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2026/03/24 09:05:38 (qC/wnjoz)
義父の脳梗塞→片麻痺→要介護→性処理強要
これが今から書く報告者の内容です。

私の前職は看護師をやっていました。26歳の頃に勤めていた病院に健康診断で訪れた現夫に声をかけられ交際スタート。
28歳の頃に妊娠して結婚と同時に職場を一時退社。
住居も旦那の強い希望で二世帯住宅を新築するという運びとなりました。
二世帯住宅を選んだ理由、それは旦那の両親が富裕層ということもあり、旦那は一人息子。これから子供(孫)が生まれるにあたり絶大なサポートを受けれると言う狙いです。
また両親が他界した後は子供の世帯が空いた所に入居すれば私たちも老後は子供や、あるいは孫と近くに住んで老後の生活が安泰するであろうこと。
そんな富裕層ならではの将来設計をしていました。
だからこそ新築の二世帯住宅は二世代、三世代に渡って住む事が出来るよう旦那の両親の資産、旦那と私の貯金と使って豪邸ではありませんが、それなりにしっかりした邸宅を建てたのです。瀬戸内海が見渡せる景観のよい高台、これなら南海トラフ地震がきても大事だね。なんて言ってた頃が懐かしいです。まさに幸せの絶頂期でした。

それから数年が経過し、子供が小学校に上がれば私は医療の仕事に戻る予定をしておりました。それが出来るのも二世帯住宅だからです。祖父母が同じ屋根の下に住んでいるからです。
ですが、現実はそう甘くはありませんでした。義父が突然の脳梗塞で倒れ、また発見が遅かったことにより血流が届かなくなった脳細胞が破壊され右の片麻痺という重篤な後遺症を抱えたのです。
必死のリハビリも思うような結果は出ず義父は要介護認定となったのでした。
ですがお金には困りませんでした。富裕層ならではの手厚い各種保険が功を奏し他にも介護手当、障害者年金の認定もおりお金の面では何の問題もなかったのですが、、、義母さんの一言「元看護師の麻理さんが家にいてくれるから助かるわぁ」の一言で、私は看護師に復帰するどころか、逆に自宅で義父の介護要員となってしまったのです。

当然、旦那との間では一悶着ありました。
私の主張は「お金はあるんだから訪問介護や行政サービスを使ってほしい。なぜ私が介護要員にならないといけないの?苦労して看護師の資格をとったのだよ?」です。
旦那は「気持ちはわかるけど、いきなり金あるんだから他人の世話になれ、なんて言えるか?ここまで世話になってるのだからせめて最初くらいはサポートしていく姿勢を見せるのがスジってものだろ」でした。
こうして私は極めて消極的な理由で介護要員としての毎日が始まっていったのです。

介護イコール下の世話とはよく言ったものです。片麻痺している義父はトイレまで連れて行けば用を出せるのですが、問題は夜間。最初の頃は義母も夜中に起きてトイレに連れていったみたいですが経験もなく体の細い義母が体格の大きい義父をトイレに担ぐのは相当な負担。そのうち義父の方がオムツに慣れてしまい、毎朝のオムツ交換は私の仕事となりました。
特に脳梗塞の症例がある人は脱水症状を防ぐために水分を多く摂らないといけません。オムツに慣れてしまった義父は昼間も数時間おきに排尿をし、それを交換するのも私の役目となりました。
私は日中、家事をしながら義父からの内線電話で定期的に呼ばれ、オムツ交換、その他雑用、お風呂介助までするのが常となっていったのです。

これが看護師の仕事で報酬をもらいながら終末期の患者さんのお世話をするならまだやりがいもあります。「ありがとう、ありがとう」と言われて誇りにもなるものです。ですが義父は片麻痺を除いては健康そのもの。脳も半分の体もしっかりしています。ですが「麻理ちゃんーオムツー」と平然と召使のように注文してくる義父の存在はストレス以外の何者でもありません。
ですが逃げ場もなし、私は義母や旦那が私の限界に気がついてくれて介護サービスを受けるという判断をしてくれるまでの我慢だと言い聞かせていました。

