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2018/01/30 21:40:02
(fOU4Vox8)
平成20年ころ、今から約10年程前の話です。当時、大学4回生だった私は、真剣に外務省への就職を目指して頑張っていました。
今思い出しても、当時のスケジュールは、朝の9時に大学に行き、それから必須科目を取得する事はもちろんの事、空いた時間は研究室に籠り、とにかく試験勉強と卒業論文の作成に夜の1時、2時頃まで時間を費やしていました。
プライベートなんていうのは殆どなく、土日の休みも図書館へ行ったり、とにかく「絶対に試験に落ちるわけにはいかない」との言葉を心に刻み、あらゆる時間を勉強につぎ込んでいたのです。
そして外務省の試験、つまり公務員採用一般試験の20日程前のある日、私は目の前にあった参考書の最後のページを閉じ、(ふー・・・今日はこれくらいにしておこ。)とキリのいいタイミングだったので私は休憩する事にしたのです。
すると胃や心臓の方から、とても嫌な感触のする、吐き気ではないのですが不安と恐怖が入り混じったような、とにかく不快な感覚が私を襲い、気が付けば私は気を失っていたのでした。
どれだけ時間が経ったかわかりません。それから気が付いた私は、(今のはなんだったのかな・・)とは思いつつも、(勉強しすぎて疲れすぎたのかな・・)と、人生で初めて何もしていないにも関わらず、気を失う。という体験をどう自分の中で処理していいかわからず、とにかくその日は寝ることにしたのです。
翌日から私には別の世界が待っていました。
あれからまた、参考書を見て勉強を再開しようと思うと、またあの胃や心臓の方から、前日に体験したあの嫌な症状が登ってきて、(また気を失ったらどうしよう・・)という恐怖に取りつかれ、勉強どころじゃなくなってしまっていたのです。
さすがの現実主義者の私も、その時ばかりは悪霊に憑りつかれたとか、呪いをかけられたとか、そんな事まで考えました。しかし、ネットで同症状を検索して見つけた結果、「〇〇神経症」に類する症状にそっくりだったのです。
参考書を見ようとしたら、あのイヤな症状が登ってくる、机に座って勉強しようとしても同じ。このままではいけない。。と真剣に思い、また相談した周囲から「勉強しすぎて神経が疲れているのかもしれないよ」一度見てもらったら?」という言葉もあって、私は心療内科へ受診する事を決意したのです。
しかし、結果としてこの心療内科への受信は私にとって最善の選択ではありませんでした。
心療内科では臨床心理士と40分程の面談をし、それから精神科医の診断という流れでした。私は隠しても仕方のないことなので、ありのままを伝えると、やはり私がネットで検索した結果どおり、「〇〇神経症の可能性が極めて高いです」と言われたのです。
それから処方された3種類の薬。「朝、昼、夜と飲んでください。飲んだら眠くなるので車の運転等は避けてください」と言われ、私はその薬を服用する事になったのでした。
この薬・・・というものが、私にとっては毒だったのです。
最初は、心が落ち着く。呼吸が楽になる。体がリラックスしているのを体験できる。というのを実感しました。この薬がまるで、魔法の薬のように思えたものです。しかし、飲んでいる間にものの3、4日すれば薬なしでは日常生活をする事すら困難になり、そして(あと〇日で試験当日!)という焦りもあって、薬はあっても環境が私を休ませる状況ではなかったのです。
そして、私は試験3日前にぶっ壊れてしまいました。「もういいや!」と机の上にあった参考書等を投げ捨て、試験放棄を決意したのです。温かく見守ってくれている両親をはじめ、姉妹は「来年もあるからさ><」と私を慰めてくれるのですが、私は納得がいきませんでした。
そんなやり場のない思いを紛らわすために、またその薬を飲むようになり、私は気が付けば「だらしない生活をする人間」になっていたのです。
