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2013/09/12 09:12:59 (p0BH6tBu)
8月19日の透さんの書き込み「妻の代理」を読んでちょっと驚き、世の中には本当に似たような話があるんだなぁ・・・と思いました。
実は私も同じような経験をして来たのです。
私の場合、「妻の代理」のケースと違うのは、義母(妻の母)と婿(娘の夫)の私が男と女の関係になったのは義父(妻の父、義母の夫)と私の妻が亡くなった後の事なのでした。
そして、義母の方が婿を誘って関係を持ったのとは違い、私たち二人は婿の私の方が義母へ関係を迫った、厳密に言うと、初めてセックスした時、私は嫌がる義母の意思を無視して力ずくで無理矢理に体を奪って、男と女の関係を結んでしまったのです。
義母が私と初めて関係を持った時の年齢は「妻の代理」の義母、透さんのお義母さんと同じ47歳で、私は30歳でした。

義母と私が男と女の関係になる2年前、私は5歳下の妻と1年間の交際を経て結婚し、その翌年に私たち夫婦の間に娘が誕生したのですが、同年、娘が生まれてから7ヶ月後に義父が52歳で急死して、妻の実家には義母が一人で取り残されたのです。
妻には4歳下の妹がいますが、義妹もすでに結婚して実家を出ていた為、私たち夫婦は娘と共に妻の実家に移り住み義母と同居し始めたのでした。
ところが、それから僅か4ヶ月後、義父が亡くなった翌年に今度は妻が25歳の若さで急死して、家には義母、婿の私、1歳になったばかりの私の娘で義母の孫娘だけになってしまったのです。
妻がいなくなった家で三人で暮らすうちに、愛する伴侶を亡くして大きな悲しみ、淋しさを抱いていた同じ境遇の義母と私は次第に男と女として惹かれ合って行き、お互いの相手に対する想いは日が経つに連れて強まる一方で、そして、妻が亡くなってから2ヶ月後、私たち二人は遂に越えてはならない禁断の壁を乗り越えてしまったのでした。
ある日の晩、私は意を決して義母へ自分の想いを告白したのですが、義母は私と同じ気持ちだったにも関わらず、敢えて自分の本心に逆らって義理の息子、娘の夫、婿の私を義理の母親、妻の母として頑なに拒絶したのです。
しかし、もう義母を義理の母親、妻の母ではなく女としてしか見れなくなっていて、これ以上は自分の感情を抑える事に堪えられなくなった私は、義母の体を無理矢理に奪って関係を結んでしまったのでした。
義母は最初、激しく抵抗しましたが、無理矢理ではあっても私とセックスしているうちに、自分の本心に逆らえなくなって来て、遂に私を娘の夫、婿としてではなく男として受け容れてくれたのです。
お互いの間に存在していた義理の母息子(おやこ)、妻の母と娘の夫、義母と婿の間柄を捨て去って、禁断の壁を乗り越えて男と女として身も心も完全に一つになった私たちは、それまで自分たち二人を縛り付けていた常識、モラル、理性といったものの全てを忘れて、本能の趣くままに愛する相手を強く求めて、濃厚なセックスで獣のように激しく愛し合いました。
その日から義母と私はお互いに亡くなった妻(義母の長女)と義父(妻の父、義母の夫)、義妹(妻の妹、義母の次女)、一緒に暮らしている娘(義母の孫娘)に対して大きな負い目を抱き、背徳感、罪悪感に苛まれながらも、同じ屋根の下で男と女として愛し合う日々を送るようになったのです。
こうして私たちは世間向けには以前と同様、義理の母息子、妻の母と娘の夫、義母と婿という間柄を装いながら、家の中で二人だけでいる時には男と女として愛し合って暮らすうちに、お互いの愛がより深まって強固になって来るのを感じ合うようになり、セックスから齎らされる快感もますます強大なものになって行ったのでした。
義母と私は精神的に強く惹かれ合っていたのは無論ですが、何度もセックスしているうちに、いつしか次第に肉体的にもお互いの体の相性、セックスの相性、ヴァギナとペニスの結合感が頗る良いものになって来て、月日が経つに従って私たち二人がセックスするのは当然の事のようになって行き、遂には完全に生活の一部に、衣食住と共に生きる為の必要不可欠なものになってしまって、私たちはいつしか夫婦同然の間柄に、否、事実上の夫婦として暮らすようになりました。

そして、私たち二人が男と女の関係になって愛と性生活の日々を送るようになってから1年後、義母は私の子どもを妊娠したのです。
義母はずいぶんと悩み、自分より17歳も若い婿の私と孫娘の将来を考えて私たち父娘(おやこ)と別れ、自分一人で妊娠した子どもを出産して育てたいと言いましたが、義母の意向は私にとってはとても受け容れられない事でした。
妻が亡くなってから1年間、まだ幼い娘を二人で育てて行きながら、男と女として愛し合って来た義母と私なのです。
最初の頃はお互いに伴侶を亡くした悲しみ、淋しさを少しでも忘れてしまいたかったのと、性的欲求不満を解消したかった事もあり体を交えていたものの、1年後のその時は精神的にも肉体的にも完全に一つに溶け合っていて、もはや義母と私は強く堅い愛の絆で結ばれている事実上の夫婦と言うべき間柄の男女なのでした。
私たちが愛し合った結果、二人の間に男女の愛の結晶として新しい命が生じたわけなのですから、私には義母と別れる意思など露ほどもなく、義母の申し出を拒否してこれからも一緒に生きて行きたい旨を伝えたのです。
私の意向を聞かされた義母は最初、躊躇って複雑な表情を浮かべていましたが、結局、私の強い要望を受け容れてくれて、私たち二人は今後の人生を共に歩んで行く事を約束したのでした。
その後、義母は家の所有権を次女である義妹へ譲渡して、私たち家族、妊娠中の義母、私、娘の三人は遠方の地に引っ越して行き、そこで新たな人生をスタートさせたのです。
法律で一度、義理の親子になった男女はたとえ戸籍上で他人に戻っても結婚が認められないので、私たち二人は内縁の夫婦として生きて行く事になったのでした。

義母と私が新しい地で内縁の夫婦として暮らすようになったその翌年、私たち二人の間に娘が誕生しました。
義母にとっては23年ぶりの我が子の誕生で、長女である亡くなった私の妻、次女である義妹に続く三人目の子どもで、私にとってはその3年前に妻との間に生まれた娘に次ぐ二人目の子どもだったのです。
私たちは自分たちの血を受け継いだ二人の愛の結晶である娘の誕生を喜びましたが、その一方で複雑な気持ちを抱いてもいました。
生まれた娘は義母にとっては三女で私の妻と義妹の妹になるのです。
私にとっては妻との間に生まれた娘が長女で義母との間に生まれた娘が次女で、二人は父親を同じくする姉妹ですが、義母にとっては孫娘と娘ですから、姉妹であると共に年上の姪と年下の叔母でもあるという複雑な関係なのでした。
もうすぐ3歳の誕生日を迎えようとしていた私の上の娘、長女は何も知らずに自分に妹が誕生した事を喜んでいました。
妻が亡くなった後、1歳の時から義母に育てられて来た長女は、本当は自分の祖母である義母を母親だと思っていたのです。
将来、この子たち、姉妹でもあり姪と叔母でもある二人が成長して真実を知ったら、どうなるのだろうか・・・?と、義母も私も実に複雑な気持ちで幼い娘たちを見ていました。