すると、、、ある日のことです。私がいつものようにオムツ交換をすると義父は無精をしていたのでした。その時、義父から「いっても俺もまだ60代だからな。後少しで70は見えてはいるけど、、まだ使えるんだよ笑」と言ってきました。私は「元気なのはいいことですよー」と他愛もない返事を返すと義父は「麻理ちゃん、無理なお願いなんだけどハンドで、ハンドでいいから処理するの手伝ってくれないか?」などと言い出したのです。
私は「いやいやお父さんそれはちょっと、、困りますwそれに片方の手は動かせるでしょう?」と、これも病院あるあるのセクハラ患者対応で培った経験をもとにかわしていこうと思いました。ですが義父は「片手が動くから自分でしろとは酷くないか?俺だっていくら介護がいるといっても老人じゃないぞ?ちゃんと性欲だって残ってるんだよ!」と開き直ってきたのです。

義父から言われたことを誰にも相談する相手なんておりません。(ハンドだけ、ハンドだけ、、、)という義父の言葉が何度と脳裏をかすめ、、結局「わかりました。手だけですよ?」と結局、応じてしまったのです。これが全ての始まりでした。

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投稿者:桐生   pokkachan
2026/03/24 10:41:13    (rV25tEIi)
図々しいおやじだな。
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投稿者:麻理ママ
2026/03/24 10:58:27    (qC/wnjoz)
私は週に一回の義父の性処理のことを「ハンドの日」と呼ぶようにしました。義父の都合でデリヘル代わりにされたらたまったものじゃありせん。私は義父に「毎週木曜日しかしませんからね?やりすぎもよくないので!」とそこだけは強く言いました。
それから私は木曜日のお風呂介助のタイミングで手を使い義父の陰部をマッサージし射精させる仕事が増えたはいいのですが、義父の要求はエスカレートしていきました。
片麻痺をしているから襲ってくるという事はありませんでしたが、こんなことがありました。
私が浴室で風呂用の介護チェアに座る義父の陰部を手でマッサージしていると、どうしても衣服の胸元が義父からすれば気になるようです。当然私も患者が看服の胸元を見てくるのは看護師時代から知っていたので胸元が広がらないように気をつけて動作します。
すると義父は「そんな手で隠さなくても少しくらい見せてもいいじゃん」と動く方の手でシャツの胸元を広げてきたのです。
今思えばこの段階で旦那に義父の実態を赤裸々に話をしておいたほうが良かったのかもしれません。ですが元看護師としてのプライドもあったのだと思います。
医療の現場では患者からのセクハラなんて日常茶飯事。いちいち気にしてたら仕事になりません。
私は義父(患者)にもストレスもある性欲もある、そこを理解してあげないと、、と持つ必要のないプロ意識を持っていたのかもしれません。
私は(胸の谷間くらい、、まっ、、いいか、、)と気にしないことにしました。
それからまたしばらくして次の欲求をされました。
「麻理ちゃんも毎回毎回大変だと思うから俺も自分でやれることはやろうと思うんだ。とくに動かない方の手でやればリハビリにもなると思わないか?」と言い出すのです。
(やっと私の辛さがわかってくれたのか、、最初から自分でやれよ)と思いました。
すると義父は「そこで、、悪いんだけどパンツかしてくれないかな?何もなしに自分でするのも虚しくてさw」などとほざいてきたのです。
当然「そんなの無理ですよ!何をいってるんですか冗談もほどほどにして下さい笑」とまたスルーしようとしました。ですが「これもリハビリだろ?動く方の手を使ってもリハビリならないだろ?動かない手を使うからこそ、空いた手でオカズがあればやる気にもなるって俺は言ってるだけだろ?なんだ?だったらズボン脱いでパンティ見せてくれよ。自分でするから」
、、、、、、はぁ、、。。
義父、脳梗塞なる前はこんな人じゃなかったのですが。。体が不自由になるストレスは人格を変える、これも現場で見てきた姿そのままです。
結局、私もパンツを貸すことで自分がしなくていいのなら、、と思いました。ここは人によって様々かもしれませんが私からすれば義父の身体に直接手で触れて射精させるよりパンツを貸して後は好き勝手にしてもらえるほうが楽だと思ったのです。使われたものは捨てたらいいし、、。
それに、、麻痺してる手で自慰行為なんて出来るはずもありません。結局は動く方の手でする他なく、パンツは目の前に置いて眺めるかしか方法がないのはわかってました。
だから、、私はいったん風呂場から消えてトイレにはいり下着を下ろし、、そしてまたジャージをはいて風呂場に戻りました。それから義父に脱いだパンツを手渡し、「終わったら声かけてください」と風呂場のドアを閉めて外でため息。
結局、最低最悪な状況になりました。義父からの「麻理ちゃーん、やっぱ難しいわ」と中から呼ばれ、、結局は私が手で処理することに。そして義父は動く方の手で私のパンツを鼻に当てていつもより大量の精液を出したのです。
私はそのパンツを捨て、、毎週木曜日は100均の安物履いていこう、、と思ったのです。

