「圭一。」
「はい。奥様。」
この牧方家の運転手兼使用人として仕える様になって早いもので3年が経つ。
不況の煽りで会社が倒産するのと同じ時期に4年前に上司の紹介で結婚した妻とも別れた。
子供はいなかったのが幸いだった。
すべてを失った様な気分になり,僅かばかりの蓄えを持ってアパートを引き払い,子供の頃から憧れていた北海道に生活の拠点を移す事にしたのだった、
上野駅の地下ホーム‥
新しい生活への旅立ちに寝台列車を選び一時間も早くから入線を待っていた。
今日で東京を最期にする去愁を盛り立てるものがそこにはあった。
深まりゆく秋に北海道や東北では早くも雪が降り出したとニュースでは言っていた。
関西の温暖な地方に育った自分には雪そのものに触れる機会も思えば少なかった。
東京で過ごした5年間の間に何度か見た辺りを真っ白に染める雪の美しさに感動したものだった。
明日の今頃は‥
寂しさと共に新しい大地に期待があった。
ほどなくして入線してきた列車に乗り込んだ。
新しい旅立ちに奮発して一人用の個室を取ろうとしたが埋まっていて二人用の個室になってしまった。
先の予定も何も見えない自分に贅沢な気はしたのだったが‥
荷物を部屋に置き,本を広げると列車が一揺れして走り出したのだった。
上京してきた日の事を‥上司に紹介されて妻と初めて会った日の事を‥
アパートを借りて一緒に暮らし始めた日の事を‥
物思いに耽るにはちょうど良かった。
そして‥
思い出しているうちに涙に視界が曇ってきた‥
自分の人生とは‥
振り返るのは止めよう‥
そのために今までの生活を捨てて新しい旅立ちを決めたのだから‥
駅で買った弁当を広げていると孤独を感じずにはいられなかった。
連結しているサロン車に出向いてみると深夜に近い時間のせいか中年の夫人を従えた意味ありげなカップルが一組みいるだけだった。
空いているソファーに座り,流れる景色を見ながら眠くなるまでの時間を過ごす事にした。
そのうちカップルの夫人が席を立ち,車内には初老の男と自分だけになった時
「ご旅行ですか?」
と男が話しかけてきた。
今にして思ってもどんな話しをしたのか覚えていないのだが,なぜか東京を今夜最期にする事になった経緯やこれからの事を話してしまっていた。