それから12年後、ある事がきっかけで、娘たちは遂に自分たちの出生と両親(義母と私)の秘密=真実を知ってしまったのです。
私たちは娘たちに対してそれまでずっと秘密にしていた事を話して詫びたのですが、高校1年の上の娘=長女も中学1年の下の娘=次女も、まったく夢にも思っていなかった自分たち家族の隠されていた真実を知って、とてつもないほどの物凄い大きなショックを受けたのでした。
その日を境に長女はすっかり心が荒んで自暴自棄になって非行に走り掛けた事もあり、次女は自分の部屋に引き篭もるようになって不登校になり、一時的に自閉症になってしまったのです。
家族の真実を知ってから、娘たちの私たち二人を見る目は以前のそれとは打って変わって、悲しみ、憎悪、侮蔑の入り混じった複雑なものになっていたのでした。
また、真実を知った事によりそれまでは本当に仲の良かった姉妹の間にも亀裂が生じて、長女と次女はお互いに相手の事を避けるようになってしまったのです。
いつかはそういう日が来る事を覚悟していた義母と私ですが、いざその時が来ると、私たち二人は改めて大きな罪悪感に苛まれて、娘たちに対して本当に申し訳ないと思い、懺悔の気持ちを抱くばかりなのでした。
いくら愛し合って結ばれた義母と私だとは言え、その事実は娘たちにとってはとても受け容れられない、否、信じたくない悪夢のように忌まわしくて許せない事なのであり、もはや私たち二人の姿は娘たちの目に過ちを犯したふしだらな男女としてしか映っていなかったのです。
簡単に許してもらえる事ではないとは言え、本心では自分たち二人を許してほしいと願いながらも、娘たちの気持ち、まだ10代の少女である高校生の長女と中学生の次女の心を悩ませて、苦しめている本人たち自身にしかわからない大きな辛さ、悲しみを思うと、義母も私もいったいどうしたらいいのかわからなくて、どれほど罵声を浴びせられて悪態をつかれてもシカトされても、何も言えず、ただ堪えるしかなかったのでした。
同じ屋根の下で暮らしていても、二人の娘は家族の誰ともほとんど口を利かなくなり、家の中はいつしか義母と私以外の会話がなくなった暗い雰囲気に包まれた場と化してしまったのです。
娘たちが真実を知る前までの明るくて和気あいあいとした家庭の雰囲気はまるで嘘だったかのように、跡形もなく消え失せてしまったのでした。
そうなった原因の全ては義理の母息子、妻の母と娘の夫、義母と婿の間柄を乗り越えて男と女として結ばれた私たち二人にあるのですから、自業自得という事になりますが、それでも、私たちはたとえどれほど娘たちに嫌われて憎まれようとも、自分たちにとっては掛け替えのない愛する子どもたちなのです。
長女は義母の実の娘ではなく孫娘ではあるものの、幼い時から自分の子どもとして育てて来た義母にとっては、本当の子ども同然なのでした。
次女は義母と婿の間柄であった私たち二人の間に生まれて来た子どもなので、世間の大勢の人の目にはタブーを犯した男女の行為、過ちによって生じた命で、この世に生まれるべきではなかった不義の子どもとして映るでしょう。
しかし、たとえ世間の人たちに何と言われようとも、次女は強く堅い愛の絆で結ばれた義母と私が愛し合った結果、この世に生を受けた尊い命で、私たちにとっては二人が愛し合った証、男女の愛の結晶なのであり、決して過ちで生じた生まれて来るべきではなかった子どもではないのです。

私たち家族、親子と姉妹の関係がそういう冷え切った状態になってから2ヶ月後、私たち二人(義母と私)と娘たち、長女と次女の間に生じた大きな軋轢が氷解する兆しが見えて来たのでした。
そのきっかけを作ってくれたのは、久しぶりに我が家を訪ねて来た義母の次女で、亡くなった私の妻の妹である義妹だったのです。
義妹はかつて自分の母親と姉の夫である義兄、義母と私が男と女の関係になった事を知って、私の娘たちがそうだったように大きなショックを受けて、実の母と母娘(おやこ)の縁を切り私たちと絶縁したのですが、その後、義妹自身も私たち二人と同じ道を歩んで来たのでした。
私たちと絶縁した翌年、義妹の1歳上の夫が24歳の若さで亡くなって、義妹は夫との間に生まれた2歳の息子と夫の生前から同居していた夫の父、46歳の義父と三人で暮らす事になったのですが、義父もその前年に妻を亡くしていて、義母と私と同じく、伴侶を亡くした者同士だった義理の父娘(おやこ)の義妹と義父はいつしかお互いに惹かれ合って行き、男と女の関係になって愛し合うようになってしまったのです。
その後、義母と私の間に娘が生まれたように、義妹は義父の子どもを妊娠して、義理の父娘である二人の間に息子が誕生したのでした。
義妹の長男は亡くなった夫との間に生まれた息子、義父の孫で、次男は夫の父、義父との間に生まれた息子ですから、義妹の夫の弟になり、二人は母親が同じ兄弟であると共に、年上の甥と年下の叔父でもあって、私の長女と次女と同じ複雑な関係なのです。
絶縁した時には私たちとはもう二度と会いたくないと思っていた義妹でしたが、自分も母と同じ道を歩み始めた事によって私たち二人の気持ちがわかるようになり、義妹は一度は母娘の縁を切った義母と私を許してくれて和解に至ったのでした。
それから10年後、義母と私が両親と自分たちの出生の秘密を知ってショックを受けていた娘たちの事で悩んでいた時に、長女にとっては亡くなった実の母親の妹、叔母で次女にとっては同じ母親から生まれて来た父親の違う姉である義妹は、私たち家族の問題が解決する為の大きな助力になってくれたのです。
義妹は心の中で大きな悲しみを抱えて悩み苦しんでいた娘たち、自分にとっては姉と義兄の間に生まれた姪の長女と母と義兄の間に生まれた妹の次女に優しく接して、穏やかな口調で淡々と、自分も娘たちの両親(義母と私)と同じ経験をして来て、自分の二人の息子、夫との間に生まれた長男と義父(夫の父)との間に生まれた次男も近い将来、今のあなたたち(娘たち)と同様の辛い経験をするだろうと、思っている事を包み隠さず、洗いざらいに話したのでした。
最初は自分も大きなショックを受けて、母と義兄の事が許せなかったものの、後に自分も母たちと同じ境遇に置かれて亡くなった夫の父と愛し合うようになって、母と義兄の気持ちがわかるようになり、自分と義父も母と義兄も強く堅い愛の絆で結ばれて、その結果、自分と義父の間に息子が母と義兄の間に娘がこの世に生を受けたわけで、生まれて来た子ども、自分と義父の息子も母と義兄の娘も決して過ちによって生じた生まれるべきではなかった子どもなどではなく、男女の愛の結晶である尊い命なのだと、義妹は終始、穏やかな口調で話しながらも、そう断言したのです。
義妹は娘たちに対して両親(義母と私)を許してあげるようになどとは一言も口にしなかったものの、ただ、両親が親として娘たちを心の底から愛している事だけはわかってほしいと言ったのでした。
娘たちは長女の叔母で次女の姉である義妹の話を聞いてから、心境に微妙な変化が生じ始めたようで、それ以降、娘たちの私たち両親(義母と私)に対する頑なな態度は徐々に和らいで行って、長女と次女の間に生じていたわだかまりもいつの間にか消え去り、二人は元通りの仲の良い姉妹になって、義妹が娘たちに話をしてから2ヶ月後、娘たちが家族の秘密を知ってから4ヶ月後、私たち二人と娘たちは遂に和解したのです。
かつて自分の母親と姉の夫の事で深く傷ついた義妹であったにも関わらず、私たち家族の和解の為に尽力してくれたのですから、義母は実の娘に私は義理の妹に本当に感謝しても感謝し切れないほどのありがたさを感じました。
その2年後、今度は義妹の家族が息子たちの事で私たち家族と同様の問題を抱えた時に、最初は2年前の恩返しとして義母と私が義妹の二人の息子(義母にとっては孫)に会って話をしようとしたのですが、ところが、私たちに先んじて娘たちが二人に会いに行ったのです。
2年前に自分たちも同じ経験をした娘たちには義妹の息子たちの気持ちが痛いほどによくわかり、四人で話をするうちに義妹の息子たちの心も少しずつほぐれて行って、後に義妹の家族も私たちの家族と同様、和解に至ったのでした。

