童貞卒業の相手が、恋焦がれ、それでも手の届かないと思い続けた 妹さん だった あに さんの気持ちは、男として判らないでもありません。
互いに相性の好いセックスに夢中なのも。
でも、それでも、妹さんとの幸せ、妹さんの幸せを、あに さんは目を背けないで考え始めて欲しいと思います。
へたれな兄貴は、親父さんが恐いんでしょ?(笑)
失礼なもの言いです。ごめんなさい!
あに さんのコンプレックスの誠実な告白と、それを包み込んで癒そうとする妹さんの気持ちに惹かれながら拝読させていただいております。
土地に根付いた仕事をなさり、狭いコミュニティでの御二人の秘密は、私が思う何倍もの困難を伴っているのでしょうね。
環境も時代も違うので、参考にはならないかとも思いましたが、私の小中高の同期・同級生の話を書いておきます。
彼と妹さんは、3歳違いの実の兄妹です。
ご両親は、彼の自宅から20分ちょっと離れた駅前商店街の最後の一画にカフェバー(時代がバレますね(笑))を開いていました。
彼が小学生に上がった頃から、彼がまだ幼かった妹さんの面倒を見るコトが増えていきました。
子どもというのは、残酷なもので、小学生の男の子たちの遊びには付いて来られない妹さんを、いつも連れて居る彼は、だんだん遊びに誘われなくなっていきました。
私は、2つ上に姉がおり、姉の命令で、彼と妹さん四
人で遊ぶこともありましたが。
同級、同期の中での彼は、運動も、勉強も、体格も、性格の好さも、おまけに容貌までも、悠に頭ひとつ抜け出していたので、苛められたりすることはありませんでしたが、それでも、なんとなく浮いてしまっている感じでした。
中学時代も、度々、部活動に部員だけでなく、顧問の先生方にも勧誘をされていましたが、放課後は、小学校に妹さんを迎えに行く毎日でした。
妹さんが、中学に入学して、夏前位から部活動に入部するまでは、帰宅部。高校1年の夏以降はバイト男子になりました。バイト代でバイク免許を取り、中型バイクを買い、東京の国立大理工学部に現役合格。
幼なじみの私から見ても「やっぱり彼は凄く格好いい」と思っていました。
その後、風の噂で私たちの高校の後輩となった彼の妹さんも、現役で東京の国立女子大に合格したという話を聞きました。
現代みたいに、スマホや携帯の在る時代ではなく、年に一度の年賀状のやりとりが数年続いた後は、まったく連絡をとるコトもなく過ぎていきました。
今年の11月のコトです。
高校卒業以来30年振りに、高校の同期会が行われました。そこで、卒業以来の彼と再会したのです。
ホントに同じ歳なのか?と落ち込む位に若々しく、相変わらすの格好良さの彼。昔と同じ人懐こい笑顔で真っ直ぐに私の前に立ち「良かった、会いたかった。」と言ってくれました。
二次会、三次会と彼の周りは御婦人方に占められ、ろくに話も出来ない状態でしたが、三次会の後、帰ろうとしていた私を追って「まだ、何処か2人で飲めるお店知ってる?」と抜け出してきました。
一駅歩くと、朝まで居られるバーが在るけど…と言うと「其処に行こう」と応え歩き出しました。
店に着いて、話を始め、幼い頃の話や家族の様子等わを訊いたり答えたりする内に、彼の妹さんが、婚外子を二人産んだことを知りました。意外な、、、と感じた後、まさか?!と…
「…その、お前の子なのか?」
彼は少し笑顔で、小さく頷き「さすがだね」と応えました。暫く、それが長かったのか、短い間だったのか判りませんが、30年以前の記憶がいっぺんに押し寄せるように頭の中を駆け巡っていました。
その後、ポツリポツリと、彼が高校3年で妹さんが中学3年の夏休みから、ただの兄妹ではなくなってしまったこと。妹さんが産んだ二人の子どもは、彼の養子として迎えたこと。長女は近県の公立病院で小児科医として働き出していること、長男は関西で大学院生ながら講義も持っており研究者の道を進みそうなこと、彼と妹さんは今も二人暮らしをしていること、等を話してくれました。
不思議と嫌悪感などが全く湧かず、ただ、ただ、よく自分に話してくれた、という歓びに似た感慨と、彼と妹さんの幸せを強く願っている自分の気持ちがありました。
おそらく、私には想像もつかないような、悩み、苦しみ、葛藤、罪悪感、幾多の困難と向き合ってきた30年だったのだろうか?
気がつくと、私は泪を流していました。
そんな私の様子を見て、彼も目を潤ませていました。
始発電車に乗って帰る彼を見送り、漸く薄く明るさを映し出した東に向かう道を家へと歩きながら、気がつくと彼ら兄妹の幸せを祈っている自分がいました。
どんなに困難であろうと、信じ合い、支え合い、道を探し続けた兄妹が確かに居ます。
あに さん。
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