それは昼は12時過ぎになって起きてくる。そして食事をとって、また昼寝。そして15時頃に起きてきて、暇つぶしにインターネットを中心に趣味の時間に使う。そして貯金を切り崩して、買い物をしに外にブラブラと出て、夜になればまたインターネットで時間をつぶす。
公務員試験というものを放棄し、目標も希望もすべて失った私は、ただインターネットでつながるチャット友達と、心を安定させてくれる薬だけが、生きていくだけの支えになっていました。
そして絶対にやってはいけない。と言われている、お酒を飲みながら薬を飲んで、なぜか妙にハイテンションになったりと、もう下り坂を転がるように落ちていったのでした。
食事も決まった時間ではなく、お腹がすいたら食べるだけ。お風呂に入るのも2,3日に1度のみ。着替えもその時に合わせてするので、数日は同じ服ばかり着ている。髪の毛はボサボサ。そんな感じでした。
そんな状態になってくると、試験勉強の為に忘れていた「性衝動」というものもすぐに復活し、毎晩のようにオナニーをして生活をしていたのです。
とくに、この「性欲」というものには悩まされました。体自体は、それは毎晩オナニーするので、所謂「溜まっている」という感覚は毎日リセットできるのですが、しかし精神的な面での「刺激が欲しい・・・・!!」という渇望は、どれだけオナニーをしても消えるものではありませんでした。
そしてその精神面での「刺激が欲しい。。。」という気持ちを紛らわすためにオナニーをする。という悪循環。それから私は完全に性の悪魔の支配下となり、私は「試験はまた来年。しばらくはブラブラできる。今まで勉強してきたんだから、少しくらい休憩してもいいはず。でも何して遊ぶ。興味があるのはHな事だけ。そう、、なにか刺激的な事をして遊ぼう。誰にも迷惑にならないような、そんな方法・・」と考えていました。
そして最初に思い付いた、刺激的な事。というのは意外と簡単な事でした。
それはミニスカートをはいて、繁華街の階段に座り、友達を待ちながらら携帯を触っているフリをして、前を歩く通行人にスカートの中を見てもらう。という単純なものでした。
私は以前に買って暫くはいていなかった、ミニのフレアスカートを着用し、ブラブラと繁華街へと繰り出し、説明で書いた同様の事をしてみたのです。階段の一番上に座り、上から2段目くらいの場所に足を置き、そして足を左右に少し開くだけ。とても簡単でした。
その階段を利用する、あらゆる階層の男の人が私のスカートの中に釘付けでした。その階段で約30分くらい座ったと思います。私は(見られている・・・)という気持ちが、刺激を求める本能へ、満足という信号を送り、私はショーツを濡らしながら、(早く帰ってオナニーしたい。。)と思い、そして家に帰る。という行動日程でした。
そして日々エスカレートしていきました。
服装は「おねえちゃん、、大丈夫?」と妹から言われるような、露出の高い恰好になり、下着も今までに履いたこともないTバック等をはき、とにかく「目線を集めるための努力」というものをしていました。
しかし、不思議なものでナンパに付き合ってる暇なんてない。って思っている時に限ってナンパされたりするものですが、自分があたかもナンパされる為のような行動をとっているうちは、だれも声をかけてきたりしないのです。他にも意味もなく満員電車に乗ったりして、痴漢に遭遇されようと試してみたりもしましたが、これも空振りに終わりました。
おそらく(あいつはやめておこう。メンヘラビッチだ・・・)と思われていたのかもしれませんし、また私が負のオーラーを体中から醸し出していたのかもしれません。
そして、「見られるだけ」というものにも慣れてきて、私の性的刺激を求める本能は、さらなる欲求を出してきました。おそらく、この本能の最終地点は、レイプされたい輪姦されたい。というゴールに繋がっていくような気もするのですが、まだこの道のステップを踏み出したばかりの私は、(もう少し、、、刺激的な事ないかな。。。誰にも迷惑かけない事で・・・)と思い始めていました。