この身障者となって人格の変わった義父、元看護師としてのプライドで誰にも相談しない私、私のことを完全に信頼しきってる義母と旦那。この板挟みで苦痛の日々が続きました。オムツ交換やお風呂介助はもう慣れましたが毎週、木曜日の性処理の日は朝から憂鬱でした。
かといって今更、旦那に相談しても「なぜ早くに言わなかったんだ!」と手遅れ。また義母に知られた場合、考えたくもない最悪な展開になるでしょう。義父が◯くなるまで続くのか?義父の性欲が枯れるまで続くのか?仮に介護サービスを受けたとしても一度、癖にさせてしまった性処理サービスだけは永遠に続くような気がしました。ですが耐えるしかありませんでした。
義父の介護さえ除けば後は恵まれています。家は快適、旦那の収入も問題なし、子供は健やかに育っている。

ですが義父の行為はエスカレートの一途を辿り、ハンドサービス中に胸を揉んでくる、お尻を触ってくるのは当たりまえ。私は濡れてもいいようにハーフパンツタイプのジャージを着てるのですが、スキをついて脱がされたりもしていきました。要するに義父にも軽い認知症が入ってきたのだと思いました。
すると義父も「俺も長くないかもしれないな」などと言い出し、、恐れていた言葉「麻理ちゃん、、頼む。これ以上は我儘は言わない。セックスさせてくれないか?頼む!このままボケて朽ち果てて行くのは辛いんだよ、ここまで世話してきたんだからいいだろ?俺が◯んだ後も遺産うけとるんだよな?たのむよ!」

もうボ◯もここまで進行したか、、、と呆れました。いつか言ってくるだろうな、と思えばあまりに予想通りだったので別に驚きもしませんでしたが。
後いうなら私側にも慣れがありました。文字に起こせば一瞬ですが、かれこれ介護開始から義父のエスカレートまであしかけ2年は経過しているのです。私にも限界が来ていたのです。
私は私の方から「お父さん、真面目に聞きますけど一度セックスさせてあげたらこれ以上の無理な要求はやめてくれるのですね?毎週木曜日にしてる事は最後になるのですね?」と語気を強めて聞きました。すると義父はを「ああ、もしさせてくれるなら、金輪際あれしてくれこれしてくれとは言わない。約束する」と返事してきました。私は「考えさせて下さい」とその日は何もせずに帰り、そして考えました。

でも考えるといっても問題は単純でした。これからこの先も10の苦痛を見通しのないまま延々と続けるか、それとも一回100の苦痛を受けてあとは楽になるか。私は後者を選びました。
翌日、私は義父に「必ず約束守って下さいね」と強く言い、約束の日を定めたのです。
それから私は旦那の机の中にあるコンドームを持参し、万が一の事も考えて緊急避妊ピルを看護師の友人から手配してもらいました。(ゴムをつけてる予定ですが何をしてくるかわからないので無事に終わっても飲む予定をしていました)
その際、知人から「なに?浮気でもしてんの?笑」と言われた時は内心マジで腹が立ちました。

