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2012/09/13 00:55:42 (KGVrh9S6)
夜中にうなされて目覚めることが多々あり、そんなときはいつも汗びっしょりだった。
理由がわからず悩んだ時期もあったが25歳を過ぎた頃にいきなり夜中に目覚めて、それは怒濤のように脳裏に蘇った。
まさしく引き出しを開けたとしか表現のしようがない記憶の再生だった。
まだ4,5歳頃の幼い時期、よく母に連れられて母の実家に出掛けていた。母の父、つまり祖父の面倒を見るために母は月に数度の割合で実家へと帰っていたのだ。
深酒で体を壊した祖父は足が悪く、ひとりでは何かと生活が不便でそれを母が手助けに行っていたらしい。
母は3人姉弟の長女で、早くから母親を亡くして幼い二人の弟の面倒も見ていたそうだ。
ろくに学校にも行けず、この祖父と弟たちの面倒を見るために母は早くから社会に出て仕事をしていた。
ちなみに父と知り合ったのは、昔で言うところのキャバレーで、その時母はまだ16歳でしかなかったらしい。
仕事仲間と遊びに行った父に見初められて早くから結婚したのだが、やはり実家のことが気に掛かるらしく、母は結婚してからも頻繁に里帰りしていた。
それを快く思っていなかった父方の祖母、つまり姑からは相当苛められた。嫌味を言われ物陰で泣いている母を何度も見たものだ。
母は、父と結婚をして17歳で俺を生み、以来子は俺ひとりしかいない。
若かったし綺麗な母だったから好きだった。祖父は粗野で気性の荒い性格だったから、あまり好きではなかったが、母の傍にいたくて私もよく母について祖父のひとり住む実家へと遊びに行っていたものだ。
怠け者だった祖父は財産もあまりなく、家も粗末なあばら屋だった。昔ながらのわらぶき屋根で、家の中に入ると猛烈に枯れ草の匂いがしたのを覚えている。小さな家で壁に仕切られた部屋などもなく、それこそ玄関にはいると土間があり、その向こうに壁まで見渡せる一部屋があるだけだった。母は、こんな家で生活し祖父や叔父たちの暮らしを支えてきたのだ。
ある時のことだ。
いつものように母について祖父の元へ行った。祖父の家にはテレビなどもなくラジオもなければ子供が楽しめるオモチャすらない。日が暮れてしまえば後は寝ることしかなく、晩の食事が終わってしまうと、私はいつも部屋の隅に薄い煎餅布団を敷いてもらい、そこに寝かされていた。
いつものように布団に入ってどれほどの時間が経ったのか、夜中にふと奇妙な声を聞いて目が覚めた。まだ、家の中に灯りは点いていたから、それほど深夜ではなかったのかもしれない。
裸電球のまぶしさにぼんやりと目を向けると、真っ先に見えたのは宙に浮く細くて白い足だった。灯りに光り輝く白い足が異常に美しく見えた覚えがある。まだ、眠気が強かったから、それがなんであるのかわからなかった。
その白い足をじっと見ているうちに、悲鳴に似た女の声がしているのに気付き、それが母の声に似ているのに気付いて瞬時に体が強張った。
かすんでいた視界がようやくはっきりしてくると、私の視界に映ったのは、天井から垂れ降りた荒縄に体を縛られ、乳房を歪に絞り出されながら素っ裸で喘いでいる母の姿だった。母は縄に両足を持ち上げられ、その拡げられた下肢の間に色黒の肌があった。母の足が異様に白かっただけに、そのコントラストが妙に毒々しいものに見えた記憶がある。
母の足の間に入っていたのは祖父だった。
まだ子供であったから、その時の私には二人が何をしているのかなど想像もつくはずはない。ただ、祖父が荒々しく尻を振る度に、母が苦しげに身を縒り悲鳴に似た声をあげるので、それが怖くて声を出すこともできなかった。
どのくらいの時間、そうして布団の中で息を殺しながら身動き一つできずにじっと眺めていたのか。
不意に、頭をガクリと落とした母がこちらを向き、そこで目があってようやく私は大声で泣いたのだ。
そこからの記憶はない。泣きながら豊かな母の乳房に顔を埋めていたのだけは、感覚的な記憶として残っている。しかし、あの晩のことは25歳を過ぎるまで思い出すことはなかった。
きっと、潜在的に封じ込めたのだと思う。
その出来事のあった翌日も、たいして騒ぎはしなかったようだから、きっとすっかり記憶が封印されてしまったのだろう。
25歳を過ぎたあの晩、なぜか唐突にそれを思い出した。
隣で寝ていた母の胸に顔を埋めていたからかもしれない。
思えば、母だけでなく姑であった祖母からはよく私も苛められた。自分の息子が産んだ孫であるから、本当なら慈愛の対象となるはずなのに、なぜか私は鬼子と言われ、祖母から嫌われたのだ。
よくあの祖父に顔が似ていると祖母は吐き捨てるように言っていた。祖母にはわかっていたのかもしれない。
私は父よりも、母の弟である叔父たちによく顔が似ていると昔から言われてきた。
父と母が知り合ったのは、まだ母が16歳でしかなかった頃。結婚を急ぐ年でもなかったのに、その翌年に籍を入れたのは、母のお腹の中に私が宿ったからだ。
それが誰の種であるかは、調べなくとも容易に想像がつく。
祖父は、私が高校に入学した年に胃ガンで亡くなった。葬儀の際には、狂ったように泣き叫びながら祖父の棺に取り縋って泣く母を力尽くで引き剥がさなければ出棺できないほどだった。
それから、母の愛情が一直線に私に向けられるようになったのは言うまでもなかった。
母は私を心の底から愛してくれた。
17歳の時に二人の関係を父が知るところとなって、父と母は別れた。
それからというもの、母は女手一つで私を育ててくれ、大学まで行かせてくれた。
父とは別れはしたが、時々はあってもいるようで、私に対する金銭的な支援もしてくれていたらしい。
父は、私が鬼子であったのも知っていたのかもしれない。
それでもかまわないと思ったのは、母を愛していたのだろうし、妙にサバサバとした人でもあるから、そんな人生を面白がっていたのかもしれない。
まだ、父に顔向けすることはできない。
母は怒っていないと言うが、やはり顔を合わせることなどまだできそうにない。
私と母は、今でも一緒に暮らしている。肌を重ねることは少なくなったが、どちらからともなく欲しくなれば、求め合うことだけは続いている。
母が、初めて祖父と関係を持ったのはまだ12歳の時。半ば力尽くだったそうだが、母は母で慈愛に満ちた人だったから、祖父を恨みもせずに受け入れた。叔父たちも母と祖父の関係には気付いていたらしく、上の叔父からは思春期の頃に関係を迫られたこともあったそうだ。母は叔父の身が滅ぶのを心配して絶対に許さなかった。
では、どうして俺と関係を持ったの?と聞いたら、俺は生まれたときから母のもの決めていたのだと笑いながら答えてくれた。
きっと母は、実の父親を愛していたのだと思う。どんなに不出来な男でも母には掛け替えのない人だった。
そして彼がいなくなったとき、その代わりをするのは俺と決めていた。
血の繋がりのある男に抱かれたい。母はいたって普通の人だし社会常識もあるが、唯一奇異な性癖は肉親でなければ欲情しないことなのかもしれない。

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投稿者:研一
2015/03/22 12:54:40    (QV9dgs.U)
正直よくわからない

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