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2021/11/19 13:43:39 (3ouetoWc)
僕が幼い頃に父親が、母の妹と再婚したらしかった。
高校入学の時まで気づかなかった。
たまたま入学書類の家族の戸籍謄本を見た時に実母親は病死していた。
現在の母が妻になっていた。
母の戸籍謄本で、産みの母と姉妹である事もわかった。
今までママって甘えていた人は、他人と思うと、複雑な気持ちになった。

なんせ甘えん坊だった僕は、小学生高学年までも、母と一緒のお風呂に入っていました。
周りの同級生達は、1人で入っていました。
だから「賢治は、まだかあちゃんと風呂に入っているの?」ってからかわれていました。
いつかは断らないととは、思っていました。

いつもお風呂では、「ケンちゃんのおちんちんも、パパの遺伝で、こんな立派になったわねぇ(≧▽≦)」
って触られていた(?_?)
これは、幼い頃からの母のスキンシップでした。
ガキンチョの時には、何でも無かった。
でもだんだん妙に恥ずかしい?
照れくさい。
「ママぁ(槌―槌槌)」って恥ずかしさでうつむく。
何故かしら?
恥じらいを感じる様になってきました。
母には、幼い頃からよく触られたり、
「ちゅ」っておちんちんに、唇を当てられていました?
それが成長すると、おちんちんを、触り、頬ずりするだけではなくなった(?_?)
おちんちんを、食べられる様にもなっていた。
幼い頃から母には、フェラチオされていたんですね(≧▽≦)
僕は、同級生達よりも成長遅かった。
性知識も、乏しかった。
母の行為が、愛撫とわかったのはずーっと先になってからです。

なんせ小学生高学年になっていても、
母の大きなおっぱいに、甘えて、乳首を
くわえての一緒の布団で寝ていた。
いつまで経っても、赤ん坊でした。
なぜだか大きなおっぱいが、大好きだった。
母の乳首くわえると、安心するのか?
母も、僕を抱きしめながら、頭を撫でてくれた。
この頃は、僕一人っ子だったから母も父も、甘やかす。
兄弟が、なかなかできなかったのは、
父から母を奪い、独占していたからかもしれない。
母は、幼稚園の先生だったらしく子供が、大好き、姉の子供の僕を溺愛していた。
今で言うマザコンの男の子といつまでも子離れしない母親ですよね。

そんな僕も、同級生達と女子のスカート
捲り遊びを始めた。
当時が流行ってた。
女子達には、担任の先生に言いつけられた。
悪ガキグループは、残らず捕まった(泣)
1人ずつ担任の女の先生には、先ずは教室で正座させられた。
若い女子大卒業のメガネかけた真面目な先生には、凄く怒られた。
美人の憧れの女の担任の先生だったので、
それだけにショックだった。

そして親呼び出しされ、校長先生の部屋で、担任の女先生と学年主任の男の先生とおじいちゃんの校長先生の前で説教された。
憧れてた女の担任の先生には、「なんで賢治君まであんな事したのぅ。」
って泣いていました。
僕は、勉強出来たし、優等生的立場だった。
だから先生には、可愛がられていた。
だから僕も、泣き出す。
母は、担任教師を慰めながらも、何度も頭下げ謝っていました。
学年主任の先生と校長先生は、「賢治君も、成長過程です。
家族でも、話し合いしてください。」
って悪ガキグループよりは、怒られなかった。
母には、唯一のもの救いだった。

翌日女子達には、全員で謝る。
昨日帰った後で他の同級生は、父親に殴られたり、母親とおばあちゃんに、お灸の説教されたらしかった。
お灸などあった、昭和の時代でした。
我が家は、違った。
先ずは母の教育された。

