまに誘って来た六十過ぎた婆さんの中の気持ち良さを改めて思い知らされました。
所謂、奥行きの浅い皿と呼ばれる女性器の持ち主だったと思います、入れると直ぐに底着き感があり、奥へ差し込むとギュウギュウに締まって来て、他の方に入れた感覚とは全く別物です。
親方の奥さんには、色気のあるキツイ顔立ちや豊満なその体に幾ら遣っても飽き足らない程の魅力を感じていましたが、痩せこけた体に一見願い下げだった、六十過ぎの婆さん独特の気持ち良さはには惹かれてしまい、配達が無い日も最後に立ち寄っては何度もお願いしていました。
自分が来ると、また来たんかと嬉しそうに婆さんが出してくれた萎びた尻に飛び付いて犬の様に必死で盛っていました。
女の加齢による性欲の減退は人其々だと思いますが、必ずしも年齢とは一致しないと思います。
自分が田舎で関係した方々は四十半ば以上だったと思いますが、一旦始まると普段満たされない欲求を、自分の若い体に求めて止まない状態になり、後はご主人が留守の時なら何時行っても遣らせて貰える状態でした。
名無しさんの、隣のオバさんもきっとそうだったのだと思います。
因みに、配達先では一人で留守番をしている奥さん方の家に上げて貰って、お互い裸で一時間程は遣りまくって帰るのですが。
その六十過ぎた婆さんの萎びた体は、さすがに貪る気は起こらず、ゆっくりして行けと誘われても誤魔化して敬遠してはいましたが、、、
田舎に居た頃に遣らせて貰った回数で言えば、親方の奥さんを除くと結局はその婆さんとの回数が一番多く、毎回玄関口で入れて出すだけの繰り返しでしたが、三日も空くと遣りたくて堪らなくなり、つい足を向けていました。
この婆さんには毎回三分と持たず逝かされて、その度に笑われていましたが、婆さんもそれが嬉しそうで「そんなにええか」と良く聞かれました。
終った直後に婆さんが、お前は若いんだからそのまま続けて頑張れと則して来る時は自分も逝きたい時で、自分のも婆さんの中で締め込まれて余裕で続けられる状態でしたし、むしろ続けたいのが願望でした。
抜かずの二発で必死に挑むと、婆さんは身悶えして悦び出しますが最後まで逝かせるのは至難の技で、また込み上げて来る射精感を抑えるのに必死で、婆さんを逝かせるのは三回に一度程でした。
今でも、この婆さんの挿入感を越える快感を味わった事がありません。
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