名無しさん
思春期の頃の、隣のオバサンとの体験談、昭和時代の厭らしい臭いが半端無いですね、とても懐かしく昔を思い出しました。
自分は名無しさんよりも、十五ほど年上になりますから少し前の昭和時代に、同じ様な環境で似た経験をしていました。
名無しさんが育った環境よりも苛酷だったかも知れません、過疎地の田舎で住人は中高年か年寄りで子供はと言えば中学までしか居ません、理由は地元に高校が無く、中学を卒業すると遠く離れた隣町の高校の寮に入り、そこを出ると進学や就職で誰も村に帰って来なかったからです。
自分は元々勉強嫌いで、素行も誉められた者では有りません、中学を出ると隣村で林業を営んでいる方の所で世話になる事になりましたが、同期や同年代で地本に残ったのは自分だけでした。
林業と言っても親方が定年を過ぎた年寄りの職人さん三人と、地元林の切り出しや植林と炭焼きを細々と続けているだけでした。
それでも仕事はキツく、付近には何の娯楽も無く月に二回、親方の家に呼ばれて慰労を兼ねた宴会をするのが恒例になっていましたが、自分にはそれも苦痛でした。
親方や職人さん達は酔い潰れるまで呑んで騒いでいましたが、当時まだ十六で酒が呑めるわけでも無く、ただひたすら出された御馳走を食べているだけでしたが、親方の奥さんが造る料理は美味く其だけは楽しみではありました。
親方達の酔いも回り、そろそろ失礼しょうかと思っていると、奥さんが誰も風呂に入らないと嘆いていました、宴会へは何時も仕事終りに直行しているので、親方の奥さんは毎回風呂の準備をしていたのです。
奥さんに薦められると、断る訳にもいかず仕方なく風呂に入らせて貰いました。
頭を洗っていると「背中流してやろうか」声がして、奥さんがいきなり入って来ました、自分は慌ててタオルで前を隠しながら、いいですからと何度も断っていると「遠慮せんでええ」と、袖を捲り石鹸を取って半ば強引に流しに来ました。
奥さんは、背中を流しながら「仕事は辛く無いか…」「年寄りに囲まれて一人で寂しく無いか…」と自分を気遣う言葉を続けました。
半ば強引に背中を流しに来たのは、奥さんが自分の事を心配して落ち着いて話が出来る機会をつくる為だと、その優しい言葉使いから伝わって来ました。
ですが 不謹慎にも自分の股間は、石鹸を塗った奥さんの手が直接背中に触れて来る感触に反応していました。
必死でタオルで隠して誤魔化していましたが、奥さんがそれに気付くと「何やのそれ…」クスクス笑いながら「地元に若い娘はおらんし、どうせ彼女もおらんのやろ」そう言って、洗面器のお湯を頭からブッ掛けられました…
思わず、すみません と何度も繰り返していると「謝らんでもええ」そう言ってスカートの中からパンツを脱ぎ取って、正面に回ると自分の腰を跨いで上に座りました。
初体験でした
スカートの中で、奥さんに握り締められ 中に導かれた瞬間に逝ってしまいました。
奥さんは直ぐに自分から離れると、無言のまま慌ててパンツを履いて急いで風呂場を出て行きました。
一瞬の出来事でした、暫く呆然としながら終った後の奥さんの様子が気になっていました、中に出してしまったからです。
不安になると切りが無く、その場に居ても仕方ないので風呂を出て宴会の部屋を覗きました。
親方達は酔い潰れていて、奥さんは忙しそうに後片付けを始めていましたが、自分に気付くと「気を付けて帰るんだよ」何時もの笑顔で声を掛けてくれました。
親方達は酔い潰れていて何も気付いて無い、奥さんの笑顔から大丈夫だったのかと少し安心しながら帰りました。
親方と奥さんは五十前後で、二人の子供さんはとおに就職で家を離れ夫婦二人暮らし、自分が仕事で世話になる様になり一月半後の出来事でした。
その夜は布団に入り目を閉じると、親方の奥さんを思い出して寝付けず自分で二回抜いてやっと眠りに着けましたが、翌日からは火が着いた様に毎晩、奥さんを思い起こして自分で遣るのが当たり前になっていました。
初体験させて貰った次の宴会からは
親方達の酔いが回って来ると、奥さんに目で合図され、裏口を出た直ぐにある納屋に潜んで毎回遣らせてくれる様になりました。
合図を受けると奥さんが先に納屋に行き、後からトイレに行く様な素振りで自分が追いかける手筈で。
納屋に入ると、奥さんは壁に両手を着いて僅かな隙間から裏口を見張る様に覗き込んでいます、自分はそんな奥さんの背後からスカートに手をやりパンツを膝までズリ下げ、入れさせて貰うだけでした。
奥さんは初めから終りまで、隙間を覗き込んだまま一瞬も裏口から目を離しませんでした。
自分が終わると、慌ててパンツを履き上げ「お前が来てくれて本当に助かってる… 仕事辛いだろうけど頑張って続けておくれ」裏口を覗き込んだ姿勢のまま、そうゆうと振り返りもせず急いで裏口に駆け込んで行きました。
奥さんとの後、宴会に戻っても誰も怪しんでいません、納屋での時間は五分と無かったからです。
席に戻ると奥さんは、何事も無かったかの様に酒を注いで回っていました。宴会が盛り上がって来ると、親方は必ず「お前が居て良かった、皆も凄く喜んでいる…」職人さん達も仕事ぶりを誉めて、自分を盛り上げてくれました。
そんな様子を、奥さんは何度も頷きながら笑顔で見詰めてました、、、
その奥さんが宴会の度に、危険を承知で遣らせてくれるのは、自分を何とかこの仕事に繋ぎ止めて置く為の手立てなんだろうと、当時の自分でも十分わかっていました。
実際、奥さんとの事が無かったらとっくに辞めていました、仕事はキツく年寄りに囲まれての仕事は退屈でした、ただこの仕事を続けていれば月に二回の宴会で奥さんが遣らせてくれる、その一心で残っていたのが事実で、奥さんもその事を十分わかっていたのだと思います。
薄暗い納屋で、毎回ほんの数分間、後ろから入れる事以外は一切余計な事をさせない雰囲気でしたが、それでも当時の自分には堪らない事でした。
初体験の時は、あまりにも突然で考える余裕も無く突発的に中へ出してしまい酷く動揺しましたが、二度目に同じ失敗をやらかしても奥さんは無言で、その事に何も触れませんでした。
三度目に、その瞬間が近付いて来ると一瞬躊躇しましたが、堪らずに出してしまう時の背徳感に強烈な興奮を覚え、、、
それ以降は、むしろ奥さんの中に出したい一心で必死にその思いを遂げていました。
奥さんは、親方の妻として何時も堂々と凛とした態度で振舞い、職人さん達は親方は元より奥さんにも丁寧な敬語を使い、酒を注ぎに来られた時も恐縮した態度で受けていました。
納屋で終った後で、そんな宴会中の様子を見ると職人さん達への妙な優越感と、その毅然と振る舞う奥さんの中に自分の放った精子が蠢いていると想像した時の興奮は言葉では言い表す事が出来ません。
奥さんと終った後に続く宴会中も、ずっと股間をパンパンにしていましたが納屋に呼んで貰えるのは毎回一度だけでした。
そんな関係が半年続いたと言っても、月に二回の宴会で一度しか遣らせて貰えませんから回数にすると六回程度、後ろから挿入する以外は何もさせて貰えませんから、奥さんの胸も触った事が無く、当然アソコも見た事が有りませんでした。