帰宅した時に母はいつもどおりに、お風呂に誘う。
「1人で大丈夫だよ(槌―槌槌)」って断る。
さっき女子にエッチな事した後だから、
なんだか気まずく嫌だった。
ところが、「ケンちゃんには、お話しあるからだめです。」って服を脱がされた(泣)
母も、服を脱いだ。
その時に、女子とは違う下着も、外していました。
水色のプラジャーです。
パンツも、ツルツルした水色の透けたものだった。
女子とは、違ってパンツの真ん中の膨らみが黒い(?_?)
僕のイタズラした女子達のパンツは、
当時流行りのアニメのシリーズの絵柄の入ったパンツとかと白いパンツだった。
それと母親のは、全然違う。
女子のスカートの下のパンツとは、違う事に初めて気づいた。
女の子の身体の違いの為の下着の違いとは、まだまだわかっていなかった。
本当に幼かった。
その時に、おちんちんが、ムクムクってむず痒い(?_?)
余計にどうして良いかわからなくなった。
母の下着を、見つめる僕を母も見ていた?
嫌がる僕は、母にお風呂に引き込まれた(泣)


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2
投稿者:賢治
2021/11/19 17:10:12    (3ouetoWc)
風呂に入るといつもどおりシャワーを、
かけられた。
しかしながら冷たい水のシャワーだった。
もう陰毛も、うっすらと生えてきた皮かぶったちんこを、「ケンちゃんも、少しずつ大人になって行くのねぇ(≧▽≦)」って触られた。
いつもどおり触りまくられて、頬ずりされた。
本当に母って僕のおちんちんに、興味津々だった。
一瞬寒気したけれども、頬ずりといつものもぐもぐとちんこを食べれると身体が、ポカポカしてきた?
久しぶりの母との一緒のお風呂です。

その頃父親が、夜勤のシフトも加わりまして、僕が学校から帰った時には父が、
先に風呂に入っていた(?_?)
だから父と入る事が、多くなっていた。
「賢治も生えてきたかぁ(≧▽≦)
これからは、此処をこうして剥いて洗いなさい。」ってちんこの皮剥きの洗う事を教わった。
今まで母とばかり風呂に入っていたので、
父と男としての教えは、なかった。
此れが初めての指導だった。
たまに学校が、早めに帰れる時があった。
そんな時には、夫婦で風呂に入っていた。
中からは、「ぅ、うう~ぅ、うう~ん」
って父の鳴き声?
母が、「悪さしてないかなぁ?」
父が、「してません。
あっ、あう~ぅ。」
「ならばご褒美ねぇ。」って優しい声がしてその後は、母の声はしなくなる。
その代わりに、「ぐちゃぁ、ぐちゃぁ、もぐもぐ、ぺろり、ペロペロ」って変な音と、「あっ、ぅ、凄い~ぃ。これをしてもらえるから絶対に悪さしません。」って父の悲鳴?
父が母に、いじめられて、泣かされているの(?_?)
なんか声かけられずに、自分の部屋に入った。
その後の両親は、ニコニコ仲良しになってたので安心した。

女の子にイタズラした後の久しぶりの母とのお風呂で、甘えられると思い嬉しかった。
ところが、父と同じか?
それに似た事を、母にされた。
おちんちんを食べられると、擽ったいけれども、なんとなく気持ち良くて母のフェラチオは、病みつきになっていた。
勿論フェラチオとは、知らなかった。

「ケンちゃん、女の子のスカート捲りは、
だめよ」。っておちんちんを、叩かれた。
「パチン、パチン」っておちんちんを打たれた。
「痛い、ママやめてぇ。」
「女の子は、あなたにパンツ見られると、
身体と心にこんな痛みを感じるのよ。
パチン、パチン」って何度も、叩かれた。
甘えられると思いきや、苦痛を与えられた。
いわゆるアメとムチの使い分け(槌―槌槌)

父親に殴られた同級生もいたが、僕は母に
おちんちんを叩かれた(泣)
それに金玉袋も、「むぎゅう。むぎゅう」
ってつかまれて玉も指先で、「ぎゅう~ぅ。ぎゆう~ぅ。」ってつみれた(泣)
「もう悪さしない?」って言われた。
「ぁ、あぅ~ぅ。」って泣きながら、何度も首を立てに下げた。
凄く痛くて、声すら出なかった。
なんせ男の子の急所を、責められているんです。
激痛だった。
「あなただって痛いのは、嫌でしょう?
女の子は、もっと痛いし、恥ずかしい気持ちだったのよ。
身体と心も、凄く痛かった。」って初めて怖い顔つきでした。
何時もの優しくニコニコしていた母の笑顔は、全然無かった。
現在だと性虐待的行為ですよ(泣)