では次回、運命の日の話の詳細を書いていこうと思います。不快感MAXの文章にはなると思いますが、不快感描写を興奮として変換できたらエッチ系サイトに相応しい内容になるかもしれません。
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投稿者:(無名)
2026/03/24 12:36:05    (I7Sevkta)
ちゃんと金貰えるなら貰った方が良いですよ!
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投稿者:(無名)
2026/03/24 12:41:55    (r.Uo14oS)
それからそれから?
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投稿者:(無名)
2026/03/24 13:37:42    (xE00v/Ty)
結局!、最後は義父にオメコ犯られて、逝かされて気持ち良かって話?長くタラタラと!。
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投稿者:麻理ママ
2026/03/24 14:59:25    (qC/wnjoz)
忘れもしないその日、私にとって最大の屈辱の日がやってきました。コメントにもあるとおり図々しいったらありゃしない。義父は「麻理ちゃんは看護師の服とか持ってるんだろ?着てきてよ。男の夢わかるだろ?」と言ってきました。
男性にとって看護師服が一定の性的対象と見られる要素がある事くらいは知っていますが、こうして望まない相手に注文されるのは心底腹が立ちました。私は看護師の仕事を誇りを持ってやっていたし何もアンタの性的願望を叶えるためじゃない。ふざけるな。本当にそう思いました。
ですが、一方的に憎めない私もいました。
体が思うように動いていた時の義父の人格は大変素晴らしく引退後もスポーツやボランティアを通じて社会と関わりを持ち、そしてなにより私たち夫婦は様々なご迷惑(経済面など)をかけていました。
それに医療従事者として急に体が思うように動かなくなる苦痛、介護を必要としなければならない己自身との葛藤で人格が変わった人もたくさん見てきました。
そう考えれば相手はこの先短い相手、介護初期に比べたら明らかな運動不足で食も細くなり血圧も高くなっています。
義父の言う最後の願い、、というのもあながち嘘ではないのでしょう。義父は本当に図々しいですが考えようによっては哀れな人。ただ私は義父とのセックスが終われば義父から「介護サービスを利用したい」と言わせる事を交換条件としていました。ですから仕方なかったのです。

当日、旦那と子供を送り出し、義母は用事で出掛けているタイミングを狙って日程を定めました。私は何年振りかに切るスペアの看護師服(メインは支給品なので返却しています)を着て準備しました。現場から離れてもまだ動きは体が覚えているのか、無意識に看護師パンツと呼ばれる白くてボクサータイプの表に目立たないショーツをはき、セットのブラをつけている私がいました。
それから玄関を出て1メートル隣にある義父の玄関ドアを開け、そして義父の待つ介護ベッドへと向かいました。
する事は最初はオムツ交換。ですがこの後にコレを口に入れないといけないかと思うとゾッとして、そのまま浴場へと連れ出し下半身を丁寧にシャワーで洗浄。
義父は介護しやすいように自宅内でも常に旅館のような浴衣を着ております。

それから私はまた介護ベッドへと義父を連れ戻すと、義父は「今日バイ◯グラ飲んでるんだ笑 友人から頂いてね。きっと麻理さんも満足してもらえると思うよ。すぐに硬くなりそうだ笑」などといってきました。「そうですか」とだけ返事をした私(そういうところだけチャッカリしやがって!)と思いました。
それから「じゃ、どうさせてもらいますか?」と聞くと「悪いけど、とりあえず口でしてもらおうかな」なんて言ってきました。もはやデリヘル状態です。
私は「わかりました」と言って介護ベッドに寝転がる義父の浴衣を広げ、最初からオムツはつけてなかったので丸出しの義父の足元に身を丸くして近寄りました。
それから最強最大の抵抗感、、、(まだまだ続くのですが)で目を瞑って何とか口に入れると、さすがバイア◯ラの効果なのか、ムクムクと硬く大きくなり、モノだけ見れば30代、40代くらいの勢いを出してきたのです。
衛生的な面では先ほど、浴室でちゃんと洗ってきたので不衛生とは言えませんが、義父のモノをなぜ私が、、という気持ちだけは拭い切る事は出来ず、、ただ心を無にして一心不乱に頭を動かしていきました。
ほんと、、この時自身が情けなかったのは男性の陰部を口に入れているというだけでジワリと下半身が熱くなり義父との性交を受け入れようとしているカラダが恨めしかったです。