かつては義理の母息子、妻の母と娘の夫、義母と婿の間柄だった私たち二人が男と女として結ばれてから、今年で23年。
23年前のあの日、5月下旬の土曜の晩に私たちが初めて体を交えて愛し合った時の事は、お互いに今でも忘れられなくて、はっきりと憶えています。
今、こうして振り返ってみますと、義母と婿の間柄を捨て去って男と女の関係になったあの日の晩が、私たち二人にとってはその後の人生を決定づけた大きな分岐点になっていて、私たちはお互いにそれまでの人生とは違う新たな人生の扉を開いて、第二の人生を歩み始めていたのでした。
あの日の晩は結果的に私たち二人にとっては男女が夫婦の契りを結んだ新婚初夜に等しく、お互いに人生における第二の初夜と言うべき生涯、忘れられない記念の日になってしまったのです。
内縁の夫婦として生きて行くようになってから、すでに22年の年月が流れていて、今ではかつて自分たちが義母と婿として過ごしていた事が私たち二人の間ではもはや遠い昔の出来事、セピア色と化した人生の中の一コマになってしまっていて、義理の母息子の間柄だった時代が夢か幻だったかのような気がする時さえあります。
私と亡くなった妻の結婚生活は2年、交際期間を含めても僅か3年で、義母と私の夫婦生活は22年、内縁の夫婦になる前の期間を含めると、23年になりますから、妻と恋人同士・夫婦として過ごした年月よりも、義母と夫婦として生きて来た年月の方が圧倒的に長い私なのです。
義母は亡くなった義父と夫婦として26年、結婚前の交際期間の1年を含めて27年の間、恋人同士・夫婦として過ごして来て、私とは23年で、4年後には義父と私の義母と過ごした年月が同じになります。
かつてその昔、義母と婿としてお互いの事を「和伸さん(私の名前)」「お義母さん」と呼び合っていた私たち二人は、内縁の夫婦になってから妻と夫として「あなた」「栄子(義母の名前)」と呼び合うようになり、それ以来、今日まで事実上の夫婦として生きて来ました。
今では完全に事実上の夫婦になっている私たち二人が今後、相手を昔の義母と婿としてのそれで呼び合う事は永遠にあり得なくなっていて、私たちの間ではその呼び方はすでに風化していて使い古された過去の遺物でしかないのです。

これまで長い年月の間、何度も大きな罪悪感に苛まれて、義妹と娘たちの事で悩み苦しんだ経験がありますが、でも、私たちはお互いに愛し合って二人で人生を歩んで来て本当に良かったと思っていて、決して後悔していません。
もう9年前になりますが、私たちが娘たちと和解してしばらくしてから、私はその14年前(今では23年前)に義母の体を強引に奪って男と女の関係になった事に対して、改めて罪悪感を覚えるようになっていたのでした。
心の中で葛藤していた私はその時の事を振り返って義母へ
「あの時、おれと栄子が結ばれてなかったら、今頃、おれたち二人はどうなってたんだろうか・・・? もしかすると、おれは栄子の人生を狂わせてしまったんじゃないか?っていう気がするんだ・・・ おれは栄子と和美(私と妻の間に生まれた娘)と和栄(義母と私の間に生まれた娘)に本当に申し訳ない事をしたって・・・ 幹恵ちゃん(妻の妹、義母の次女)にも辛い想いをさせてしまったし、成美(私の妻、義母の長女)とお義父さん(義母の夫、妻の父)にも申し訳ない気がする・・・」
と言ったのです。
すると、義母は
「何、言ってるの・・・ そんな事、ないわよ・・・ あなた、自分を責めないで・・・ あたしたち、もう14年も一緒に暮らしてるんじゃない・・・ あの時は確かにあなたの方があたしに強引に迫って無理矢理体を奪って関係を結んだけど、あたしもあなたとそうなる事をずっと望んでたんだから・・・ あたし、あの時、あなたと結ばれて本当に良かったと思ってるわ・・・ 躊躇ってたあたしを強引にものにして、あたしをその気にさせてくれたあなたには感謝してるわ・・・ あたしとあなたが結ばれなかったら、あたしたち二人、今、こうして“夫婦”として暮らしてないし、和栄も生まれて来なかったんだから・・・ あたし、今、本当に幸せよ・・・ あなたとこうして一緒に暮らせて本当に良かったと思ってる・・・ 幹恵も和美も和栄もあたしたちの事、許してくれたし・・・ 成美もあの人(義父の事)もあたしたちの事、許してくれてると思っていいんじゃないかと思うわ・・・」
と優しそうな目をして私の顔をじっと見つめながら、穏やかな口調でそう言いました。
義母にそう言われて、私の心の中に生じていた罪悪感は次第に収まって行き、それと共に私たち二人はお互いの間に強く堅い愛の絆が存在していて、内縁ではあっても、“夫婦の絆”で結ばれている事を改めて実感し合ったのです。
その日の晩、私たち二人、還暦を過ぎて61歳になっていた義母と44歳だった私は、どちらからともなく自然な形で相手を強く求め合って体を交え、濃厚なセックスで獣のように激しく愛し合いました。
翌日が日曜だった事もあって、私たちは土曜の深夜から翌日の未明まで3回も交わって、お互いに情欲の限りを貪りセックスの快感を存分に味わって男女の悦びを満たし合ったのと同時に、自分たち二人が強く堅い夫婦の絆で結ばれて愛し合っている実感を覚えていたのです。