「もうしない。」
「本当にしないと、約束できる?」
っておちんちん叩きとつまみの痛みに耐えきれずに泣き出す。
湯船のヘリに、座り泣いちゃた。
後ろ向きでお尻も、叩かれた。
お尻が、じんじんと痛くなるまで叩かれた。ちんことお尻を、交互に叩かれた。
湯船のヘリに、「そこに座りなさい。」って言われた。
お尻には、手のひらの跡がついていた。
座る時には、「痛ぁ。」って飛び上がる。
それ程に、叩かれた。
やっと痛み堪えて座る。

しばらくすると、僕の顔の高さになって、「ママはねぇ。
ケンちゃんが、悪い男の子にはなる事は嫌なのぅ。
ならないでほしいのよ。」って抱きしめられた。
こっぴどく怒られた初めての経験でした。

「ママ~ぁ。」って泣きながら大きなおっぱいに甘えて、「もうしない。もうしない。」
って泣いた。






3
投稿者:賢治
2021/11/19 19:55:37    (3ouetoWc)
お仕置きが、終わった母の顔つきは、
いつもどおりの優しい顔になっていた(?_?)
「しばらく見ない間に、ケンちゃんも、
毛が生えたのね、
それじゃあ此処を洗わないとねぇ(≧▽≦)」って竿を左手で支えながら、右手指先で、
皮をゆっくりと下げられた
  (*´∀`)
父にも皮剥きされたけれども、母の手のひらは、すべすべしていて、柔らかくて痛くなかった。
母親は、ぬるま湯をシャワーで当てながらと父よりも手際よく上手かった。
張り付いている皮を、「ぴきっ。」って剥く。
「痛ぁ。」って目からは、涙が出た。

「痛いのわかるけれども我慢しなさい。
怖い病気になってほしくない。」
って母が、僕の前に座り雁くびれに長年張りついている皮を剥く。
赤々の綺麗な亀頭が、現れた。
「はぁはぁ( ´Д`)=3」って、痛みとなんか興奮していた?
息荒らげて耐えてた。
「あらあらネバネバも、出てくるぅ(≧▽≦)」って母は、嬉しそう。
この現象は、僕自身も初めて見ました。
オシッコとは、違ってぬるってしていた。
母はちんこに近づき夢中でした。
精通が、少しずつ近づいていたんですねぇ。
恥垢を、親指と人差し指で擦りながら剥がし取った。
母が、近づくと股開き風呂椅子に座り体制を整える。
凄く気合い入れてた(?_?)
母親の性器のまんこは、陰毛に隠れていたがひだの部分が見えた。
その時初めて女性性器を、意識して見た。
水色パンティーに隠れているのは、こんな形のものなんだぁ?
スカート捲った女子も、こんな形なのかなぁ?
少女時代は、縦筋ワレメなんですね。
成長するとドテ盛り上がるひだ開くまんこになるとは、知らなかった。
本当に幼いガキンチョでした(笑)

そんな痛みに堪えながら母親の性器には、
目が釘付けになった。
好奇心で少し紛れていた。
でも「きゅうきゅう。」って擦り取られる
痛さにのけぞった。
産まれてからぶ厚い皮に守られ、今までに、空気に触れない雁くびれ部分です。
槌かれてひっくり返る皮の張り付きは、かなりしぶとい。
母の容赦なく剥きには、暴れて風呂の壁に、
頭が「がつ~ん」ってぶつけた。
「うえ~ん(/_;)、」って泣き出す僕を、
大きなおっぱいの乳首をくわえさせながら、「ごめんね。」って頭を撫でられた。
やはり母のちんこへの興味は、異常なほど
強かった。
まあ父親ゆずりの大きなちんこは、同級生の中でもいなかった。
息子が父親と同じく大きなちんこは、母親よりも女として見られていたかもしれない。

