大学3年夏休み、近所の個人塾で夏季講習の講師のバイトしたんだけど、そこの経営者がアラフィフのおばさんで、今で言うと膳場貴子っぽい人でした。
おばさんだったけど、知的で綺麗だなと思いました。
でもその時は、専門学校生の彼女がいて、若い性欲をぶつけていました。
その専門学校生の彼女は3月で卒業して、就職先に引っ越してお別れ、淋しい思いをしてるとき、そのおばさんと居酒屋でバッタリ、一緒に呑みました。
酔った勢いと、彼女がいなくなって飢えていたのもあって、誘われるままにラブホに入りました。
母親世代のおばさんとセックスなんて、かんがえたこともなかったので、ドキドキしました。
おばさんの裸は、お腹が少し緩んでて、ちょっと下腹部が出てたけど妙にエロくて、オマンコはいわゆるドドメ色という奴で、そのグロさがかえってスケベっぽいオマンコに見えました。
クンニすると色っぽい喘ぎ声出して、痛いほどの勃起をフェラされて、もう、妊娠しないからコンドーム要らないと言われて 生で入れました。
別れた彼女と違って、パックリ大口の緩そうな膣口に生でゆっくり入れたら、メッチャ気持ちよくて、腰を振ったらブチュブチュいやらしい音とともに、隙間から空気がブバッと漏れました。
専門学校生だった別れた彼女とは全く違う、絡みつくような感触に腰が抜けそうでした。
若い彼女と違って、熟女のセックスって、自らも腰を動かす脳童貞なセックスで、蕩けそうでした。
普段知的なおばさんのあられもない痴態に、興奮が止まりませんでした。
「ああ、出そうです。」
「そのまま中に出して・・・」
奥まで入れて、ビュビュビュビュ―――っともの凄い勢いで射精しました。
その勢いと言ったら、尿道がちょっと痛いほどでした。
それからはもう、おばさんのオマンコの虜でした。
どうも、ご主人が単身赴任中らしく、お子さんは大学進学で家を空け、おばさん一人で淋しかったのでしょう。
もう、大学4年の1年間は、おばさんと半同棲状態でした。
おばさんの家に泊まったり、私のアパートのおばさんが泊まったりで、ヤリまくりました。
母子を気取って温泉旅行に行ったこともありましたが、夕食の時、ビール飲みながら盛り上がってしまい、おばさんの浴衣の上をはだけて、おっぱいモミモミしてたら仲居さんがお膳下げに来て、見られてしまいました。
その時、3人とも固まってしまいましたが、おばさんが、
「私たち、ずっと母子で愛し合ってたんです。でも、今回、お別れすることになって、最後の旅行なんです。」
って言ったもんだから、仲居さんが驚いて、きっと、仲居仲間に伝わったんだと思います、翌朝朝食会場で、視線が痛かったです。
もちろん、部屋のごみ箱には、何発もの中出しを始末した、精液臭いティッシュの山でした。
一晩で5発出して、翌朝も2発、そして帰宅して別れ際に1発、おばさんのオマンコは精液でドロドロでした。
おばさんとのセックスは、出しても出しても治まらなくて、抜かずの3発は毎度でした。
1年間、狂ったようにヤリまくりました。
おそらく、1年で1,000発くらい出したんじゃないでしょうか。
あれだけの時間一緒に過ごして、ヤリまくると、母娘のような都市の差のおばさんでも、愛が芽生えました。
気付けば抱き合い、唇を重ね、舌を絡ませ、本気で愛し合っていました。
でも、一言も愛してるなんて口にすることなく、愛し合っていました。
そして、2月の終わり、私は大学を卒業して、帰郷するために荷造りしていました。
「もう、行っちゃうんだねえ・・・」
荷物を見て、おばさんが言いました。
「私にとって、最後の青春だった。ありがとうね。こんなおばさんを相手にしてくれて。哀しくなるから、見送りには来ないよ。黙って消えとくれ・・・」
そう言って、アパートを出て行くおばちゃんを見送りました。
昨年、私は結婚をして、そして、大学のある街の地元の友人も結婚するので、披露宴に行ってきました。
5年ぶりに懐かしい街を歩き、自分が住んでたアパートを眺め、個人塾を眺めました。
「おばさん、お元気ですか・・・俺ね、結婚しましたよ・・・」
と呟いて、訪ねることはせず、帰ってきました。
そして、今、毎晩妻を喘がせられているのも、おばさんで修業したからだと、おばさんに感謝しているのです。
そんな、1年間ヤリまくったおばさんとの思い出を、書き込んでみました。