「一回、競馬行ってみるか?車、買いたいし。。」
会社の先輩にそう誘われて、初めてウインズに行ったのが2年前のこと。
結果はもちろん当たるはずもなく、その後7回くらいは足を運んだが、8回目はありませんでした。
先輩はさっさと足を洗いましたが、僕はどこかもの足りず、そこで会ったのが仕事関係のおじさんでした。
今年70歳になるおじさんの競馬歴は50年以上。10代の頃からやっているらしい。
孫のような僕ともどこか息が合ってしまい、それから二人で毎週のようにウインズに出掛けることになる。
昼ごはんは奢ってくれるし、お金が底をつけば無利子で貸してもくれる。とても優しいおじさんでした。
1年くらいが過ぎた頃、ウインズに向かう僕の車には、二人ではなく三人になっていました。
後部座席に女性を乗せたのです。話には聞いていた、おじさんの愛人でした。
「正子」という名前の女性で、想像していた派手なホステス風ではなく、どこにでもいる近所のおばさん。
細身の身体に地味なワンピースを着ていて、ほんと普通の普通。
無口な方で、たまに話す声は小さく過ぎて、うまく聞き取れないほど。
とてもおとなしい女性だった。年齢はおじさんより10ほど若い、60歳くらいでしょうか。
その日も、いつものようにウインズの屋外の日陰に座り込み、第1レースから始めました。
正子さんは競馬はやらず、新聞を見て予想をしてるおじさんの隣に寄り添っています。
愛人でなければ、いい夫婦のようにも感じます。
「おいっ!これ買って来い!帰りにコーヒーも。。」
おじさんにそう言われ、書き込んだマークシートと現金を持って、正子さんが券売機へと走ります。
パシりです。「自分で買いに行くの!」と言ってみると、「アホか、女は使うんもんや!」と返されます。
二人の関係がよく分かりませんが、初めて見る男と女の上下関係に、僕はなぜかドキドキを覚えるのです。
僕達三人の関係は続きました。毎週日曜日になると、ウインズに出掛けて行きます。
いつものように建物の壁に並んで座り、朝から夕方まで競馬を楽しむのです。
しかし、半年が過ぎても正子さんと僕は打ち解けることが出来ません。
話をしても、彼女はうなずくだけで会話にならず、僕からは積極的に話をすることはなくなりました。
お互いにおじさんが間にいてくれないと、もう関係が成り立たないのです。
そして、夏競馬を向かえます。新馬戦も始まり、また新たな気持ちで競馬が楽しめます。
ところがその日曜日、休日にはほとんど鳴ることのないおじさんの携帯が鳴りました。
電話を切ると、「悪い。帰るわ。用が出来た。」と言うのです。
「ああ、そうですか。。またやりましょう。。」と僕も帰る準備を始めます。しかし、
「お前、やって行け。。ワシの馬券も買って帰ってくれ。。ワシ、タクシーで帰るわ。。」
そんなことを言って来ます。正子さんを残して帰ると言うのです。
「迷惑なので連れて帰れよ。一人でやるわ。」とも思いますが、たぶん連れて帰れない理由があるのです。
おじさんの家庭の用だと思われます。
正子さんと一緒にタクシーを見送ると、一気に不安がよぎりました。
こんな無口なおばさんと長時間いられる訳もありません。なので、僕も帰ることを決めるのです。
再び同じ場所に戻り、とにかくメインレースの予想を始めました。せめて馬券だけは買って帰りたいです。
スポーツ新聞を広げ、赤ペンを持って、浅い知識で予想をします。
しかし、隣に座って来た正子さんとの距離が、どこか気になりました。
とても近いのです。彼女は意識はしてないのでしょうが、おじさんと寄り添うあの距離で座ります。
「彼氏の友達。だから、私は面倒をみないと。。」、そんな風にでも思っているのでしょうか?
「競馬してみます?。。面白いですよ。。」
息が詰まりそうな状況に耐えられず、新聞を広げて、隣に座る正子さんにそう声を掛けてみます。
しかし、彼女は首を横に振り、僕が予想をしているのをただ見ているだけ。男に尽くす女性なのでしょう。
マークシートを書き込むと、「私が買って来ます。。」と言われ、僕は現金を渡しました。
すると、正子さんはおじさんの時と同じように自動ドアを抜け、券売機へと向かいます。
帰って来ると、手には馬券の他に缶コーヒーが持たれていました。僕の分だけです。
「いいですよ~。正子さんのも買って来ます。」と、僕があらためて買いに走らないと行けないほど。
都合がいいにも程があります。ただ、そんなおばさんに悪い気はしません。
時間はまだ午前中。僕はメインレースではなく、次のレースの予想をしていました。
60歳のおばさんとは言え、隣に女性が座ってくれるというのは気分がいいのです。
それに、なぜか僕に尽くしてくれていて、40歳近い年の差のおばさんを自慢気に思ってしまいます。
「競馬、一緒にしよ?。。どれがいい?。。」
二人の前で新聞を大きく広げ、競馬も知らない正子さんにも見せてあげます。
訳も分からず、新聞を覗き見る彼女。自然と僕との距離も縮まりました。
太股と太股は触れ、細い彼女の腕が僕の胸を突きます。
建物の壁にもたれて、座っている彼女の腰に手を回したのはその時でした。
持った腰を引き、更に僕の方への近づけます。しかし、正子さんの反応はとても薄いもの。
男にそんなことをされるのは慣れているのか、気にしない素振りです。
「どれにする~?。。好きな番号とかある~?。。」
僕は親しそうに聞いてあげてはいますが、気持ちなど入ってはいません。
気になるのは、次のレースを走る馬ではなく、隣に黙って座っている老いた牝馬の方でした。