私は週に一回の義父の性処理のことを「ハンドの日」と呼ぶようにしました。義父の都合でデリヘル代わりにされたらたまったものじゃありせん。私は義父に「毎週木曜日しかしませんからね?やりすぎもよくないので!」とそこだけは強く言いました。
それから私は木曜日のお風呂介助のタイミングで手を使い義父の陰部をマッサージし射精させる仕事が増えたはいいのですが、義父の要求はエスカレートしていきました。
片麻痺をしているから襲ってくるという事はありませんでしたが、こんなことがありました。
私が浴室で風呂用の介護チェアに座る義父の陰部を手でマッサージしていると、どうしても衣服の胸元が義父からすれば気になるようです。当然私も患者が看服の胸元を見てくるのは看護師時代から知っていたので胸元が広がらないように気をつけて動作します。
すると義父は「そんな手で隠さなくても少しくらい見せてもいいじゃん」と動く方の手でシャツの胸元を広げてきたのです。
今思えばこの段階で旦那に義父の実態を赤裸々に話をしておいたほうが良かったのかもしれません。ですが元看護師としてのプライドもあったのだと思います。
医療の現場では患者からのセクハラなんて日常茶飯事。いちいち気にしてたら仕事になりません。
私は義父(患者)にもストレスもある性欲もある、そこを理解してあげないと、、と持つ必要のないプロ意識を持っていたのかもしれません。
私は(胸の谷間くらい、、まっ、、いいか、、)と気にしないことにしました。
それからまたしばらくして次の欲求をされました。
「麻理ちゃんも毎回毎回大変だと思うから俺も自分でやれることはやろうと思うんだ。とくに動かない方の手でやればリハビリにもなると思わないか?」と言い出すのです。
(やっと私の辛さがわかってくれたのか、、最初から自分でやれよ)と思いました。
すると義父は「そこで、、悪いんだけどパンツかしてくれないかな?何もなしに自分でするのも虚しくてさw」などとほざいてきたのです。
当然「そんなの無理ですよ!何をいってるんですか冗談もほどほどにして下さい笑」とまたスルーしようとしました。ですが「これもリハビリだろ?動く方の手を使ってもリハビリならないだろ?動かない手を使うからこそ、空いた手でオカズがあればやる気にもなるって俺は言ってるだけだろ?なんだ?だったらズボン脱いでパンティ見せてくれよ。自分でするから」
、、、、、、はぁ、、。。
義父、脳梗塞なる前はこんな人じゃなかったのですが。。体が不自由になるストレスは人格を変える、これも現場で見てきた姿そのままです。
結局、私もパンツを貸すことで自分がしなくていいのなら、、と思いました。ここは人によって様々かもしれませんが私からすれば義父の身体に直接手で触れて射精させるよりパンツを貸して後は好き勝手にしてもらえるほうが楽だと思ったのです。使われたものは捨てたらいいし、、。
それに、、麻痺してる手で自慰行為なんて出来るはずもありません。結局は動く方の手でする他なく、パンツは目の前に置いて眺めるかしか方法がないのはわかってました。
だから、、私はいったん風呂場から消えてトイレにはいり下着を下ろし、、そしてまたジャージをはいて風呂場に戻りました。それから義父に脱いだパンツを手渡し、「終わったら声かけてください」と風呂場のドアを閉めて外でため息。
結局、最低最悪な状況になりました。義父からの「麻理ちゃーん、やっぱ難しいわ」と中から呼ばれ、、結局は私が手で処理することに。そして義父は動く方の手で私のパンツを鼻に当てていつもより大量の精液を出したのです。
私はそのパンツを捨て、、毎週木曜日は100均の安物履いていこう、、と思ったのです。
この身障者となって人格の変わった義父、元看護師としてのプライドで誰にも相談しない私、私のことを完全に信頼しきってる義母と旦那。この板挟みで苦痛の日々が続きました。オムツ交換やお風呂介助はもう慣れましたが毎週、木曜日の性処理の日は朝から憂鬱でした。
かといって今更、旦那に相談しても「なぜ早くに言わなかったんだ!」と手遅れ。また義母に知られた場合、考えたくもない最悪な展開になるでしょう。義父が◯くなるまで続くのか?義父の性欲が枯れるまで続くのか?仮に介護サービスを受けたとしても一度、癖にさせてしまった性処理サービスだけは永遠に続くような気がしました。ですが耐えるしかありませんでした。
義父の介護さえ除けば後は恵まれています。家は快適、旦那の収入も問題なし、子供は健やかに育っている。
ですが義父の行為はエスカレートの一途を辿り、ハンドサービス中に胸を揉んでくる、お尻を触ってくるのは当たりまえ。私は濡れてもいいようにハーフパンツタイプのジャージを着てるのですが、スキをついて脱がされたりもしていきました。要するに義父にも軽い認知症が入ってきたのだと思いました。
すると義父も「俺も長くないかもしれないな」などと言い出し、、恐れていた言葉「麻理ちゃん、、頼む。これ以上は我儘は言わない。セックスさせてくれないか?頼む!このままボケて朽ち果てて行くのは辛いんだよ、ここまで世話してきたんだからいいだろ?俺が◯んだ後も遺産うけとるんだよな?たのむよ!」
もうボ◯もここまで進行したか、、、と呆れました。いつか言ってくるだろうな、と思えばあまりに予想通りだったので別に驚きもしませんでしたが。
後いうなら私側にも慣れがありました。文字に起こせば一瞬ですが、かれこれ介護開始から義父のエスカレートまであしかけ2年は経過しているのです。私にも限界が来ていたのです。
私は私の方から「お父さん、真面目に聞きますけど一度セックスさせてあげたらこれ以上の無理な要求はやめてくれるのですね?毎週木曜日にしてる事は最後になるのですね?」と語気を強めて聞きました。すると義父はを「ああ、もしさせてくれるなら、金輪際あれしてくれこれしてくれとは言わない。約束する」と返事してきました。私は「考えさせて下さい」とその日は何もせずに帰り、そして考えました。
でも考えるといっても問題は単純でした。これからこの先も10の苦痛を見通しのないまま延々と続けるか、それとも一回100の苦痛を受けてあとは楽になるか。私は後者を選びました。
翌日、私は義父に「必ず約束守って下さいね」と強く言い、約束の日を定めたのです。
それから私は旦那の机の中にあるコンドームを持参し、万が一の事も考えて緊急避妊ピルを看護師の友人から手配してもらいました。(ゴムをつけてる予定ですが何をしてくるかわからないので無事に終わっても飲む予定をしていました)
その際、知人から「なに?浮気でもしてんの?笑」と言われた時は内心マジで腹が立ちました。
では次回、運命の日の話の詳細を書いていこうと思います。不快感MAXの文章にはなると思いますが、不快感描写を興奮として変換できたらエッチ系サイトに相応しい内容になるかもしれません。
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