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1
2022/04/25 21:39:34 (wMW8E8RT)
大学の頃、田舎過ぎてバイトをしたい学生と求人の比率が7:3くらい(感覚値)の異常な状態となっている町だった。

移動手段がある学生は隣の大きな街へバイトに行っていたが、家が裕福でない私はバイクすら購入が難しく学費もやっとだったので激貧生活をしていた。
1年くらいは食糧援助を親族から受けていたが、やはり学年があがると金がいる。
友達も出来てくるし、呼ばれる飲み会も増える。
何とか誤魔化し交わしてきたけど次第にキツくなる。
そこでどうにか近場で無いかと、町の商店街を1軒1軒周り求人がないか聞いて歩いた。

すでにシャッター街と化していた商店街に求人があるはずも無く、心が挫けそうになりながら2日目の10件を過ぎたところで花屋に行き当たり、店主である40代後半(だったと思う)の女性と話をした。

「バイト代を支払えるほどの余裕はないけど、住み込みすれば家賃が浮くでしょう?ちょうど2階に空いている部屋があるし、店番や仕入れた花の管理をしてくれるなら私が外に売りに行けるから助かる。」

と提案された。
問題は親や大学への説明だった。
今いるアパートを出て家賃の仕送りを小遣いにするなんて、我が家の経済状況からは考えられなかった。
大学も得体の知れない人の家に住み込むなど、学生に万が一があった場合に責任がとれない。

順序的には両親だった。
まず金が必要な事。何をするにも自由に使える金が必要で、家賃4万円と食費3万円の全額と言わないまでも5万は欲しい。それで学生生活は何とかしてみる。援助は学費と5万のみでとプレゼンをした。

3日粘って説得し、親が折れて花屋の店主に手土産持って挨拶に来た。
次に親から大学に、遠い親族という事で口裏を合わせて納得させた。

晴れて花屋に住む事になった。
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9
投稿者:(無名)
2022/04/26 18:52:49    (TRzR/Im0)
>>7さん
お読みいただきありがとうございます。
今思い返すと、Sさんは一言も「死にたくない」とか「つらい」などのネガティブな事は言っていなかったような気がします。どちらかといえば“こうなることはわかっていた”かの様に普通に受け入れて闘病していました。それに対して私は何にもしておらず、大学生活と店番に精一杯で「何か欲しいものは?」すら声をかけていなかったです。
8
投稿者:(無名)
2022/04/26 18:47:05    (TRzR/Im0)
>>6さん
初めは単なる自慢投稿にするつもりでした。
しかし文章を打ち込んでいくうちに、だんだんと当時の盛りのついた無力なクソガキだった自分に苛立ちと後悔が湧き上がり、結末まで書いてしまいました。
今思い出しても当時の私は何にもしていない、本当に自分本位だったんだと思い知らされます。
7
投稿者:立ち読み
2022/04/26 09:28:52    (PRAYtisP)
文章力もあり、最後まで読みました。
悲しくも寂しい結末ですが、読後に余韻があります。
まだ若いので、これから先いろいろな経験をされるでしょう。また読ませてください。
6
投稿者:ゲベ
2022/04/26 08:02:07    (7scsU2OY)
当初は羨ましい体験談かと思いましたが切ない結末だったのですね…。
しかし女店主さんにとっては主さんは最後の男だったわけですよね。女として満たせてあげて旅立たせたのもある意味男冥利に尽きるんではないかと思いますよ。ほろ苦いとは思いますが大切な思い出を読ませてくださってありがとうございます。
5
投稿者:(無名)
2022/04/26 00:28:54    (inrdnVQj)
…その4

Sさんは一呼吸置いて
「どうしよう?出ないね…」

私は全身鳥肌が立って快感に耐えていたけど、
「スイマセン…」
としか言えなかった。

その間も手コキはされていた。
しかし硬直した私の体とギンギンのチンコは発射しそうにない。

多分、Sさん的には徐々にステップアップするつもりだったんだと今にしてみれば思う。
と同時にトントン拍子に進む行為に恐らくこの時には『最後まで成し遂げる』と考えていたんじゃないか。

目的の最優先が私の射精なので、Sさんの体に触れると言う選択肢はSさんの中には無かったみたいだ。

「こんなになってるのに出ないってなると…するとこまでする?」

私もその言葉を予想していたし待っていた。

「いいんすか?俺経験無いけど…」

「こんだけイかなければねぇ…最後までしなきゃ生殺しでしょう?私はいいんだけどね、なんか若い子を取って食ってるようで…」

とりあえず私は「お願いします。」としか言えなかった。

「じゃ、じゃあ挿れてみる?ちょっとまってゴムつけるから。」

今思えばなんでゴムなんてあったのか…

色々妄想した。
死んだ旦那の残り物?私が来るまでに実はここに男を引き込んでいたのか?など。

しかしゴムを装着され、根元がキツく締め付けられたチンコは亀頭をパンパンに膨らませた。

そしてSさんはそそくさとズボンとパンティを脱いで尻餅を突きM字開脚をした。
初めてみる女性のマンコは毛深くピンク色の口が開いていた。
毛も口もベトベトに濡れており
「これがマン汁か!」と感動したくらい。