私たち二人が初めて体を交えて男と女の関係になった時には47歳だった義母は今年で70歳に、30歳だった私は53歳になり、その当時は1歳だった長女とまだ生まれていなかった次女もすでに成人していて(長女24歳、次女21歳)、娘たち二人は今では立派な大人の女性になっていて、我が家では穏やかな日常生活が続いています。
義母も私も以前に比べると、今はお互いに性欲がかなり減退していて、昔ほどには頻繁にセックスする事はなくなっていますが、それでも、週に1回か2回は体を交えて愛し合い充実した性生活を送っているのです。
最近の私たち二人のセックスは昔のように強大な快感を欲して、本能の趣くままに飢えた獣のように激しく交わって情欲を貪り合うと言うよりも、精神的な結び付きが中心になっているとでも言うのか、セックスによってお互いが愛し合っている事を強く実感し合うものになっています。
と言っても、セックスしている最中は昔ほどではないものの、今でもやはりお互いに激しく濃厚に交わっている私たちなのですがね(苦笑)。
世間の常識、モラルに背を向けて、棘の道を歩む事を選択して生きて来たかつて義母と婿の間柄であった男女の私たち二人。
たとえ他人様から、世間の大多数の人からふしだらな男女だとか鬼畜だとか言われても、私たち二人がこれまで23年間、真剣に愛し合って来て強く堅い愛の絆で結ばれている事だけは紛れもない事実で、私たちは自分たちの選んだ人生を後悔していません。
許されない不義の関係で結ばれた男女であっても、私たち二人の歩んで来た愛の軌跡は誰にも絶対に崩せないものなのですから。
亡くなった妻と義父の事を思うと、お互いに複雑な気持ちになりますが、私たちはこれからも永遠に、今世のみならず、来世、生まれ変わっても再び巡り合い、愛し合って行きたいと思っています。
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投稿者:(無名)
2013/09/12 17:13:46    (lSveGHpA)
論文?
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投稿者:(無名)
2013/09/12 17:25:43    (XZwk.VUX)
もち論文。
4
投稿者:(無名)
2013/09/12 18:53:03    (Waas8Phe)
これで娘たちと義妹の息子たちが結ばれると…
めちゃくちゃ複雑で面白いねえ
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投稿者:羨望
2013/09/13 02:24:20    (BjGTu.lk)
義母とのセックスの様子も細かく教えてください。
オスって射精するときはゴムの有り無しとかどこにだすとか関係なく、射精の瞬間は頭の中では相手の女性を妊娠させたいと思いながら射精するんだろうけど、
最初は無理矢理交尾して、その後はお互いの気持ちが合わさって交尾するようになったみたいだけど、
義母は妊娠したとき悩んだということは交尾の度に生理があるのに精子を受け入れるのはまずいという考えはあっただろうと思う。
和伸さんは内心、義母の気持ちを無視してでも妊娠させたいと思って射精していたのだろうか?
そして義母は組み敷かれながら、和伸さんがそんな気持ちを気にせずに40代の女性の裸にぺニスを硬くして
栄子の中に精子を送り込もうと気持ち良さそうに腰を振っているオスは姿に押し負けて
ぺニスが精を放つ瞬間の膨らみや硬さや律動に恍惚を感じていたのだろうか?
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投稿者:和伸 ◆AS2jxbb5Hc
2013/09/14 07:50:27    (xdRuSMDR)
私の娘たち(長女24歳、次女21歳)と義妹の息子たち(長男23歳、次男19歳)が結ばれるですか・・・
娘たちにはそれぞれ、つき合っている男性がいて、義妹の息子たち二人にも恋人がいるみたいで、私たちの家族と義妹の家族は距離的に離れた地域に住んでいて頻繁に会えない事もあり、今のところ、その可能性はないですね。
まあ、仮に私の娘と義妹の息子がそうなったら、私たち夫婦(元義母と婿)も義妹夫婦(元義父と嫁)も本人たちの意思を尊重するでしょう。
と言うか、私たち親には自分の子どもたちの恋愛、セックス、結婚にあれこれと必要以上に口出しをしたり、咎めたりする資格なんかありませんから(笑)。


23年前のあの日、当時は義母と婿の間柄だった私たち二人が初めてセックスした時の事は、お互いに今でもはっきりと憶えていて、私たち夫婦にとっては生涯、忘れられない思い出になっています。
あの日の晩、男と女の関係になる前から、すでに私たち二人の間には明らかな恋愛感情が存在していて、お互いになかなか口には出せませんでしたが、私たちは精神的に強く結び付いて心の中では愛し合っていて、義母も私も愛する異性を狂わしいほどに求めて相手との肉体的な結合を欲していたので、私たち二人がセックスするのはもはや時間の問題で、当然の成り行きだったのでした。
あの頃、私たち二人は口に出さなくても、お互いに相手の気持ちがよくわかっていたのですから。

