大学の時、弁当屋でバイトしてました。
店長夫婦とオバサンが3人、それと僕と言うメンバーでしたが店長夫婦はかなりのサボり魔で午後から締めの21時まではバイトに任せっきりだった。
その分、自由にさせてもらってたけど基本2人組で回していた。
当時は低時給だったので週6くらいで働かないととても10万近く稼ぐ事は難しかった。
だから僕は毎日ヘロヘロになりながら帰っていたけど、同じシフトに入るオバサンも店長夫婦に対して不満を持ちながら働いていた。
あまりにキツイのでオバサンは結構辞める事が多かった。
良くて半年、ひどい時は2ヶ月くらいのペースで。
そしてベテランの僕は事前に
「キツイから辞めようと思う」
と相談を受ける。
それをファミレスとかで話するから結構オバサン達とは個人的に親密になる。
弁当屋を辞めても町内で会えば声をかけてくれたり、カラオケに誘ってくれたりする人が増えて大学の4年間で町では割と顔の知られた存在になる。
オバサンと言っても子供が中学や高校に行く年代で40~60代が中心だったけど、割と夜に家を出ても大丈夫な世帯が多かった。
まぁあんなバイトをするくらいだから時間は融通がきくんだろうと今にしては思う。
そして家が近いからと、カラオケ店で酒を飲む人も割といた。
色々ストレスもあるんだろう、カラオケで発散する人は(僕も含めて)多かった。
キッカケはすでに辞めて数ヶ月になるオバサンSさんにカラオケに呼ばれて行った時。
その町のカラオケ屋はいくつかあったけど、お気に入りは小さなコテージみたいな部屋が敷地内に何個もあり、それぞれが完全に独立したカラオケ屋でした。
良くも悪くもカラオケ屋の従業員は電話で注文した食べ物とか呼び出し以外は部屋を開けないと言うところ。
時間が過ぎてもベルが鳴るだけで呼びには来ない。
だから別名「歌えるラブホ」で有名だった。
特に下心もなくカラオケを奢って貰えるという理由でホイホイ誘われるままオバサン達とつるんでいた。
その日、Sさんは予想以上に酔っ払い人格が変わっていた。
セクハラ親父ならぬ逆セクハラオバサンになった。
とにかく下ネタラッシュで、
「最後のセックスはいつか」
とか
「男はアレの大きさより硬さ」
とか大声で喚き、本当に2人きりで良かったと思った。
そしてその時はやってきた。
「◯◯く~ん…オバサンさぁ~夜ってムラムラしちゃうのよね~…ダンナとかはキャバとか行くのに私はカラオケじゃ~ん??もっと男と絡みたいわけよ~。◯◯くんさ~、熟女ってストライクゾーン??」
僕は素直に
「モロっす!」
女日照りはストライクゾーンなど無い。
目の前のヤレる女は全てラブでした。
「やりぃ~♪オバサンとしよーよ~。ゴム無いけど最悪失敗しても何とかなるからさ~?元気な大学生のオチンチンを使ってごらんよ~。」
僕はガッツいた。
監視カメラもなく防音な部屋では遠慮はいらなかった。
Sさんはスレンダーで貧乳だったが元ヤンの様なビッチ感漂う人で、歳のわりにイケイケだった。
とにかく僕はSさんの乳首とマンコを執拗に舐めた。
思いっきり濡らした方がロングプレイが期待できるからです。
カラオケの予約は3時間コース。残り2時間タップリとするには簡単にイくわけにはいかない。
「いや~ん!!」
とふざけている様な感じ方をするSさん相手にとことん責め、ベチョンベチョンになった所で挿入した。
生挿入で刺激強めだったけど愛液のヌルヌル感が何とか射精を押し留めてくれた。
細いカラダに突き刺さる僕のチンコで、あのSさんがよがりまくっている…
激しくすればするほど声が大きくなる。
終わってみれば腰がガクガクして力が入らないほどヤッて、中出しはなんとか避けたけど風呂がないのでSさんのお腹にタップリ出させてもらった。
帰り道、Sさんもフラフラしながらだったけど酔っ払っているのでカモフラージュできていた。
そうしてSさんとの大人の関係が構築できたのを皮切りに、その後も2人のオバサンとも関係が進展しモテ期の様な大学生活を過ごした。
特に後の2人の内の1人は未亡人。
早くにダンナと他界し、子供も既に社会人。
45歳のUさんとは、昼ドラさながらの関係だった。
なんせ向こうは大学生の若造のカラダを貪れる、こちらは出したい盛りでいつでもヤりたいと言う願望がマッチした結果、カラオケ屋は安いラブホでした。
Uさんは特に豊満な体型で普通にAVに出てそうなほどだった。
だからすっかりハマって、彼女なんて作らなくても良かった。
堂々と(Uさんは彼氏がいたらしいが)会って猿の様にヤッていた。
そんな関係を築き上げたのだから大学生卒業後も就職は近場にした。
アパートもグレードアップして、カラオケに行かずともセックスに興じれるようになった。
流石にペースは落ちたけど、週2回、いつでも会える熟女さんで僕は満足です。