私もSさんの脚の間で正座をし、Sさんの手で導かれて何なく亀頭全部が体内に入った。
私もそうだか、Sさんの反応も凄かった。
まだ亀頭だけで体がくの字に曲がりたがるかの様にビクッ!ビクッ!と跳ねる。
マン汁はより分泌された。
すでに畳に敷いてある座布団は1/3が湿っており、私の亀頭もベトベトだった。

「こ、このまま入って!」

私が前にズリ動き、Sさんの肉壁を掻き分ける感覚を感じながらズッポリ挿れた。
フェラと似たような暖かい肉にヌルヌルした感触は当時童貞の私には頭がパチパチする程の快感だった。
色んな感情が出たのを微かに覚えている。
満足感はもちろん、達成感、快楽感、征服感…

とにかく今、女にハメていて、目の前の相手は目を固く閉じながらブルブル震えながら快感を抑え込もうとしている。
自ら引き抜きまた挿れて、自然とピストンする様になった。
Sさんは私のお腹に手を突き出し動くのを止めようとする。

「う、動くとダメ!久しぶりなんだから!」

こう言われた男の行動は決まって意地悪になる。
私も「ダメになっちまえ!」と思いながら腰を動かした。

流石にマンコの刺激は耐えられなかった。
程なくして射精感が募り予告も出来ず発射してしまった。

腰を反り深く挿れたところでのフィニッシュにSさんも同じタイミングでエビのように反り痙攣する。
ギュギュッとマンコが締まり抜けない。ジワジワと萎えてきようやく抜けた。

ゴムを外す気力もない状態で座り込んだ。
Sさんも余韻が落ち着くまで目を閉じて息を切らす。

相変わらずM字開脚したままだ。
10分は無言だったと思う。

ようやくSさんは復活して
「で、出た?私も久しぶりで余裕なかったからわからなかった。」
と私のつけているゴムを見つめた。
しっかり白い液体が垂れ下がっている。

「出てるね。良かった。今の年代の男の子って1日にどれくらい出すの?」

唐突な質問に
「2回か3回…朝からやったら4回って日もあります。」

と伝えると

「平均3回!それは無理だなぁ…恐ろしい…」
とおののくSさんに

「いや1回で済ませる事もできます(笑)しなきゃ良いだけなんで。それに今日は出した直後だから出にくかったけど、1日1回とか溜まり過ぎてすぐ出ると思う。」

それを聞いてSさんは
「な、ならこうしようか。お風呂に入る前に出せばすぐ洗えるでしょ?私もその後入るし。毎日と言うわけにはいかないから私からたまに声かけるわ。それで◯◯君が良ければ手なり口なりで処理してあげるわ。今日は最後までしちゃったけど、あんまりオバサンとやるのも良くないからね…たまにね!」

こうして週に1度か2度、Sさんが気を利かせて食事中に「この後、しよか?どんな?」と聞いてくれるようになった。
もちろん断った事はなく、ほとんど良くて口までだったけど、その間に夢のパイズリも経験できた。
それをSさんも毎日処理しているのを知っているからか、寝室に忍び込んだ私を迎え入れてくれる日も月に何度とあった。

お陰様で完璧に熟女にハマった私だったが、長くは続かなかった。

3年生の冬、Sさんは乳がんの診断を受けた。
ステージ3だったと記憶している。
打ちひしがれたSさんが帰ってきて泣きながら親族に電話していた。
私に対しても、もしかすると卒業まで住まわせられないかもしれないと言った。

その日は抱き合って寝た。
すでにSさんとの仲は出来上がっていて、私もショックだった。
それから3ヶ月後に乳房摘出の手術を受け、長い抗がん治療が始まった。

私はSさんの親族には店でアルバイトをしている大学生とだけ伝えられており、深い仲を悟られないようにしていた。

それでも毎日、店の報告と称して見舞いに行き、1人の寂しさを病院で紛らわせていた。

その度に私の体調を気遣ってくれ、性処理に関しては笑い話の様に「彼女を作りなさい。」と勧められた。

あんなにふくよかで悩殺ボディだった体はドンドン痩せていき、乳房は切り取られ片方が凹んでしまっていた。

ホントひと月に1度だけ、体調の良い日に一時帰宅が許され身辺整理をしながら私と愛し合う時間に当てた。
と言ってもまともなセックスはできないから、痩せた顔でフェラするのが精いっぱい。
私もオナニーをする気力が無かったのでかなり濃い射精をした。
だからSさんは飲み込む際に喉に詰まらせた。
しかし「味がわかんないから苦くない」と言ったのには相当来るものがあった。