そして、妻が亡くなってから2ヶ月が経っていたあの日の晩、私はもうこれ以上はとても自分の気持ちを抑える事が出来なくなってしまって、遂に義母へ私の想い、愛を告白してセックスを求めたのです。
義母は私に求愛された直後こそ、少しばかり躊躇った様子を見せてうろたえていたものの、しかし、義母の目はすぐにまるでこの日が来る事をずっと待ち望んでいたと言わんばかりに、喜びを湛えたものに変わって行ったのを23年後の今でもよく憶えています。
本心では私の求愛を殊の外に喜び、私とのセックスを強く欲していた義母でしたが、それでも、禁断の壁を乗り越えるところまでは踏み出せず、自分にとっては義理でも息子である娘の夫、婿の私の要求を頑なに拒んだのでした。
しかし、その時の私は妻が亡くなってから2ヶ月もセックスしていなくて、自分の中で性欲がかなり溜まっていたのに持って来て、優しい性格でキュートな顔立ちの美しい義母に女としての魅力を強く感じていた為、もはや自分の欲望を抑える事が出来なくて、嫌がる義母の意思を無視して強引に体を奪ってセックスしてしまったのです。
相手が自分にとっては義理の母親、妻の母、義母であるという後ろめたさ、背徳感を覚えながらも、私は自分の中に存在する常識もモラルも理性も、その他の何もかも全てを捨て去って、完全にセックスに飢えた獣、性獣と化して本能の趣くままに激しく義母の熟れた肉体を貪り続けたのでした。
その時、私の目の前にいた女性はもはや自分にとっては義理の母親、妻の母、義母ではなく、一人の魅力的な女、恋愛、セックスの対象でしかなかったのです。
最初は正常位で次に前座位でセックスしたのですが、義母は最初、婿の私とのセックスで感じてしまわないように、両方の掌で正常位の時にはベッドのシーツを前座位の時には自分の両足の太股を強く握り締めて、決して両腕や両足を私の体に回して抱き付こうとはしないで、必死に自分に迫って来る快感に抗っていたのでした。
私は義母の抵抗の意思表示などまったく無視して激しく腰を律動させて、自分の全精力を込めたペニスで義母の膣内を突き破ってしまわんばかりに強烈に突きまくり続けたのです。
義母が私とのセックスが齎している快感に堪えられなくなって、私を婿としてではなく男として受け容れてくれて、自分たち二人が肉体的に男と女として愛し合える事を切に願って、否、確信して。
セックスしていた最中、私の心の奥底には義母が婿の自分の子どもを妊娠する不安感は存在していましたが、しかし、魅力的な肉体を持つ義母とのセックスにすっかりのめり込んで、情欲の塊になり完全に理性を失っていたその時の私には義母が妊娠する事などほとんど気にならず、ただ、初めて交わった愛する女性、義母へ自分の全てを激しくぶつけるばかりなのでした。

義母と正常位で存分に交わった私はお互いの体を結合させたままで上半身を起こして、両手で義母の上半身を抱き起こすと、左右の掌で小柄な体に比例して小さ目ではあるものの、年齢の割には肉付きが良くて柔らかい義母のヒップを鷲掴みにして抱え上げながら、正座した両足を崩してアグラをかいて、義母と正面から向かい合った姿勢になったのでした。
向かい合うや否や、私はすぐに両手で痩せ型でスマートな体をした義母のきゃしゃな腰の両端を掴んで、相手の下半身を自分の方に強く引き付けて互いの性器の結合度を深めて前座位でセックスする事にしたのです。
前座位でセックスする事にした私は正常位で交わった時と同じく、義母に対してまったく遠慮をしないで、両腕で相手の下半身を引き付けながら、腰を前後に何度も何度も激しく律動させてペニスで義母の膣内を突き破ってしまわんばかりに、強烈に突きまくり続けたのでした。
そうして自分の意思とは無関係に私に強姦(おか)される形で無理矢理にセックスさせられていた義母でしたが、しかし、やはり義母も女であり義父が亡くなってから7ヶ月もセックスしていなくて、私と同様、性欲が溜まっていて、そして、本心では私とのセックスを欲していた為、次第に女としての本能、全身を襲って来る快感に抗えなくなって来たのでした。
私は狂ったように数え切れないくらいに何度も何度も激しく腰を振って、ペニスで義母の膣壁が擦り切れて出血してしまうのではないか?と思ってしまうほどに強烈に突きまくり続けて行くうちに、義母は遂に快感に堪え切れなくなり、義理の母親、妻の母、義母としての自分を捨て去って女としての自分を選んだのです。
義母はそれまで快感に堪える為に強く握り締めていた太股から両手を離すや否や、まるでこの時をずっと待っていたと言わんばかりに細目の両腕を私の首に回して強く抱き付いて来て、首を後方に反らしたのでした。
そして、自分より17歳も年下の男性で、義母にとっては義理の息子、娘の夫、婿である私の目の前で
「ああっ! 和伸・・・さ、あんっ! ああ・・・っ! ああ・・・っ! イイ・・・ッ! イイッ! ああ・・・っ! すごく・・・イイッ! ああ・・・っ! ああ・・・っ! 感・・・じるっ! 感じ・・・るっ! ああ・・・っ! ああ・・・っ! 感、じる・・・っ! 感じ、る・・・っ! ああ・・・っ! ああ・・・っ! 和伸、さあ・・・んっ! ああ・・・っ! ああ・・・っ! あ、ああ・・・ ああんっ! あんっ! ああっ! ああ・・・っ! ああ・・・っ! 感、じる・・・っ! 感じ、る・・・っ! ああ・・・っ! ああ・・・っ! 感じ・・・る、ううっ!」
と、恥も外聞もなくただの女として悦びの声を上げて、快感に満ち溢れた最高に魅力的な表情を惜し気もなく堂々と曝け出してしまったのです。
妻とのセックスでは1度も経験した事がなかった義母の女として最高に魅力的な姿に接した私は、全身に言葉では表わせないとてつもないほどの強大な快感を覚えて、思わず、義母より先にイッてしまいそうになり必死で堪えたのでした。
私は義母が遂に婿の自分を男として受け容れてくれた事を本当に嬉しく思ったのと同時に、目の前で私の首に回した細い両腕でしっかりと抱き付いて快感に満ち溢れた表情を見せながら、悦びの声を上げて感じまくっている小柄でキュートな顔立ちの美しい義母の姿に、物凄い大きな悦びを感じていたのです。
これほどまでに大きな悦びを感じさせてくれる義母とセックスしている自分は本当に幸せな人間で、私は義母の事を世界一の素敵な最高の女性で一生、離したくないと思いました。
女として最高に魅力的な義母の姿に接して、自分の中で情欲の炎がますます強く燃え盛って来るのを感じた私は更に激しく腰を振って、義母の膣内を強烈に突きまくり続けたのです。
「ああっ! ああっ! ああっ! ああっ! あ、ああ・・・ ああんっ! あんっ! ああっ! 和伸、さあんっ! ああっ! ああっ! ああっ! ああっ! イイッ! イイッ! ああっ! イイわっ! ああっ! ああっ! すごいっ! すごいわっ! ああっ! 和伸、さんっ! ああっ! ああっ! ああっ! ああっ! すごく・・・ イイッ! ああっ! ああっ! すご、イイッ! ああっ!  ああっ! ああっ! ああっ! 和伸さん・・・ すご過ぎ、るうっ!」
義母は私との激しいセックスでもはや自分の全てを支配していて、怒涛のような勢いで絶え間なく押し寄せて来るとてつもないほどの強大な快感に堪えるかのように、私の首に回している両腕に渾身の力を込めて強く抱き締めて、後方に折り曲がりそうなくらいに反らした首を左右に何度も何度も激しく振りながら、獣が発するような物凄い歓喜の叫び声を上げて、本能の趣くままに女として乱れに乱れまくり続けたのでした。
その時には私と同様、義母の中でも妊娠に対する不安感、恐怖感はかなり希薄になっていて、私とのセックスに完全にのめり込んでいたのです。
それでも、イク時は
「ああっ! やめてっ! やめてっ! お願いっ! 和伸さんっ! それだけは・・・ それだけはダメッ! ああっ! 膣内(なか)は・・・ 膣内はダメッ! 膣内だけは絶対にダメッ! あたし、まだ出来る(妊娠する)かもしれないから・・・ ああっ! お願いっ! 抜いてっ! 抜いて膣外(そと)に射精(だ)してっ! ああっ! 和伸さんっ! いけないっ! いけないわっ! もし赤ちゃん、出来たら・・・ ああっ! お願いっ! 和伸、さんっ! 膣内には・・・ 膣内には射精さないでっ! ああっ! お願いっ! 和伸さんっ!」
と、私が膣内射精(なかだし)しようとしたのを激しく拒絶した義母だったのです。
しかし、その時の私はそれまで身も心も完全に一つになって、これほどまでに激しく愛し合って来た自分たち二人が、最後のその瞬間、男女にとっての最高の悦びを感じ合う時に離れる事にはとても納得がいかなくて、義母の意向を無視して膣内射精したのでした。
私に膣内射精された義母は妊娠の不安が拭えなかったので、セックスが終わって私が自室に戻った後、浴室へ行ってシャワーで膣内を出来るだけ洗い流したのです。
セックスし始めた当初は義母も私も妊娠に対する不安感を抱いていて、特に義母の方に大きな不安感、恐怖感があったのですが、月日の経過と共にいつしか気にならなくなり、お互いに本音の部分では自分たち二人の間に子どもが生じる事を望んでいたのでした。
そうして月日が流れて行き、初めてセックスしてから1年後、私たち二人がずっと密かに望んでいた事が現実のものになったのです。