たまに家族で、広いお風呂のあるスバに行く時にも変な体験している。
なんせサウナ好きの父親にも、子供なのにどこでもついて行く。
子供なのに、サウナ室に入る。
お店からの注意事項では、禁止されている。
父と一緒の時には、何も起らない。
ところが僕は、暑苦しいので出入りが頻繁です。
父が出て水風呂につかっている時には、
おじさん達が、横に近寄る。
「僕何年生かなぁ?」ってニコニコして聞かれる。
「小学生6年生です。」って答える。
「それにしては、おちんちんが大きいねえ(≧▽≦)」ってふとももに手が置かれる。
大人みたいにタオルなどでは隠さない。
ツルツルの下半身の頃などは、たくさんのおじさん達に注目された。
ちんこのデカい小学生の男の子です。
中年のおじさんのちんこよりも、僕の皮かぶった包茎ちんこの方が、デカい。
ちょびっと陰毛の生えた時には、おちんちんを、食べられてしまいました(槌―槌槌)

幼い頃から母に、食べられていたので、
それほど驚かない。
いわゆるゲイのおじさん達に、父親がいない時を狙っておちんちんを舐められていました。
まだまだ精通していないが、気持ち良かった。
小学生にして、大人の男性達にちんこ狙われるほどデカいちんこだった。
完全に父親ゆずりの遺伝です。
陰毛が生えた頃には、お尻も舐めるおじさんがいた時にはさすが逃げた。
だって○○○出す汚い場所だもん。
子供でも嫌がる。
「擽ったいよぅ。」って身体を捩る。
快感はなく恥じらいが、残った。
おじさん達には、射精しないけれどもたくさんイタズラされていました。
頭の中は、ガキンチョなのにちんこは、
大人だった。
だからなのか(?_?)
母は、「ケンちゃんこの椅子に座りなさい。」って言われた。

我が家のお風呂は、広くサウナ室が隣接している。
父が、本当にサウナ好きなんです。
家庭でもサウナ室増設していた。
休憩の時には、座りくつろいでいました。
僕は、父に頼まれて、よく水シャワーをかけてあげてた。
そこに座り股を開かれた。
このくつろぎ椅子は、両親はいろんな使い分けしていたみたいです。
僕が寝る時には母を独り占めするので、
父は、僕と一緒にお風呂入った母をまたお風呂に誘う。
母親は、毎日2回お風呂に入る。

僕の為に両親は、お風呂でセックスしていたんでしょうか?
お風呂マットも、あった。
同級生のお風呂には、無い物が家のお風呂には、いろいろなものが、ありました。
変な形した風呂椅子もあった。
大人になってわかった。
風俗風呂にあるすけべ椅子でした。
家の両親は、僕のマザコンだったせいでいかに苦労してセックスしていたか大人になった時、申し訳ない気持ちになった。

でもねぇいくら母親といえでも、成長し陰毛が生えてきた男の子は恥じらいがありました。
恥ずかしい。
「ママやめてぇ、自分でやる。」
「だめです。
男の子は、此処いつも綺麗に洗うのよ。
あなたが、結婚するまではママが洗ってあげます。
結婚したら奥さんに洗ってもらいなさい。
それまでは、ママに、任せなさい。
パパも、毎日ママが洗ってあげているんだからね(≧▽≦)」って言われた。
「うん、わかった。」って夫婦ってそうなんだ。
そう教え込まれて育った。

女子達にイタズラした日から、おちんちん 洗いも加わった。
其れが溺愛過ぎの母親の異常な愛情とは、
疑っていなかった。


4
投稿者:賢治
2021/11/20 00:02:25    (sVluWSy/)
女子達にスカート捲りのイタズラしたのが、
小学6年生になったばかりの時だった。
母親には、ちんこ叩かれのお仕置きされた。
父親にも、初めて思い切り殴られた。
ぶっ飛んだ(泣)
同級生達と同じだった。
でも父親と夜にまたお風呂に入った時に、
言われた。

