俺は隠れてママとか呼んでるが妹に言わせると「あの女」呼ばわりだ。気を付けていないとちょっとした修羅場になりかねない。
俺も今までは「幼い娘を親父のエサに与えて生活苦から逃げた鬼のような女」そう評価していた面がある。
だけどいつも思っていたんだ。
レナの身なりだ。
髪もいつでも綺麗に整えてあり洋服も可愛らしさを忘れない気遣いがされて足先から頭の先まで愛情が注がれているように見えた。そんな鬼の母親にできる事とはまったく思えなかった。
確かに親父の命令一言で幼い娘の体ををためらいもせずに晒す、それも積極的に。そこだけを見れば「あの女」と呼ばれても仕方がないかも知れないが今回あの恐ろしいほどの母親と娘から完全な縛りから解放されたようなセックスを経験させられて俺は自分の中で何かが変わったような気がしている。
隔離された空間で個人同士がどのような性の喜びをやり取りしていたからと言って人様に迷惑さえかけなければ自由にやっていいいのでは、そう思えるようになっている。
妹は親父の娘でありその妹と俺は腹違いだが親父の血が流れている兄妹だ。新ママとレナは母娘だが性的な快楽の前ではその制約は何ら持っていないように見える。親父と言う壮年のオスの前で尻を差し出しマウントを求める二人のメスでしかない。
レナもあの年齢にして既に男に性の興奮と喜びを与える事が自分の女としての喜びであることを理解しているように思える。そこに肉によって引き起こされる猛烈な快感を得るために社会的なタブーを捨てて母親とパパ、そして俺ともこだわりなく純粋に生き物として関わりをもってくれようとしていると感じるのだ。
ただ残念なことにまだ男のペニスを性器に招き入れるには体が未熟なのだ。レナがバージンを捨てたとき俺たちファミリーは初めて性的に完全に解き放たれた「家族」となれるのかも知れない。
たしか誰かがレスをくれたようにもう一度妹を妊娠させ、新ママを孕ませ、レナにも生んでもらう。
その子達の父親が全て俺だとしたらそのファミリーは完璧な愛情関係で結ばれると言えはしまいか。
俺は狂ってるのだろうか。
※元投稿はこちら >>