ところで、もしかすると、若い頃の私はかなりの絶倫な男性だったと思われてしまうのかもしれませんが、実際には真反対でセックスは得意な方ではなくて、体力はあまりなくペニスも大きくなくてテクニックとは無縁の人間なのでした。
それに対して亡くなった義父は私とは比べ物にならないほどの物凄い絶倫で、雄々しく逞しいペニスを持っていて、結婚してから亡くなるまで義母に女としての最高の悦びを感じさせて来て、多くの女性にとっては最高レヴェルと言うべき男性だったのです。
今、これ以上は話しませんが。
7
投稿者:(無名)
2013/09/16 16:32:11    (JqYWKAY6)
ばぁちゃんとはセックスする度胸が俺にはない…
8
投稿者:和伸 ◆AS2jxbb5Hc
2013/10/07 03:15:53    (1pe3BWc4)
今はもうおばあちゃんと呼ばれる年になって昔に比べずいぶんと落ち着いていますけど、20年位前、50歳前後の時には若い女性も顔負けなほどの物凄く性欲が旺盛でセックスが大好きだった淫乱なおばちゃんで、私にとってはこの世に二人といない最高に魅力的な妻(元義母)だったんですよね。
無論、今でも最高の妻で最高のセックスパートナーですけど(笑)。
今でも年齢の割には若々しい肉体をしていて健康な妻で、お互いに性欲が減退して回数こそ減ったものの、セックスの時には昔同様、かなり激しく濃厚に交わっていて、妻のヴァギナの締め付けは20年位前と同じで相当にきつく、私はいつもペニスに強烈な快感を覚えていますよ。
70歳と53歳になった今でも週に1回か2回はセックスしている(いつも膣内射精<なかだし>です)妻と私ですが、22年前に48歳と31歳の男女だった私たち(その当時はまだ義母と婿でした)の交わりによって娘の和栄が生じた時と違って、二人とももう若くないのですから、さすがに妻が私の子どもを妊娠する事はないと思います(笑)。
9
投稿者:和伸 ◆AS2jxbb5Hc
2013/10/10 07:57:01    (j.rbSIi2)
かつてその昔、22~25年前は義母と婿の間柄で、今は内縁の夫婦である私たち二人、栄子と和伸のセックス、妻が40代後半で私が30代初めだった頃の性生活に関する事を中心に話をさせていただきます。
また、栄子と前夫の武志(私にとっては義父)のセックス、私と前妻の成美(武志と栄子の長女)のセックスの事も絡めてぼちぼちと。
尚、9月24日に「親の性行為目撃談」へ投稿した「妻の両親、義父と義母のセックス」の書き込み内容と重複するところがあります。

すでに話しましたように、23年前、当時は義母と婿の間柄だった私たち二人が男と女の関係になったのは、お互いに伴侶を亡くした淋しさを忘れて性欲を満たしたい事もありましたが、基本的には異性として強く惹かれ合っていて精神的に結び付いていた、心の中で愛し合っていた為、肉体的な結合、セックスに至ったのでした。
しかし、私たち二人の性生活は精神的な結び付き、愛だけではなく、肉体的なもの、情欲も大きなウェイトを占めていて、30歳だった私は亡くなった妻の20代半ばの若々しい肉体とは違う40代後半の義母の熟れた肉体、熟女の魅力にすっかり取り付かれて、それまで妻とのセックスでは経験した事がなかった義母とのセックスから齎される快感の虜になってしまったのです。
義母の方も義父が亡くなって以来、7ヶ月もセックスしていなくて、47歳の女性にしては若々しい健康な肉体を持っていて、しかも、同年代の女性とは比較にならないほどにずいぶんと性欲が旺盛で、若い頃からセックスが大好きな女性だったのです。
義父は若い頃から義母以上に物凄く性欲が旺盛で、情欲の塊のような三度の飯よりもセックスが大好きだった絶倫の男性で、義父と義母は結婚する1年前の25歳と19歳の時から27年もの長い間、恋人同士として夫婦としてセックスして来て、二人が男女の交わりを行なった回数は天文学的な数字になるほどの多さだと思われ、義父が亡くなるまで長年に渡って数え切れないくらいの回数のセックスを経験した事によって、稀に見る淫乱な女になってしまった義母なのでした。
それ故に義母は義父が亡くなってセックスできなくなってから、27年もの長い年月に渡って絶倫の義父の持っていたヴァイタリティーが溢れる雄々しく逞しいペニスと巧みなテクニックで、これ以上はないほどまでに性感を高められて存分に性技を仕込まれた事により、すっかり淫乱な女になってしまっていた自身の肉体が疼きまくってどうしようもなく、私とセックスするようになるまでの7ヶ月間は堪えられない気持ちで悶々とした日々を過ごして、人知れず、オナニーに耽っていたのです。
長年の義父とのセックスで培われた淫乱な肉体を持て余していた義母は、自らの中で頻繁に湧き起こって来る性欲、強大な情欲の念を抑えられなくて、いけない事だとわかっていながらも、私の誘いを断り切れず、否、本心では義母の方から欲して、自分より17歳も若い婿の私とのセックスにのめり込んでしまったのでした。

