2004/11/29 22:19:56
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本籍 名古屋市東区千種通り七の七九
住所 不定
無職 阿部 定(三二)
右に対する殺人及び死体損壊被告事件に付き予審を遂げ終結決定する事左の
如し
主文
本件を東京刑事地方裁判所の公判に附す
理由
被告人阿部定は東京市神田区新銀町一九、畳職重吉の四女に生れ小学校
在学中より遊芸を仕込まれたるが、早熟にして十五歳の時既に処女を失ひ其
後は町の不良と交り相次いで異性を求むる等、不良の傾向顯著なりし為十八
歳の頃父重吉は被告人を見限りて芸妓となすに至り爾来被告人は横浜、富山
長野、大阪、名古屋、兵庫、東京等の各地を転々し、芸妓、娼妓、私娼或ひ
は妾等次第に淪落の淵に沈み生活し来れり、然れども昭和十年頃よりやゝ目
覚むるところあり、更生の一歩として昭和十一年二月一日東京市中野区新井
町五三八、割烹業吉田家事石田吉蔵(四二)方に女中として住み込みたる
が、生来多情なる被告人は間もなく右吉蔵と情を通じ家人に感知せらるゝに
及び同年四月二十三日両名諜めし合はせて家出し、翌五月七日渋谷区円山町
八五「みつわ」外市内数ヶ所の待合を転々して愛慾生活に耽溺し居り其間吉
蔵は被告人との関係を長く持続する為同人を妾となし待合を開業せしむる意
あるを洩らしその準備のため一時帰宅する事となり互に未練を残して別れた
り
然るに被告人は吉蔵と別るるや同人に対し未だ嘗つて経験したる事なき恋
慕、愛著の念を感じ吉蔵夫婦の生活を想像して嫉妬と焦躁の情に馳られ、瞬
時も吉蔵と別離するに堪へがたく再会の折りは情痴の戯れに用ひんとして牛
刀を買求め等したる上同月十一日電話を以て吉蔵を誘ひ出し中野駅にて落ち
合ひ午後十時頃荒川区尾久町四の一八八一待合「まさき」事正木しち方に赴
き以来同家に流連し日夜情痴、愛慾の限りを尽したるがたま\/五月十六
日、吉蔵と情交中刺激を求む可く同人の頸部を腰紐を以て緊縛したる為同人
の顔面充血するに至り吉蔵は之が治療の為帰宅静養せんと被告人に告げたる
ところ被告人はさきに一時吉蔵と別れゐたる間の苦しき経験を惟ひ到底同人
と別るゝに忍びず、さりとて吉蔵には妻子を振り捨て自己と同棲する迄の意
思なかりを察知し居たる為遂に吉蔵を永遠に独占せんがためには同人を殺害
するに如かずと決意し、同月十八日午前二時頃前記待合「まさき」方さくら
の間に於いて熟睡中なる吉蔵の頸部に自己の腰紐を二重に巻き付け、その両
端を両手を以て強くひきしめて即時同人を窒息死に至らしめ尚ほ吉蔵の死体
に痴戯しゐるうち同人を完全に独占し他の女性は妻と云へども一指だに触れ
させまじと慾求する余り、同室に持ち込みゐたる被告人所有の牛刀を以て吉
蔵の陰莖及び陰嚢を切り取り且つ同人の右上膊部外側に被告人の「定」の名
を刻み込み以て吉蔵の死体を損壊したる後其の傷口の血を手指につけ吉蔵の
左大腿部に「定吉二人」なる文字をその寝床敷布に「定吉二人キリ」なる文
字を書き残し、右切り取りたる陰莖及び陰嚢を懐中して同日午前八時頃同家
を逃走したるものなり