「賢治が、女の子達にした事は、悪い事ってわかったな。」
「ごめんなさい。」
「だがな男ってそういう動物なんだよ。
パパも、お前くらいの時同じ事して親父に
殴られた。」
「えっ(*_*)、パパもぅ。」
「賢治もおじいちゃんが、剣道の先生していたの覚えているかなぁ?
パパの時は、剣道の竹刀でボコボコに叩かれた。
怖かったよ。
肩と背中が、竹刀のあざだらけになったよ。
その時におじいちゃんに言われた。
男の子は、女の子をいじめてはいけない。
他の男の子が、意地悪していた時には守ってやれ!
そう教えられた。
だからパパも、賢治に同じ言葉を送る。
女の子を守れる男の子になって欲しい。」
「うん。」
「だから2度と同じ事は、するなよ。」
「うん。」
「夏休みになったら、おじいちゃんの所に、遊びに行こう。」って言われた。
幼い時に遊びに行った時には、初めての男の子の孫だったので、優しいおじいちゃんとおばあちゃんだった。
僕は、「うん。」って嬉しかった。
夏休みが、待ち遠しい。
「それからもうパパ、ママと言う呼び方は、やめなさい。
親父とおふくろと言う呼び方にしなさい。
それから《うん》はだめだ。
わかった時には、「はい。」と元気よく答える。
もうそこに、毛が生えてきたから子供扱いはしない。
大人の男として、厳しく鍛える。
そのつもりでいなさい。」
「はい。」と元気よく答えた。
その後で、親父に、「ぎゆう~ぅ。」
って抱きしめられた。
親父に抱きしめられるなんて、あまり覚えていない。
おそらくは、初めてかなぁ。

でも夏休みの時には、1人でおじいちゃんとおばあちゃんの家に行かされた。

そんな田舎のおじいちゃんの所に、
「夏休み中は、おじいちゃんの所で、鍛えてもらえ。」って送り出された。
「此れが我が家系の男の子の試練だ。」
って親父に肩叩かれ送り出された。
最寄り駅にも、送ってももらえず全て1人で、電車など調べておじいちゃんの家まで
なんとかたどりついた。
到着早々に、おじいちゃんには、「賢治裸になれ!」
って言われた。
陰毛もちょびっと生えた僕の裸を見ておじいちゃんの目が、キラッって変わった。
幼い時のおじいちゃんと言葉づかいが、
変わった?
「賢治大人になったなぁ。
これから我が家計の男として扱う。
親父と同じ言葉を言われた。
大人の男の下着だ。」ってふんどしを渡された。
ふんどしなど初めて見ました。
勿論おじいちゃんは、ふんどし姿だった。
夏だからシャツなど着ない。
ふんどしでの生活から始まった(泣)
テレビでお祭りの時しかふんどしなんて見た事なかった。
そのふんどしでの生活が、始まった。

おじいちゃんの家は、農家だったので朝早く起こされる。
ふんどしを、「きちっと締め直せ!」
って起き抜けに怒鳴られる。
初日からわんわん泣きました。
ふんどしは、一週間くらい1人でまともに締められなかった。
締められないと、全裸で暮らさないといけなかった。
恥じらいやどんなに泣いても甘えは、許されなかった。

田舎にも子供達は、いました。
男の子は、皆ふんどしをきちんと締めて農家の仕事をもくもくとしていた。
同じ年頃の女の子達も、パンツ姿だった。
恥じらいもなく同じくもくもくと家のお手伝いをしていた。
僕の全裸など気にしていなかった?
そんな環境に、おじいちゃんに泣きながらふんどしの締め方を、教わった。
一週間後なんとかふんどしを締められる様になった。
初めてふんどしをきちんと締められた日に、神棚に、怖挨拶できました。
でもその後に竹刀の素振り100回してからの畑仕事のお手伝いをする。
やっと8時頃に、朝食を食べれる。
勿論畳に正座して、和食です。
夏休み中は、ハンバーグとかスパゲッティは、週1日くらいだったかなぁ。
おじいちゃんは、大正生まれの剣道の先生だった事あって厳しかった。
一週間は、泣き続けて帰りたいと、泣きわめく。
お金持っていないので歩いて逃げ出す。
直ぐにおじいちゃんに捕まり、首根っこつかまれ戻された。
「賢治良く歩いて帰る事考えたなあぁ。
それだけ気力あるなら、少し遊ぼう。」
って凧あげとかコマ回しという遊びを教わった。
都会では絶対にできなかった面白い遊びは、面白かった。
その時のおじいちゃんは、優しく面白かった。
本当は、優しいおじいちゃんでした。
僕は、そんな厳しいけれども、優しかったおじいちゃんが、大好きになった。
夏休み中田舎で真っ黒に日焼けして、家に帰った。




5
投稿者:(無名)
2021/11/22 16:18:58    (hzS8gd4e)
いつ頃の話なのか
想像が追い付きません…

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