義母は娘である私の妻と同じく色白で艶やかな肌をした女性で、すでに若い妻の肌ほどの艶やかさはなくなっていたとは言え、年齢の割には若々しくて美しい肌をしていたのです。
20代の妻の肉体と違い47歳だった義母の肉体は当然の事ながら、年齢の為、乳首と乳輪の色は茶褐色になっていてヴァギナはやや黒ずんでいて、妻の肉体のような若々しさ、瑞々しさはありませんでしたが、それでも、さすがは血が繋がっている実の母娘(おやこ)のものだけあって、義母と妻のヴァギナは形が本当にそっくりで、唯一の違いは義母のクリトリスが妻のものより倍近くも大きくて、私には妻のものよりもかなり大きな義母のクリトリスの方がすごく魅力的なものに思えたのでした。
体型は妻がややぽっちゃり型でヒップも大き目だったのに対して、義母は痩せ型のスマートな体をしていてヒップは大きくはなかったのですが、年齢の割には張りがある若々しいヒップだったのです。
妻の乳房はあまり大きい方ではなかったのですが、20代の女性のものだけあって、張りがありふっくらとした瑞々しささえ感じられる若々しい乳房でした。
一方、義母の乳房は小柄で痩せ型の体に比例して妻の乳房よりは小さかったものの、40代後半の女性のものにしては張りがあり、ふくよかで形が良い女としては魅力的な乳房だったのです。
実の母娘である義母と妻の乳房に共通していたのは、乳首と乳輪があまり大きくなかった事でした。
若い妻の乳房に比べると、義母の乳房は小さ目で乳首と乳輪の色が茶褐色になっていて妻の乳房ほどの張りはありませんでしたが、形は妻のものよりも良く、興奮した時の乳首の勃起具合は妻のそれ以上で、私は義母とセックスして行くうちに、妻の乳房よりも義母の乳房の方に魅力を感じるようになったのです。
そして、何と言っても、義母のヴァギナが私のペニスを咥え込んだ時の締め付けのきつさで、私の性運動に反応して義母のヴァギナは私のペニスを力強く締め付けて、私はそれまで経験して来た妻との3年間のセックスでは一度も感じた事がない強烈な快感を覚え、何度も義母より先にイッてしまいそうになったのでした。
義母と何度もセックスして行くうちに、年齢による経験の差もあったのかもしれませんが、実の母と娘のものでも、私には妻の若い肉体よりも義母の熟した肉体の方が頗る良いものに感じられて来て、いつしか義母とのセックスで、妻とのセックスの時とは比べ物にならないほどの強大な快感を覚えるようになっていた私なのです。
ややぽっちゃり型だった妻の若い肉体に代わって、痩せ型のスマートな熟れた義母の肉体を何度も激しく貪り続けて行くうちに、私は義母とのセックスにすっかりのめり込んでしまったのでした。

義母は小柄でキュートな顔立ちをした笑顔がすごく素敵な明るくて気さくで人当たりが良く、それでいて、物腰が柔らかくて穏やかな口調で話す温和な性格の優しい女性で、美女と言うよりも可愛らしいタイプ、チャーミングな女性であり、どこにでもいるごく普通のおばさんといった感じで、普段の義母の姿からはとてもセックスしている事など想像できないくらいだったのです。
ところが、セックスの時にはそういう普段の義母の姿は跡形もなく消え去ってしまって、まったくの別人のように豹変し、同じ人間だとは思えないほどに女として物凄い淫らな姿を曝け出して乱れまくったのでした。
義母は私とセックスしている時、相手が自分より17歳も年下の男性で娘の夫、婿である事などすっかり忘れてしまったかのように、私の目の前で本能の趣くままに恥も外聞も捨て去ったただの淫乱な女として悦びの声を上げて、歓喜に満ち溢れた最高に魅力的な表情を惜し気もなく堂々と曝け出して、普段、人前では絶対に口にしない「オマンコ」「オチンチン」「クリちゃん」といった卑猥な言葉を平然と発しながら、私の性運動に応じてヴァギナでペニスを力強く締め付け、より強大な快感を欲して情欲の限りを貪り続けたのです。
特に凄まじかったのは義母が主導権を握った騎乗位でセックスした時で、小柄な体に比例して小さ目でも形の良い女性のシンボルである二つの乳房を自分の両方の掌に収めて荒々しく鷲掴みにして、握り潰してしまわんばかりに乱暴に揉みしだきながら、後方に反らした首を左右に何度も何度も動かして髪の毛を振り乱し、獣が叫ぶような物凄い声を発して猥褻なまでに腰をクネクネと巧みに激しく振り続けて、女として乱れに乱れまくっていた義母の姿はまさに淫乱女の真骨頂と言うべきものなのでした。
私は自分の目の前で淫らな姿を曝け出して乱れまくっている義母を見上げながら、「お義母さんはセックスする時にはここまで人間が変わってしまうのか・・・」と本当に驚き、その時、私の目に映っていた義母の姿はもはや普段の義母とは似ても似つかないまったくの別人のそれで、ただの淫乱な女、否、まさにセックスに飢えた獣、性獣の姿でしかなかったのです。
その時の義母からはほんの1時間位前、1歳だった私の娘で、義母にとっては孫娘になる和美の面倒を見ていた母親のように優しい女性だった姿など微塵も感じられず、まるで嘘だったかのようでした。
AV女優も顔負けなほどの義母の淫乱な姿を見せつけられた私は、そのあまりの凄まじさに全身に強大な快感を覚えて思わず、義母より先にイッてしまいそうになり必死で堪えたのです。
私は正直、義母がまさかあれほどまでに淫乱でセックスが大好きな女性だとは思っていなかったので、普段の姿とのあまりにも大き過ぎるギャップにはただただ驚かされるばかりでしたが、私にはそれが却って魅力的に感じられてたのでした。
普段の姿とのギャップもでしたが、小柄で痩せ型の義母の肉体にあれほどの強大な性欲、淫乱さ、情欲のパワーが宿っている事が、私には信じられないくらいだったのです。
妻にはなかった女としての魅力、淫乱さを持っている義母に私はますます強く惹かれて行って、私にとっては義母が世界一の素敵な女性、この世に二人と存在しない最高の女性になったのでした。

