2年生になると、セックスに慣れただけじゃなく、二人の息も合っていきました。
様々な体位の中、裕美は腰が自由な騎乗位を好むようになり、私に跨り、そばかすの残る純朴顔を歪ませて、髪をフワつかせて腰を振りました。
友人に、
「昨日、飲みに誘いに行ったけど、裕美ちゃんの喘ぎ声が聞こえたから、遠慮したよ。まだ夕方だっていうのに、お前ら好きだねえ・・・」
などと言われていました。
3年生になると、コンドームを使わなくなりました。
射精する前兆で膣から抜いた陰茎を、ティッシュを持たせた裕美の手のひらに乗せて、射精していました。
裕美は、手のひらで感じる射精に興味を示し、
「生理来ちゃった・・・手でしてあげようか?」
と言って、片手にティッシュを持って、私の背後から右手を回してシコシコ扱いて、ビクビクするとティッシュを持った左手にビュービュー射精させて喜んでいました。
4年生になると、裕美はクンニでクリ逝きしました。
気が付けば、何のはみだしもなかった裕美の淫裂から、焦げ茶色になった陰唇が少しはみ出していました。
私の陰茎も裕美の愛液に焼け、赤らんでいました。
生理日以外補ほぼ毎日、休日は1日に3回も4回もセックスした日もありましたから、4年間で有美としたセックスの回数は、軽く1,000回を超えていたと思います。
それほどまでに、飽きずに愛し合った裕美とは、お互い、離れた地元就職でお別れでした。
見送ったり、見送られたるは切なすぎたから、私と裕美は、同じ日に引っ越しました。
部屋は引っ越し荷物でいっぱいだったから、最期のセックスは、ホテルに泊まりました。
いつまでも裕美の膣口と陰核を舐めていましたが、裕美が何度もクリ逝きして反応が弱くなってしまったから、陰茎を挿入して腰を振りました。
クリイキしすぎて全身が性感帯状態の裕美は、ビクビク痙攣しだし、
「あっあっあっ、なんか変、なんか来る、ああああ~~~」
と叫ぶと、唸りだして仰け反り、バッタリと大の字になりました。
「私、逝ったみたい・・・まるでこのまま死んじゃうんじゃないかって思うほど、身体が浮いて・・・あっ、だから逝くっていうのかぁ・・・」
「裕美・・・」
優しくキスすると、裕美は股を広げて指で陰唇を開き、
「タケル君、まだだよね。入れて・・・」
裕美との最後のセックスは、夜通しと言っても過言ではない回数しまくりました。
裕美の揺れる乳房、歪む純朴顔、記憶に刻み込みました。
翌朝ホテルを出て、電車でアパートの最寄り駅まで行き、二人並んで歩き、それぞれのアパートに向かう分かれ道で、
「さよなら、タケル君・・・元気でね・・・」
「さよなら、裕美・・・ずっと、忘れない・・・」
目にいっぱい涙をためて、胸の前で両手を握り合って、別れました。
アパートでトラックが来るのを待って、荷物を載せてから駅に向かいました。
裕美も駅にいるんじゃないかと、駅でキョロキョロしましたが、裕美の姿はありませんでした。
一人、東京駅に向かい、新幹線に乗って故郷を目指しました。
就職先で、裕美を忘れるためみたいに付き合った2人目の元カノがいましたが、1年で破局してしまいました。
恋を忘れるための恋は、お相手にも失礼でした。
結局、身体目的みたいになって、振られました。
その元カノには、未練はありません。
その次に付き合ったのが、妻です。
お淑やかで美しい妻も、好きなまま別れた元彼がいました。
お互い、切ない悲恋話をした覚えがあります。
妻に裕美との別れを話しながら、裕美は今、どうしてるかなあと、裕美を思いました。
妻とは、とても穏やかな恋愛で、セックスもいたわり合うようで、妻の反応もたおやかなものでした。
結婚は、私27歳、妻24歳でした。
今年、結婚10周年を迎え、妻と思い出話をしていたら、突然、
「あなたの大学時代の思い出の彼女さんも、きっと、旦那さんと幸せに暮らしているわよ。」
と言いました。
「どうしたんだ、急に。」
「昔、話を聞いたっけなあって思いだして。どんな人だったのかなって思ったら、つい・・・」
「お前みたいに美人じゃないし、背は低いし、東京には似合わない、垢抜けない純朴な女の子だったよ。」
と言ったら、妻が安心したように微笑みました。
そうしたら、裕美との思い出が走馬灯のように蘇ったので、文章にしてみました。
裕美が読むとは思えませんが、もし裕美がこの文章に目を通したら、懐かしく思うでしょうね。
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