この話は以下の方に読んでいただきたい。
40代以降の方
仕事、家庭でストレスを抱えている方
夜勤などもあり不規則な方
喫煙している方
常習飲酒している方
ジャンクフードを食べる方
血圧なんて測ったこともない方
脳梗塞なんて50代、60代の人の病気で俺には関係ないと思ってる方
↑の条件、全て俺がそうだった。
この話の本義は、まず読者の皆さんに若年での脳梗塞はあり得るという警告をする事。この文章を通じて、少しでも多くの方が健康に目覚め、脳梗塞で後遺症を抱える人生なんか歩んでほしくないという筆者の願いが込められている。
そして、脳梗塞という非日常の極みとも言える、、まさに死線を彷徨ったことにより普段の日常ではあり得ない展開(エロ方面にて)になったという特殊な体験談も併せて書いていきたいと思ってる。
もちろん、、文章は長くなる予定です。特に前半は真面目に脳梗塞の症状発生から嚥下障害、半身麻痺について書いていくのでテーマが重いです。途中からヒロインが登場し、エッチな展開にもなっていきますが・・・。まずは長文連載となることを前提として読んでくれたらありがたいです。
では初めていきましょう。
▲脳梗塞になるまでの俺の私生活。
俺は大規模のとある医療センターで警備員をやっていた。夜勤がある不規則なシフト制ではあったが、毎日8000歩から1万歩は歩くし、運動不足ではないだろうと思っていた。たまに夜勤の休憩時間にラーメンなどを食べにいくが、それも毎日ではない。たまにのことだから良いだろうと思っていた。
タバコも吸うがいわゆる加熱式というやつで紙巻タバコみたいにモロにタールを肺に入れてるわけではないし、酒も飲むけど一応、魚や緑黄色野菜も食べている。ま、、、問題ないだろうと思っていた。そんなごく当たり前の40代前半の中高年であった。
そんな生活を俺は、、、今の警備員の仕事をやり始めて10年くらい続けていた。
▲発症
そんな俺が日勤の時の話である。
その日は寒かった。俺はその日、普段なら朝は自宅で緑茶を飲んで仕事の出るのだが、その日ばかりは何の気分の変化なのか、コーヒーショップでホットコーヒーを飲んで仕事に向かった。とても暖かいコーヒーで美味かったし、(冬はこれだなw)なんて思っていた。
そして会社に到着後、まさに皆さんが今読んでいるナンネットを読みながら、(へー。この体験面白いな。コンパクトにまとめられてるし)と仕事開始までの時間を潰していた。
すると・・・・。
頭の後頭部にとてつもない違和感を感じ、、、、手で触ってきたんだ。すると、(プチ)ではないが、それに近い、、何かが脳の中で破裂したような感覚を覚えたんだ。
すると、大量の汗、呼吸が浅い、めまいがする、言葉が出ない、、、そして何より・・・・まだ電源を入れていない真っ黒なパソコンモニターに映る俺の顔が、、、、(さ、、左右が変形してやがる!!!!!!これは脳だ!!!!!)
俺は躊躇いもなく救急車よよび、、そしてまさに自分が務める病院の救急センターに運ばれることになったんだ。
▲恐怖と悟り
それから俺はストレッシャーに乗せられ、、、救急隊からの質問を受けた。さまざまなことを聞かれたが、正直覚えていない。完全に死の恐怖でパニックになっていた。だが、パニックの割にはちゃんと受け答えはできていたんじゃないかと思う。
それから俺の視界は常に天井を向くことになった(ここからしばらく寝たきりとなる)俺はストレッチャーや病院の移動式ベッドに寝かされ、院内のMRIなどを中心とした最先端の医療器具での検査をたらい回しにされ、、俺は生きた心地がしなかった。この時考えていたのは不思議なもので、死の恐怖がピークに到達すると、案外、死ぬこと自体の恐怖が麻痺するということであった。
俺は(自宅のパソコンの中のエロサイトのブックマーク、、消しとけばよかったな)なんて冷静に考える面もあったと思う。
▲HCU
そして医療機器での検査のたらい回しをされた後、、、俺はフラフラして意識が混濁する中、医師から「脳梗塞ですね」と言われた。さらに「呼吸器系を司る部分の脳細胞えが壊死していますので、しばらく呼吸困難、嚥下障害が続く可能性があります。しばらく様子を見ましょう」とのことであった。
それから俺は人工呼吸器、心電図、鼻から栄養補給のチューブ、点滴、痰の吸引器などをあちこち身体中にケーブル、パイプ類を繋がれ、、、俺と似たような連中がいるHCUへと運ばれていった。
それから家族が病院にきて俺の入院手続きをやってくれていた様子だが、、俺はもう俺のことを考えるだけが精一杯で、正直・・・自分以外のことに何の関心も抱かなかった。死線を彷徨うということはこんな究極の心理状態になるのかもしれないなと今では思う。
▲中略
そして入院してから本当に過酷だったのは3、4日だった。この期間は常にベッドの上。排泄もすべてベッドの上。水1滴すら飲めない。何も食べれない。数分おきに吐き気を催し、とにかく痰が絡んで咳込んでいた。人と話すのも億劫な、そんな3、4日間の地獄だった。
だが、医師の言うとおり「脳梗塞の症状が出た部位は数日かけて炎症が落ち着いてくるので、失われた機能が別の脳細胞を使って再接続されていく可能性もあります。そこからリハビリ開始です」なんて言ってたのを覚えている。最初は(本当かよ)なんて思っていたが、、、3、4日経過すると確かに話せるようになったし、嚥下障害が残っていたので食べたり飲んだりすることは困難であったが、、最初の地獄の状態からは脱出できたようだった。そして何とか俺はHCUを卒業することができたのだった。
さて。ここまで駆け足で脳梗塞の発症から最初の3、4日の地獄までを描いたが、ここから「ヒロイン」に登場してもらおうかと考えている。
次回、残念ながら決して美人とは言えない。だが心は天使すぎる俺の担当看護師、「神崎さん」との出会い。