ナンネットID のアカウントをお持ちですか? ログイン ログイン
ナンネットID
 
1
2021/11/08 19:14:20 (Ap4rJ6VI)
11年ぶりに出張で訪れた、入社して最初の赴任地にやってきました。
22歳から26歳まで、4年間住んだ街です。
そして、私に女体の本当の味わい方、熟女の魅力を教えてくれた裕子さんと過ごした街です。
本名は裕子さんじゃないですが、彼女は田中裕子さんに似た美形だったので、ここでは裕子さんと呼ぶことにします
当時赴任していた支社では、市内と隣接市町村にある8店舗のスーパーを管轄していました。
裕子さんは、その中で私のアパートに一番近い店舗のパートさんでした。
三角頭巾と白衣姿の裕子さんは初めて見たとき53歳でしたが、当時22歳の私から見ても、うわ~・・・綺麗な人だなあ・・・と思いました。

ある土曜の夕方、アパートの近所の食堂で食事していたら、
「あら、松戸さんじゃないですか?」
と声をかけられて振り向くと、裕子さんが入店してきていました。
私の隣に腰かけ、食事を始めました。
先に私が食べ終わりましたが、先に帰るのも気が引けて、ビールと軽いおつまみを注文して飲み始めました。
食事を終えた裕子さんは、
「私も頂こうかしら・・・」
とビールを注文しようとしたから、私がご馳走しました。

飲みながら話を聞くと、裕子さんは未亡人で、上の息子さんは大阪に就職、下の息子さんは名古屋で大学生でした。
息子さんたちの学費は、8年前に事故死したご主人に支払われた損害賠償金と保険金で十分賄われているそうで、
「本当は、パートなんかしなくても、あの人が遺してくれたお金で生きていけるけど、ずっと家に一人でいると、あの人との思い出に押しつぶされそうで・・・」
と言う裕子さんの憂いに満ちた横顔が、とても綺麗でした。
「裕子さん。俺がこの街にいる間は、俺と遊びませんか?俺、この街のことよく知らないし。今度案内してくださいよ。」

これが裕子さんとの始まりで、週末、街の色んな所へ一緒に行っていましたが、梅雨に入ってあまり出歩けなくなった時、ショッピングモールで裕子さんのお買い物にお付き合いしました。
そのまま裕子さんの家に送ったら、一緒に夕食食べましょうと誘われ、お酒が出てきたので、車だからとお断りしたら、泊まって行けと言われました。
それまで、いくら美人でも母より年上の裕子さんを性の対象とは見ませんでしたが、お風呂上がりでパジャマ姿のほろ酔いの裕子さんに、色気を感じずにはいられませんでした。

私は、息子さんのジャージを借りていましたが、パジャマ姿の裕子さんの艶かしさに、勃起してしまいました。
必死で隠しましたが、ジャージではテントを張るばかりで、裕子さんに、
「まあ・・・何にそんなに反応してるのかしら?」
「裕子さん、綺麗で色っぽくて、反応してしまいました。すみません・・・」
「まだ、私でそんなになってくれる男性がいるなんて、女としては嬉しい限りよ・・・」
と言って私にしなだれかかると、
「お泊りするんだから、こっちにいらっしゃい・・・」

私は、五十路の女性とセックスするなんて、それまで考えもしませんでした。
大学時代は女子大生のピチピチボディや、女子高生の蒼い性を愉しんでいました。
でも、実際ベッドで裕子さんの裸身を見たら、ピチピチではありませんが、シワシワでもないし、弛んでもいないし、なかなかソソリました。
恐るおそる愛撫すると、弾力こそ失われつつありましたが、柔らかい肌触りでした。
「8年間、ご無沙汰なのよ・・・」
と広げた股間は、さすがにピンクではなくドドメ色の小ぶりな陰唇が開き、奥には桃色の膣口が見えました。