義父は「あぁ、、気持ちいい、、麻理さん上手だな、、悠一以外にも何人かと経験あるのかい?」など聞いてきましたが無視しました。それからも「もうちょっと奥まで咥えて、、そう、、舌を使って、、あぁ、、たまらん、、!」と独り言をいってましたね。
ですがさすがバ◯アグラといったとこでしょうか、、一向に射精する気配はなくカチカチの状態を継続していました。私も「少し疲れてきました、、」というと義父は介護ベッドをフラットにし、(ここまで背中を上げていた)「69やろうか」と言い出したのです。
そして69の形になると義父は看服スラックスからお尻を撫でまわし、股間に顔を当てて呼吸までしてきました。(こっちは疲れてるっていってんのに!)とまた腹が立ちました。
義父「服脱ごうか、本当は俺が脱がせたいんだけど笑」と言ってきた事で私は看服の上下を脱ぎ、、また69の形へ。すると義父はすぐに下着を脱がしてきて「コレをこんなに近くで見るの久しぶりだよ」といいながらベロベロとアソコを舐め始めたのです。
私としてはいっさい興奮なんかしてません。おぞましいくらいでした。ですが義父は「よく濡れてるなぁ、、」なんて言いながら舐めていました。
私はよくレイプ犯罪の時に加害者が、「同意があった。ちゃんと相手も興奮して濡れていた。声も上げていた」などと発言するって聞いたことがあります。ですが女の立場からすればアソコが濡れるのは防御反応(乾いたまま入れられたら内部器官を損傷するから)でしかないという話を思いだしていました。
心では全く興奮なんてしていない。でもアソコはちゃんと普通のセックス時のように濡れているのもわかったし、舐められたら興奮を伴わない快感が与えられるのもわかりました。そして、、ちゃんと声も出ました。(風俗嬢に近い?)

とはいっても限度はあります。それから執拗にクリを触られ始めると興奮は伴わないものの、先に快感の度合いが激しくなって、それから自然と興奮するという逆転現象が起きてきました。他の方はしりませんが私と旦那は最初はキスなどの前座などはしっかりやって興奮してから快感パートに移行するという方法をとっています。望まぬ相手に触られて快感を受けた後に興奮し始めるというのも初めての体験です。(難解な言い回ししてますが、触られてるうちに興奮してきただけじゃないか?と言われればそうかもしれません)

ただ風俗嬢の場合は慣れた仕事のうちでも与えられた快感を素直に表現すれば、この子はいい子だとなってリピーターに繋げれるのかもしれませんが私の場合はそうではありません。勝手にカラダが反応しても絶対に快感や興奮で自ら求めてはならないのです。義父には「麻理とのセックスは案外面白くなかった」と思わせないといけませんし、義父相手に本当に興奮してしまったら私は自分自身を許す事が出来ないでしょう。
だから私は義父がどれだけ執拗に敏感な箇所を攻めてきても堪えていきました。もちろん少しは声が出たりカラダがピクッと反応したりはあったと思います。だからこそ義父はもっと感じさせてやろうと必死になり、そして私は絶対に感じてるとか思われたくない!との攻防が続いたのです。

