人口十数万人の田舎の地方都市で、伯父がやってたカラオケスナックを引き継がないかと言う話があったのが11年前だった。
当時俺は35歳、そこそこ都会の県庁所在地にいたが、つまらない仕事に飽き飽きしていたから、伯父の話を受けようと考えていた。
約一年間、家族とすったもんだの末に36歳で離婚と相成り、結婚8年33歳の嫁と6歳の娘を置いて、財産のほとんどを嫁に残して伯父の元へ旅立ったのが10年前だった。
「オサム、離婚してまで来なくても良かったんだぞ。俺も間もなく70歳、年だから、そろそろ辞め時だから声をかけたまでだったんだが・・・」
と言われた。
しばらくは伯父と一緒に店をやっていた。
カラオケスナックと言っても、営業は午前10時からと早めで、朝食の片づけを終えた還暦過ぎたおばあちゃん達がやってきて、お昼ごろまで歌っていた。
お昼は12時から午後1時半ころまで休みで、午後は家事を終えた50代の有閑マダムがやってきて、香水の匂いをプンプンさせて歌っていた。
マダムたちは真昼間からビールを煽り、ガハハハと下品な笑いで盛り上がっていた。
マダムたちは夕方5時くらいで帰って行って、午後6時には店を閉めた。
地方都市の郊外の住宅地にあるカラオケスナックで、飲み屋街にあるわけではないから、近所のおばちゃん相手に商売していたが、結構いい商売だった。
おばちゃん相手だけに、旦那が休みの土日祝日は店は休んでいた。
実は、この店にはもう一つ裏の商売があった。
それは、閉経したマダムや、還暦過ぎて旦那にかまってもらえないおばあちゃんの相手をするというものだった。
伯父が年で裏の商売ができなくなって、俺が呼ばれたのだ。
お昼休みなのに、早々と50代後半のマダムがやってきた。
「マスター、これからは甥っ子さんを頂けるのかい?」
「ああ、離婚して溜まってるだろうから、いっぱい抜いてやってくれ。」
カラオケスナックの2階がヤリ部屋になっていて、しかも、隠しカメラでババアセックスが録画されていた。
俺が来て3年後、伯父が73歳で海辺の施設に行った時、そのカメラの存在を知った。
伯父は、無き伯母との思い出が残る海辺の施設で、余生を送った。
俺は、録画されていた動画を見てみた。
真っ昼間から、30代後半の俺と50代後半のマダムの情交は卑猥だった。
閉経女陰に男根が生挿入、ドドメ色の女唇がはためき、ギンギンの男根が唸った。
マダムのネックレスが揺れ、淫蜜が溢れた。
当然中出しで、マダムは嬉しそうに中出し精液を指ですくっていた。
そして、
「今日は、これでいいかしら・・・」
と1万円札を置いて出ていった。
1回いくらと決めているわけではなく、その日の満足度によってお気持ち代を置いて行く、それが裏の商売だった。
店の2階へ上がる階段のドアにかけてあるカレンダーに、印がつけられる。
それは、昼間に抱かれる予約の印なのだ。
俺は、毎回ではなく、時々撮影することにしていた。
そうやって、いろんなマダム、時には還暦過ぎた超熟女を抱くこともあった。
そして今、俺は、動画の整理をしている。
結構コアな動画もあった。
66歳の超熟女が、笑顔で椅子に腰掛けている。
紫の勝負服でおめかし、メイクもバッチリ決まっていた。
この超熟女、実は、県議の奥様で、セックスは8年ぶりだと言っていた。
俺が近づいてくると、トロンと目つきになった。
椅子に座ったまま、俺の股間をズボンの上から撫でてきた。
俺も超熟女も裸になると、すぐさまセックスへと突入。
超熟女らしいボッテリとした女体が、ベッドの上で揺れていた。
66歳の女陰は真っ黒け、突き刺さる男根に仰け反ってヒイヒイと下品い喘いだ。
「あああ~~~中に、中に子種汁をおくれか~~」
俺は、66歳の蜜壷にタップリと中出しした。
ポッテリした女体は、大の字になって動かなかった。
他にも、60代の超熟女は何人かお相手していた。
みんな、旦那とはすっかりレスで、俺のアラフォー男根を前にして、ウットリとした表情になっていた。
俺に抱かれるのは月に1、2度、久しぶりにセックスができると、お洒落してやってきた。
みんな、還暦過ぎとは思えない色気を漂わせていた。
そして、裸になると緩んだ女体とはいえ、男を興奮させる美しい仕草を見せた。
自分の息子のような俺の男根に欲情する還暦熟女の姿は、いくつになっても、女なんだなと思わせた。
みんな、中出し精液に嬉々とした表情を見せていたから、女と言う生き物は、子宮に精液を注がれると気持ちいいんだろうと思った。