私は、ドドメ色の陰唇を割るようにして舐めあげ、赤く拉げた陰核をレロレロしました。
裕子さんは、かなり色っぽい声で喘ぎ、トロトロに濡らしました。
そして私の陰茎にむしゃぶりつくと、騎乗位で跨って、生のまま入れてしまいました。
初めて味わう年上の膣は、中々の味わいでした。
腰を前後にクイクイ、その後グラインドするように回し、とにかく激しかったです。
やや緩み始めた乳房が、右往左往して、膣内では陰茎が暴れまわってました。
あんなにお上品な淑女の裕子さんが、髪を振り乱しながらヨガリ狂う姿を、唖然として眺めていましたが、射精感に襲われ、
「裕子さんっ!出ます。離れてくださいっ!」
「そのまま中に出してぇ~~」

ドクンドクンドクン・・・
閉経してたので、避妊はしないと言われてほっと一息、と、また腰を振られて抜かずの二発目を抜かれ、二人ともグッタリしました。
この日以降、裕子さんとは平日も帰りが早いときは、一緒にお風呂に入って一緒にご飯を食べて、中出しセックスに励みました。
毎回生中出しで、週末は朝から一日中ヤリまくったこともありました。
裕子さんは五十路だというのに、土日で5回~6回はしていました。
普段は清楚な美人なのに、ベッドでは恥じらいもなく陰茎にむしゃぶりつく様子は、熟女AVに出も出ているようで、興奮しました。

4年の勤務を終えて、転勤で別れる事が決まったとき、思い出作りに行った二泊三日の温泉旅行では激しく交わりました。
当時私26歳、裕子さんは57歳で、アラ還熟女のテクニックを見せつけられました。
部屋に入るなり、すぐに部屋付きの露天風呂に入り、明るいうちからセックスが始まりました。
私も負けじとクンニで陰核を責めると、痙攣して一度逝ってしまいました。
私の勃起陰茎をじゅるじゅる音をたて、唾液を垂らしながらしゃぶりまくる反撃に悶絶しました。
例によって騎乗位で腰振られ一発抜かれた後、二発目は正常位、後背位、最後は対面座位で結合部を眺めながらの膣内射精でした。

次の日も朝からハメて、昼間は温泉街を散策して、渓流のつり橋の下で青姦しましたが、まだ3月、あれは寒かったですね。
あの温泉旅行の二泊三日は、最高のセックスでした。
旅行から帰って、一人で荷造りしていると、裕子さんが私のアパートに泊まりに来た時に置いて行った替えの下着が出てきました。
それを紙袋に包んで、引っ越す前日の夕方、裕子さんに届けました。

「お部屋、片付けて寝るとこあるの?今日は、こっちにお泊りなさい。」
と言われ、一度アパートに戻り、最後に残していた布団を包んで、着替えを持って裕子さんお家で最後の夜を過ごしました。
翌朝、
「4年間も付き合ってくれて、ありがとうございました。」
「お礼はこっちが言うことよ。この年になって、若い男の子といっぱいエッチして・・・幸せだったわよ・・・ありがとう・・・」
「お世話になりました。さようなら・・・」
「元気でね。さようなら・・・」

私はその足で出社し、転勤の挨拶をして、花束を抱えてアパートに戻り、午後からトラックに荷物を積んで次の赴任先に向かいました。
次の赴任先で妻と出会い、結婚し、県内の転勤を繰り返してきました。
そして11年ぶりに、彼の地に出張したのです。
懐かしい支社、懐かしいアパート、そして・・・一番懐かしい裕子さんの家の前をゆっくりと通り過ぎたとき、68歳の裕子さんが白髪交じりの髪で小さなお孫さんと庭の草むしりをしていました。
何だか、心がホッコリとしましたが、訪ねることはしませんでした。
「裕子さん・・・末永くお元気で・・・」
そう呟いて、帰路につきました。
レスの削除依頼は、レス番号をクリックして下さい
2
投稿者:(無名)
2021/11/09 07:57:38    (yCGE43x9)
エエ話やね。
レス投稿フォーム
名前
トリップ[]
本文

投稿文に自動改行は行われません、適宜改行を行ってください。 # タグ使用不可
「sage」
※投稿を上げない
画像認証

上に表示されている文字を半角英数字で入力してください。
動画掲示板
画像で見せたい女
その他の新着投稿
人気の話題・ネタ
ナンネット人気カテゴリ
information

ご支援ありがとうございます。ナンネットはプレミアム会員様のご支援に支えられております。