ただ、、時間が本当に長かったです。旦那相手なら明日のこともあるし子供も寝ているのでそう長い時間ゆっくりセックスというわけにもいきません。ですが義父には時間的な制約がないのでしょう。いやむしろ1秒でも長く今の時間を楽しみたいのだと思います。69での性器舐め、クリへの刺激、中へ指を入れられるという行為だけで相当な時間を使っていました。それでも義父の陰部はカチカチ状態を維持しており、、(はやく入れて終わりたい、、)と思うまでになっていました。
そして私が69の状態を解除しようと動き始めると「まだ!」と言ってきて、、今度はお尻を左右に広げられアナルまで舐めてきたのです。旦那ですらしたことのない行為ですよ!私は恥ずかしくてフェラどころではなくなり、ただひたすら義父からのアナル舐めを耐え続けました。すると穴の中に指まで入れてきて「イヤっ!」と言ってるのにきっと付け根まで入れてこられたと思います。
旦那どころか、今まで誰にもさせたことない行為をされた屈辱は計り知れません。
それから、片麻痺している義父とのセックス体位は限定されていました。騎乗位か座位のような私が動くものばかり。ですが騎乗位なんかで相手の顔を見るのもイヤだし、手を繋がれるのもイヤ。かといって座位で抱き抱えられるのもイヤ。となると、、私はやったことはありませんが背面騎乗位しか思いつきませんでした。
そしてコンドームを準備しようとすると、、「いやいや最初は軽く生、途中からゴムでしょ?普通w」などと言ってきたのです。想像したくもないですが義母もこんなことされていたのかと思うと吐き気がしました。
いずれにせよ緊急避妊ピルを飲む予定、、それもあいまって私は最初は生を受け入れました。というかもうどうでもいい、早く終わりたい一心です。
それから私は「顔を見られるのは恥ずかしいので」とクルリと義父に背中を向けて和式便器にしゃがむように義父をまたぎ、そして義父の陰部を自らの中に包み込んで行ったのです。
フェラの時も相当な屈辱でしたが、、やっぱりこの時が本当の屈辱でした。
(なぜこんなモノを自分の体に入れないといけないの?)それだけです。これに尽きます。
もともと義父は大きなサイズの持ち主なのか、それとも◯イアグラの効果なのか、それは知りません。ただ正直に言えば太さは普通でも長さは旦那より長かったです。
腰を沈めたら先端で一気に子宮口を叩かれ、みぞおちにくる快感が私を襲ってきました。思わず「はぁん、、!」くらいは出たと思います。でも、でも、、この後みずから自分の性器を使って義父に快感を与えないといけないと思うと、入れたはいいものの腰を振る気にはなれないんです。
入れたまま数秒停止していると背面騎乗位だからこそか、義父はまたアナルに指を入れようとしてきて結局、指を入れられるのは堪らないので私は左右のベッドの転倒防止の柵を掴みながら腰を上下に動かしていきました。
さすがに中に入れられてるのに声の我慢は出来ません。この時、情けなさで少し目に涙を浮かべながら「はん、、!はん、、!!はぁっ!!」といって腰を振りました。(旦那の時はもっとアンッ!アンッ!って可愛い声が出ています)

別に読者のみなさんを楽しませる訳ではありませんが、、この時は気持ちよかったし興奮もしました。その原因は背面騎乗位が思いの外、顔を見なくてよかったこと。そして物理的な快感が「義父を相手に」という嫌悪感に勝ってくれた事が原因かと思われます。
私の喘ぎ声は吐息、ため息のような低い「はぁ、、はぁん、、!」から普段の「アンッ!アンッ!」というキレのいい甲高い声へと変化していくのがわかりました。すると義父は何を思いついたのか、介護ベッドの足もと部分をウィーンとリモコンで上に上げ始め腰を急角度に高くしてきたのです。
された私からすれば実際はそんなにかわってないはずですが体感とすれば2センチさらに奥深くまで入ったような気になり、入れているというより、刺さってるといったような異常な位置まで入ってきたのです。思わず自分の下腹部を手で圧迫すると義父の先端がかなり奥深いところまで到達している不気味な感覚が指先を襲ってきました。これがもし好きな人や旦那なら最高の一体感なのかもしれませんが、この時ばかりは最悪の一体感でしかありませんでした。