そして、4年の春にSさんは旅立った。
Sさんの最後は親族がみとり、私は廊下で店番中に知らされた。

覚悟はしていたので涙は出なかった。
とにかく、この店はどうなるのかとか、自分はいちゃいけないのかとか考えることにした。

しかし、Sさんの最後のお願いの中に私の卒業まで店を続けてやってくれ。店の事は私だけでも回せるからと言うことがあったらしい。

なので土日くらいしか営業できなかったが、色んな人からサポートを受けて花の仕入れや販売を細々としながら平日に就活をしたり論文を書いたりした。

そして卒業の日に、仏壇に並べたSさんと旦那さんの遺影に手を合わせ、親族の方に見送られながら私は町を出た。

多分、二度とあの町に足を踏み入れる事は無いと思う。



4
投稿者:(無名)
2022/04/25 23:15:30    (wMW8E8RT)
…その3

7月初旬には毎日のズリネタがSさんの谷間や透けブラから妄想した乳首だった。
何度となく風呂に入る前や出た時に自分のそびえ立つチンコを見せつけてやろうと思ったことか。

何度となくSさんが風呂に出入りする姿を見てやろうと思ったことか。

どれだけ妄想の中でSさんの胸でパイズリやフェラ、台所で後ろからハメたことか。

毎日が虚しく過ぎていました。

しかし、それも8月で不要となりました。

考えてみれば当然だけど、定期的に私がトイレに篭るもんだからSさんも気にしていたようだ。
日に5度ほど入るからトイレットペーパーの減りも早いし多分何やら小刻みに振動音を立てていたのだろう…
それにSさんはアイドルが割と好きで、イケメンと言うより素朴な好青年(V6とか)がタイプだった。要は歳下もイケるということ。

8月に入りすぐ、食事中に
「ねぇ、自惚れだったら恥ずかしいんだけど、私の服装って刺激強いかね?今までどうなんかと思っていたんだけど、ひょっとして◯◯君トイレで処理してる?」(ホントは方言です)

私は何も言えなかったし、恐らく顔が真っ赤だったと思う。全身から汗が噴き出た。

動揺する私を見ながら察したSさんは
「ホントごめん!私が配慮が足らなかった!◯◯君も立派な男なのに、そりゃそういうこともするよね。ゴメン!聞くべきじゃ無かった!今まで通りでいいから!」

「…すんません…」
と私は絞り出す様に誤った。

気まずい食事が終わり、いつも通り風呂に入った。その時にはもう吹っ切れていて恥ずかしい思いは無かったけど、エロ本やAVならこれはチャンスどころなのでは?と思った。
いつもなら風呂から出ると目の前に片付け中のSさんがいるが、見られても良いとさえ思う様になり出てから声をかける事にした。

そこで風呂場から出て体を拭きながらSさんに
「今日の風呂最高です!」
と声をかけた。
咄嗟にSさんが振り向き完全に露出した私の体を見て
「早く服着て!見ちゃったじゃない!オバサンだって女なんですからね!変な気起こしたらどうすんの!」
と半怒り状態で言われた。

私は服を着て部屋に篭った。
この日は何となく行動力があり、Sさんの脱衣を見ようと思った。
階段を降りて居間が見える位置から覗き込んだ。

後ろ姿しか見えなかったが、想像通りのダイナマイトボディと下着が見えた。
初生裸体を見ることができ、私のズリネタは決まった。
そのまま階段を降りて1階にあるトイレに篭り、妄想の限りSさんをエロくした。

スッキリして2階に上がる時にたまたまSさんが出てきて目線が合った。
さっきの話の後でだから変な勘ぐりをされてしまい
「ちょっ!ダメよ!」
とガードされたが私も不意打ちだったのでパニクって2階に投げ込んだ。

その晩、ついに一線を超えた。
居間に呼ばれた。

食事の時の話で、私が不健康にもSさんの体で処理を行なっている事はSさんの「責任」。
住み込みを提案したのもSさんの「責任」。
それをわかってながら何も対策せずにいる事で私がおかしな行動をするのもSさんの「責任」。

とにかくしきりにSさんは自分の責任だと言っていた。言い聞かせているようだった。

そこで提案された事。

「こんなオバサンでも20歳を超えた男の子と一緒にいる事は刺激的で、よからぬ考えをする事もある。そう言う事は嫌いじゃないし、旦那も早くに亡くし身近に男性が居ない。さっき◯◯君の体を見て頭から消えない。住み込みをさせている時点で◯◯君が居心地良くある責任がある。もし、◯◯君が嫌でないならまずは手で手伝ってあげたい。それでも嫌じゃなければ…」

