2022/04/26 00:28:54
(inrdnVQj)
…その4
Sさんは一呼吸置いて
「どうしよう?出ないね…」
私は全身鳥肌が立って快感に耐えていたけど、
「スイマセン…」
としか言えなかった。
その間も手コキはされていた。
しかし硬直した私の体とギンギンのチンコは発射しそうにない。
多分、Sさん的には徐々にステップアップするつもりだったんだと今にしてみれば思う。
と同時にトントン拍子に進む行為に恐らくこの時には『最後まで成し遂げる』と考えていたんじゃないか。
目的の最優先が私の射精なので、Sさんの体に触れると言う選択肢はSさんの中には無かったみたいだ。
「こんなになってるのに出ないってなると…するとこまでする?」
私もその言葉を予想していたし待っていた。
「いいんすか?俺経験無いけど…」
「こんだけイかなければねぇ…最後までしなきゃ生殺しでしょう?私はいいんだけどね、なんか若い子を取って食ってるようで…」
とりあえず私は「お願いします。」としか言えなかった。
「じゃ、じゃあ挿れてみる?ちょっとまってゴムつけるから。」
今思えばなんでゴムなんてあったのか…
色々妄想した。
死んだ旦那の残り物?私が来るまでに実はここに男を引き込んでいたのか?など。
しかしゴムを装着され、根元がキツく締め付けられたチンコは亀頭をパンパンに膨らませた。
そしてSさんはそそくさとズボンとパンティを脱いで尻餅を突きM字開脚をした。
初めてみる女性のマンコは毛深くピンク色の口が開いていた。
毛も口もベトベトに濡れており
「これがマン汁か!」と感動したくらい。
私もSさんの脚の間で正座をし、Sさんの手で導かれて何なく亀頭全部が体内に入った。
私もそうだか、Sさんの反応も凄かった。
まだ亀頭だけで体がくの字に曲がりたがるかの様にビクッ!ビクッ!と跳ねる。
マン汁はより分泌された。
すでに畳に敷いてある座布団は1/3が湿っており、私の亀頭もベトベトだった。
「こ、このまま入って!」
私が前にズリ動き、Sさんの肉壁を掻き分ける感覚を感じながらズッポリ挿れた。
フェラと似たような暖かい肉にヌルヌルした感触は当時童貞の私には頭がパチパチする程の快感だった。
色んな感情が出たのを微かに覚えている。
満足感はもちろん、達成感、快楽感、征服感…
とにかく今、女にハメていて、目の前の相手は目を固く閉じながらブルブル震えながら快感を抑え込もうとしている。
自ら引き抜きまた挿れて、自然とピストンする様になった。
Sさんは私のお腹に手を突き出し動くのを止めようとする。
「う、動くとダメ!久しぶりなんだから!」
こう言われた男の行動は決まって意地悪になる。
私も「ダメになっちまえ!」と思いながら腰を動かした。
流石にマンコの刺激は耐えられなかった。
程なくして射精感が募り予告も出来ず発射してしまった。
腰を反り深く挿れたところでのフィニッシュにSさんも同じタイミングでエビのように反り痙攣する。
ギュギュッとマンコが締まり抜けない。ジワジワと萎えてきようやく抜けた。
ゴムを外す気力もない状態で座り込んだ。
Sさんも余韻が落ち着くまで目を閉じて息を切らす。
相変わらずM字開脚したままだ。
10分は無言だったと思う。
ようやくSさんは復活して
「で、出た?私も久しぶりで余裕なかったからわからなかった。」
と私のつけているゴムを見つめた。
しっかり白い液体が垂れ下がっている。
「出てるね。良かった。今の年代の男の子って1日にどれくらい出すの?」
唐突な質問に
「2回か3回…朝からやったら4回って日もあります。」
と伝えると
「平均3回!それは無理だなぁ…恐ろしい…」
とおののくSさんに
「いや1回で済ませる事もできます(笑)しなきゃ良いだけなんで。それに今日は出した直後だから出にくかったけど、1日1回とか溜まり過ぎてすぐ出ると思う。」
それを聞いてSさんは
「な、ならこうしようか。お風呂に入る前に出せばすぐ洗えるでしょ?私もその後入るし。毎日と言うわけにはいかないから私からたまに声かけるわ。それで◯◯君が良ければ手なり口なりで処理してあげるわ。今日は最後までしちゃったけど、あんまりオバサンとやるのも良くないからね…たまにね!」
こうして週に1度か2度、Sさんが気を利かせて食事中に「この後、しよか?どんな?」と聞いてくれるようになった。
もちろん断った事はなく、ほとんど良くて口までだったけど、その間に夢のパイズリも経験できた。
それをSさんも毎日処理しているのを知っているからか、寝室に忍び込んだ私を迎え入れてくれる日も月に何度とあった。
お陰様で完璧に熟女にハマった私だったが、長くは続かなかった。
3年生の冬、Sさんは乳がんの診断を受けた。
ステージ3だったと記憶している。
打ちひしがれたSさんが帰ってきて泣きながら親族に電話していた。
私に対しても、もしかすると卒業まで住まわせられないかもしれないと言った。
その日は抱き合って寝た。
すでにSさんとの仲は出来上がっていて、私もショックだった。
それから3ヶ月後に乳房摘出の手術を受け、長い抗がん治療が始まった。
私はSさんの親族には店でアルバイトをしている大学生とだけ伝えられており、深い仲を悟られないようにしていた。
それでも毎日、店の報告と称して見舞いに行き、1人の寂しさを病院で紛らわせていた。
その度に私の体調を気遣ってくれ、性処理に関しては笑い話の様に「彼女を作りなさい。」と勧められた。
あんなにふくよかで悩殺ボディだった体はドンドン痩せていき、乳房は切り取られ片方が凹んでしまっていた。
ホントひと月に1度だけ、体調の良い日に一時帰宅が許され身辺整理をしながら私と愛し合う時間に当てた。
と言ってもまともなセックスはできないから、痩せた顔でフェラするのが精いっぱい。
私もオナニーをする気力が無かったのでかなり濃い射精をした。
だからSさんは飲み込む際に喉に詰まらせた。
しかし「味がわかんないから苦くない」と言ったのには相当来るものがあった。
そして、4年の春にSさんは旅立った。
Sさんの最後は親族がみとり、私は廊下で店番中に知らされた。
覚悟はしていたので涙は出なかった。
とにかく、この店はどうなるのかとか、自分はいちゃいけないのかとか考えることにした。
しかし、Sさんの最後のお願いの中に私の卒業まで店を続けてやってくれ。店の事は私だけでも回せるからと言うことがあったらしい。
なので土日くらいしか営業できなかったが、色んな人からサポートを受けて花の仕入れや販売を細々としながら平日に就活をしたり論文を書いたりした。
そして卒業の日に、仏壇に並べたSさんと旦那さんの遺影に手を合わせ、親族の方に見送られながら私は町を出た。
多分、二度とあの町に足を踏み入れる事は無いと思う。