さすがにヤバいと思いました。不本意ですが気持ち良すぎるのです。だから私は快感を逸らすために今まで上下に動いて刺さっていたものを軽減させようと、左右の柵から手を離し上半身を前に倒したのです。すると義父はこんどは介護ベッドの背もたれをまたウィーンと起こしてきて前に倒れる私に手を回して、動く左手を前に回してクリを触ってきたのです。
私はそのクリを刺激され始めた快感から逃れる為の反応で結果的には腰をカクカクと飛び跳ねるような動きをしてしまい、義父に「クリを攻めたら自ら腰を振り始める」という学習をさせてしまいました。
背もたれが起こされ、足元が高くなった介護ベッド。その固定された中に私は義父から背後から挿入状態を維持したままかかえられ、ひたすらクリを触られたのです。
クリを刺激されたらその反応で腰が前後に動き、その動きがピストンの代わりとなる、私はこの時こそはあまりの快感で生で入れている事を忘れてしまい、、また左右の柵に手をかけてとうとう自分から進んで腰を前後にゆすってしまいました。
本当にゴムをつけていない事を失念していた私は(早くイッてよぉ!)と一心不乱に腰を前後するのですが、相手はイクどころか「いいぞ!麻理さんその調子!」と余計に図にのる始末。
まったくの逆効果でした。早くイカせるつもりが、ますます快感で自身の理性が壊れていく感じがしました。
すると義父は「麻理さんコッチ側むいて」と言ってきたので私は仕方なく、挿入したまま回転し義父側を向くと、そのまま抱き抱えられ乳首を吸われたのです。
実は、この乳首吸い事件は私の中で最も許せない出来事の一つです。というのもあくまで冗談の範疇ですが、子供が左の乳首しか吸わなかったので「じゃ右は俺専用な笑」と夫婦中の愛の絆という要素がありました。何も知らないのは当然の義父ですが子供しか吸った事のない左乳首と旦那専用の右乳首を同時に犯され私は(くそぉ!!!)って本当に悔しかったです。
すると義父は背もたれ部分を前にしているとそれはそれでしんどいのか、(乳首を吸うには便利ですが)またフラットに戻してくると、私は手を繋ぎたくないので再度、左右の柵をつかみました。
ですが足元は以前同様に高くしてるのでまるで滑り台みたいに傾斜がついて義父の陰部が奥深くまで刺さる状況にはかわりません。
(このままだと本気でいっちゃう、、イクところだけは見られたくない!)と思ってやった私の行動は、転がっていたタオルケット。それを頭から被りまるでお化けみたいになりながら無我夢中で腰を振りました。も、もちろん快感もありましたがそれ以上に、はやくおわりたい!それだけです。
義父は「なんだ顔隠してる恥ずかしいのか?笑」ととくにタオルケットを剥ぎ取ろうとはしませんでした。
そしてタオルケットを被った事で、安心して泣く事ができ、、私は涙を流しながら腰を振りました。すると義父はまた剥き出しのクリをいじってきて私は「ンンンンン〜〜!!!!」と悶えながらオーガズムを迎えてしまったのです。。。

そしてひと段落し、、タオルケットで涙を拭いて顔を出すと義父の「お疲れさん♪」の満面の笑み。そして私は(は!?)と思って腰を宙に浮かすとまだ半勃ちしてる義父の陰部と、、、自身のアソコに白い粘液が付着していたのです。
「お父さん!まさか中で出したのですか!?」「いやだってゴムつける余裕あたえてくれなかったの麻理さんだろ笑 看護師だからちゃんとわかっててやってるのかと思ったよ」などと言ってきました。
私はすぐに浴室へ行き、しゃがんで下腹部に力をいれてきばると、タラーーーと白い粘液が落ちてきたのです。
しまった、、、やられた、、、とは思いましたが油断してたのは私。すぐにシャワーを流して中に指を入れてゴシゴシと洗い流しました。そして即座に緊急避妊ピルを服用。

そして無我夢中で風呂場に駆け込んだものですから私はまだ裸。義父のいる介護ベッドに戻ると義父はバイアグ◯のパワーで「まだイケるみたい」といいながら私のパンツを鼻に当てて自分の陰部をしごいてました。私は「返してください!」とパンツをとりあげ、仕方なしに着用し衣服をきて、、「これで終わりですからね!約束ですよ!悠一さんにはお父さんが訪問介護にするって言ってたと言いますからお義父さんも義母さんにいってください!」と怒鳴って私は逃げ帰りました。

とりあえず屈辱の日の描写は長くてタラタラと書かせて頂きましたが以上となります。
8
投稿者:麻理ママ
2026/03/24 15:47:38    (qC/wnjoz)
後日談