私は半分聞いていなかった。
もう流れ的にSさんとヤれると思っていたから頭に入ってこなかった。

私は一言「お願いします!」と伝えた。
Sさんは
「じゃあ立って。」
と言い、ティッシュ箱を持ってきた。

ホントに手でしてくれるつもりだった。

私は勃起は完全にしていたが、さっきヌいたばかり。手コキでイくほど弱くは無かった。
Sさんが顔をしかめて
「今日は何回したの?」
と聞いてきた。

「また1回です…」

「じゃあさっきしたの?だからか…」

少しSさんは考えて
「舐めてみようか?」

私の返事は決まっていた。

先っぽに滴るがまん汁を舌の先でペロッと舐め取ると
「ちょっと酸味があるね。」
と真面目な顔して言った。

それから亀頭を舐めて硬さを確かめるとカポッと根元まで口の中に入った。
私のサイズは普通くらいだったと認識しているが、Sさんの口がなかなか大きかったのもあって全部入った。

女性に初めて舐められ、その日にオナニーしてなければ速攻で発射していたと思う。

この時ばかりは男の面子が保てた。
でもすぐに強烈な刺激が全身を駆け巡り、膝に力が入らなかった。
ガクガク震えながらネットリする股間の刺激に耐えた。
本当にイかなかった。10分ほど不思議なくらい発射しなかった。妄想の何千倍も気持ちよかったのに、直前のオナニーの影響力により何とか耐えていた。

「◯◯君、強いね~!若い子じゃなくても大抵ここで出すよ普通。これじゃ…」

言葉を詰まらせたSさんだったが…
3
投稿者:(無名)
2022/04/25 22:23:07    (9tCI7ZYl)
続き気になります!
2
投稿者:(無名)
2022/04/25 22:15:38    (wMW8E8RT)
…その2

荷物もそんなに無く、花屋にあった軽バン1台で全て運べた。
部屋に案内されると6畳ほどの和室があり、廊下から出入りする引き戸と、窓のある壁、押入れと隣の部屋に通じる扉があった。
隣は店主の寝室だった。

荷物もそれなりに整理して、大学から帰ってからの店の仕事を教わった。週に2回、店主が営業に出るのでその日だけは店番を必ずする以外は手伝ってくれる程度で良いらしい。

そしてその晩から店主との同棲が始まった。
店主の名前はSとする。

結婚はしたそうだが、3年前くらいに亡くなっていた。チラッと見えたSさんの寝室に仏壇があった。
食事は1階の販売スペースの裏に居間があり、そこでちゃぶ台囲んで行う。台所も風呂も更にその奥にあり、暖簾で仕切られただけの販売スペースと居間はほとんどプライバシーが無い。風が吹いて暖簾がめくれれば店先から台所まで一直線で見えて居留守は使えない。そして扉一枚ですぐ風呂場の為、脱衣所と言うものが存在しない。
だから営業時間中に風呂に入ろうと言うのは不可能ではないが無理だった。

人は割と来る。
狭い町だし高齢者が種を買いに来たり墓参りやお供え用の仏花を買っていく。
たまに洒落た男が花束を注文してくる事もあった。

営業が終わるとシャッターを閉めるため外部からは中が見えない。
ようやく食事や風呂に入れる。

食器などの片付けがある為、Sさんは後で風呂に入る。「片付けをしている間は後ろを向いているから、その間にお風呂に入ってしまってね。」と言われ、早風呂の自分は20分くらいで終わらせた。
着替えてそのまま部屋に上がり、大学の課題をする。
その間にSさんが風呂に入り、自室で髪を乾かしたり布団を敷いたりする。

簡単なベニヤでできた扉なので、お互いの生活音は丸わかり。
最初はかなり気を遣って物音を立てない様に過ごした。
2ヶ月過ぎた頃には流石に遠慮が無くなった。
毎日顔を合わせているのだから親以上によく話すし、毎日のルーティンも定まってきた。

何も言われずとも風呂に入り、部屋に篭る。
しかし、悲しいかな当時は大学生。当然、大学にいる大人びた格好の女子に興味も湧くし格好もつけたい。しかしバイトですらない花屋の住み込みで肩身が狭くなかなか女子と関わる事は無かった。
だから溜まるものはトコトン溜まった。
部屋ではオナニーはできないし、風呂も後からSさんが入るので臭いとか精液を残すわけにはいかない。
トイレだけが安住の場だった。
それに悪い事に夏に近づくにつれSさんの服装は段々と軽くなった。
Sさんは年なりにふくよかな体型をしており、張るべきところはかなり張っていた。胸はくたびれたTシャツの襟から谷間が見えるし、お尻もパンパンのデニムが窮屈そうだった。
つまりとても悩殺ボディだった。
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