あの夜から主人が出張から帰って来る1時間前まで私は義父に抱かれていました。
夜は子供たちを早く寝かせ、朝は子供たちを学校に送り出した途端、お昼も食事をしながら、
場所も義父のお布団が敷いてある客間はもちろん子供たちを送り出した玄関であったり、朝食に後片付けをしている台所であったり、昼食時椅子に座って対面座位の食卓の前だったり、
私が義父が用を達しているトイレだったり、そして子供が寝たあとのお風呂やリビングのソファーだったりと繋がっていました。
そして夫婦の神聖な寝室のベッドの上でも義父は私の体の上に覆い被さってきたのです。
「お義父さん、子供たちが寝たあとならいくらでも構いませんが、いるときに私の体を触るのだけはやめてください。もし見られてあの人に言われたら、、」
「その時は田舎に来なさい。莉菜子さん一人くらいならいくらでも面倒見てあげるから。いっそうのことその方がいいかな、うふふふ、、」
なんて私の言う事には耳を貸してくれないのです。
何度繋がり何度義父の精液を私の中へ注がれたのか、そのたびにちゃんと生理が来ますようにと祈っていました。
下着も繋がりやすいように揉まれやすいようにと着けるのを嫌がり、だったらと子供たちの前でもロープで体中亀の甲羅縛りをされ、その上からワンピースだけを着せられていました。
子供たちはそのことを知らないまま、「ねえねえお母さん、、」と言ってワンピの裾を引っ張って寄り添ってくるのです。
そんな時はもう生きた心地はしませんでした。
しかしそんなことが何日も続くとその事が普通になってしまって、義父がおしっこを済ませるとその直後私が跪いて義父のオチンチンを口に咥え奇麗にするのです。
二人で買い物に行った時も多目的トイレに入ってロープの緩みを直したり、義父と交わりいかにも義父が身障者を装って出てくるのです。
私が義父のオチンチンを咥えているところも、ロープ姿の裸も用を達している姿もそして義父と繋がっている姿も義父のスマホには写真として入っているのです。
(ああ、、もう私はお義父さんなしでは生きていけない体になったのね。)と思ったことか。
義父が田舎に帰った今でもオナニーは欠かさずしていて、その姿を見てもらうために義父に写メを送っている毎日なんです。
「ああ、、お義父さん、今度はいつ来てくださるの。早く、早く私を抱いてください。」
という言葉を添えて、、、
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