それから一応、、約束は守ってくれましたみたいです。

私は先に旦那である悠一に「お父さんが介護サービス受ける気になったみたい」と言って、もし義父が義母に言ってなかった場合、麻理は1人で何を言ってるんだ?となりますよね。ですから本当に義父が介護サービスを受けるというかどうか試してみたのです。すると翌日になって義母が旦那に「お父さんが介護サービス受けてみようかといってるんだけど」と言われたみたいで、私も「そういえば言ってた言ってた」と話を合わせました。
それから私は精神的に一気に気持ちが楽になり、、、もう素晴らしい開放感でした。もう言葉や文字では言い表せないくらいです。
それからインターネットで介護サービスの会社に問い合わせ、それから打ち合わせ、自宅訪問など様々ありましたが、とりあえず来月1日からスタートという段階までこれたのです。
介護サービスでは基本的な義父の生活周りのお世話となります。もちろん私や義母の負担が完全にゼロになる訳ではありませんが、少なくとも入浴や野外グループへの連れ出しなどしてくれるのは本当にありがたかったです。
ですが、、、。ここは予想してた通りでした。
流石に本番強要などはなかったのですが、今度は「ちゃんと介護サービス受けただろう?すぐにやめてもいいんだよ俺は?」とハンドによる介助は求められて続けたのです。
ですが私ももう覚醒してるというか、、ハンドでの介助なんて何にも苦痛とも思わなくてなっていました。口に入れる性器に包み込む、それを考えたら100000000万倍マシだからです。
むしろ、(どっちが先に根を上げるかこん比べ)みたいな意気込みすらありました。
私は毎週木曜と言わず、「お義父さんしましょうか?」と積極的にハンド介助を買って出て、ヌキ◯してやろう。とおもったのです。
お尻を触られようが、ジャージの中に手を入れられてアソコを触られようがおかまいなし。とにかくヌイてヌイてヌキまくりました。
最初の頃は義父も勘違いして、あの本番の一件から麻理さんが(自分に都合のいいように)変わってくれた、と解釈してたみたいですが途中から「いや、今日はいい」と言ってくるようになりました。
そうするとハンドの日の頻度が自然と落ち着いてきて、、ヌキすぎて勃起すらしなくなっていったのです。
勃起しなければハンドの必要はありません。私は単純に数回のオムツ交換要員となりました。
しばらくすると義父は認知症が一気に進行していき、同じ事を何度も話すようになっていったのです。
ここまできてやっと、、介護サービスではなく高齢者施設への入居がきまったのです。これこそが、、私にとっての真の意味での地獄からの脱出でした。

そんな私は今、もともと働いていた病院に再復帰し仕事、家事、育児と充実した毎日を過ごしています。
心に傷を抱えながら、それでもひたむきに隠しながら生きている私は、このまえ旦那とケンカした事があったのです。
旦那は一人息子で溺愛されて育ったのか、(いい事ですが)かなりの親孝行者であり、介護から開放されてのびのびしている私の態度が気に入らない時があるそうです。
「麻理、介護しなくなって楽になったのかもしれないけど態度に出すなよ。みてて腹が立つ時ある」
などと旦那に言われたのです。私は喉まで、、「あなたの父親が私に何してきたか言ってあげようか?全てのきっかけつくったのは、あなただよ!!私が何年耐えてきたと思ってるの?!」と言いかけました。
それからなんだか、ムシャクシャして(私ってなんなんだろう?竹内家に嫁いできた嫁という名の召使?)って思い始めたのです。
そんな頃、会社でのコンパがあり、、、とある男性からホテルに誘われてしまいました。私は(今更貞操観念っていってもなぁ、、あれだけ義父にグチャグチャに踏み躙られたんだし、、。)と、同時にまったく理解のない旦那への不信感が積もってた事もあり、その誘いに応じてしまったのです。

ですがこの話はスレ違いでもあるので、もし今は書きません。また機会があればという事にさせてください。
とりあえず後日談は以上となります。ありがとうございました。
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