私は体が大きい方ではなく、痩せ型で体力はあまりなくてペニスも大きくなく、セックスに関してはテクニシャンの類とは無縁の人間で、はっきり言って、私より義父の方が遥かにセックスが得意で高度なテクニックを持っていて、女性にとって義父とのセックスはとてつもないほどの強大な快感を全身に齎して、女としての最高の悦びを感じさせてくれるものだったと思います。
義父は義母と同様、小柄で背丈は低い方だったものの、ずんぐり型のがっしりとした筋肉質の男らしい体をしていて、腕と足と首も太くてすごく体力がある逞しい人なのでした。
義母から聞かされた事なのですが、義父は人並み以上に大きい太くて長くて勃起した時には物凄く硬くなってしまうペニスを持っていて、持続時間もかなり長く、イッた時にペニスから放出される精液は溢れんばかりに大量でいつも義母の膣内を満杯にして膣外へ漏れ出していたくらいで、すごく熱くて濃い精液だったのだそうです。
義父のペニスは私のものとはまるで比べ物にならないほどの雄々しくて逞しいペニスで、義母にとっては、否、大多数の女性にとってはすごく魅力的な最高のものだった事は確かで、義母の話を聞いた私は義父のペニスを本当に羨ましく思ったものでした。
義父と義母は恋愛結婚で1年間の交際を経て結婚した熱愛夫婦で、ずんぐり型のがっしりとした義父と痩せ型のスマートな義母という真反対の体を持つ男女の組み合わせでしたが、お互いの体の相性、セックスの相性が頗る良かったようで、それに持って来て、二人とも若い頃から性欲が人一倍に旺盛でセックスが大好きなラヴラヴカップルだったので、義父が26歳、義母が20歳の時に結婚してから26年間(結婚前の交際期間を含めると、27年間)、夫婦は頻繁に体を交えて存分にセックスを楽しみ、最高の悦びを感じ合って充実した性生活を送って来たのだそうです。
義父はすごくタフな男性でかなりのパワーとスタミナを持っていて、セックスの時の持続力は並大抵のものではなく、自分でも持て余してしまうほどに性欲が物凄く旺盛だった若い頃、20代半ばから30代半ばの頃までは週に何回も、結婚1年目は毎日のように義母とセックスしていたとか。
義母も義父と同じく、人並以上に性欲が旺盛でセックスが大好きな女性で、結婚当初は生理の時以外は毎日、セックスしていたものの、しかし、自分の何倍も旺盛な義父の並外れた信じられないほどの性欲と体力にはたじたじで、その驚異的な絶倫ぶりにはさすがに参ってしまう事が多くて、何度も義父より先にイッたり失神したりしていたのだそうです。
義父のペニスは大きさ、太さ、長さ、硬さ、持続時間の長さ、それに、ペニスから放出される精液の多さ、濃さ、熱さと、何れも男性のものとしては最高レヴェルだったようで、結婚してからしばらくの間、義母は義父とのほとんど毎日のセックスで、若々しい溢れんばかりのヴァイタリティーが漲っている雄々しく逞しいペニスで、膣が壊れてしまうのではないか?と思ったくらいに、数限りなく何度も何度も強烈に突きまくられ続けて、全身にとてつもないほどの強大な快感を覚え、女として最高の悦びを味わっていたのだそうですが、あまりにも激し過ぎるセックスの為、精も根もすっかり尽き果ててしまって終わった後はいつもクタクタで、翌朝はすごく体がだるかったと言っていました。
連日の義母との激しいセックスで義父もかなり体力を消耗していたようですが、若くて有り余るほどの体力があったのと旺盛な性欲を抑える事が出来なかったので、いくら疲れていてもセックスだけは欠かさず、その当時はほとんど毎日、義母を求めていたのだそうです。
義母は結婚した最初の1年間は義父とのセックスに相当の体力を費やし、女としてこれ以上ないほどの悦びを感じていたものの、その一方で肉体的にはすごくきつくて、このまま毎日のように夫である義父とセックスしていたら、健康を損ねて死んでしまうのではないか?と思ったくらいで、いくら夫と愛し合っていて夫の義父と同様にセックスが大好きな妻の義母でも、正直、夫との夫婦生活=性生活に段々と嫌気が差すようになって来て、義父とのセックスが苦痛になり始め、離婚した方が良いのではないか?と考えた事もあったとか。
結婚してから1年後、義母が私の妻を妊娠した事によって、義父はそれまでのように頻繁にはセックスを求めて来なくなったのだそうです。
しかし、妻が生まれてからしばらくすると、義父の性欲は再び旺盛になり、義母の方も自分の中で長らく沈静化いた性欲が再び活性化して来て、父親と母親になった義父母夫婦は1年目ほどではなかったものの、活発な性生活を再開したという事なのでした。
妻が生まれてから4年後に義父母夫婦の間に二人目の子ども、妻の妹、義妹が生まれて、それから更に4年後、結婚10周年を迎えた頃、義父が36歳、義母が30歳になった頃から夫も妻も旺盛だった性欲が次第に落ち着いて来て、セックスの回数は徐々に減って行ったのだそうです。
それでも、回数が減ったとは言え、他の同年代の夫婦に比べれば、義父と義母のセックスの回数はかなり多い方だったようで、やはり義父母夫婦は二人とも、根っからの旺盛な性欲の持ち主でセックスが大好きな男女だったのだと思います。
20歳で結婚した義母の肉体は最初の10年間、義父と数え切れないくらいの回数のセックスを経験した事で、いつの間にか女として見事すぎると言っていいほどまでに成熟してしまっていて、結婚してから10年後、30歳になった時にはもはや完全に淫乱な女のそれになっていたのだそうです。
その後も義父が亡くなるまで16年間もセックスして来た義母ですから、そういう経験豊富な義母の肉体と経験の浅い私の妻の肉体を比べると、大人と子どものそれに等しく、実の母と娘の肉体でも、女の肉体としては雲泥の差があったのは当然の事なのでした。
私が大きな魅力を覚えて虜になってしまった義母の熟し切った肉体、妻にはなかった淫乱さは先天的なものもあったのかもしれませんが、やはり長年に渡る義父とのセックス、特に結婚してからの最初の10年間で培われたものだったのです。
私と妻は交際期間を含めて僅か3年しかセックスの経験がなく、しかも、私があまり体力のない男性なのに持って来て、私も妻も義父と義母ほどには性欲が旺盛でなかった為、私たち夫婦のセックスは義父母夫婦の激しい濃厚なセックスに比べたら、まさに子どものお遊び程度のものでしかなかったと、そう思わざるを得ませんでした。

実は私は一度だけ、義父と義母のセックスを偶然、目撃してしまった事があるのです。
義父が亡くなる2ヶ月前、私たち夫婦とまだ生まれてから5ヶ月の赤ん坊だった娘の和美が妻の実家に泊まった事があるのですが、夜中に目を覚ましてトイレへ行った後、義父母夫婦の寝室のそばを通り掛った私は、義父と義母がセックスしている現場に遭遇して、その様子を覗き見してしまったのでした。物音一つしないほどに静まり返っていた真夜中に、いきなり女性の甲高い悲鳴が聞こえて来て私は一瞬、驚いてその場に立ち止まってしまいましたが、その後も同じ声質をした女性の喘ぐような声が聞こえ続けて、更には男性の獣が唸るような野太い声も聞こえて、聞き覚えのある男女の声は義父母の寝室からのものだという事に気づくのには、ほんの僅かな時間しかかからなかったのです。
そして、声の主が義父と義母である事を即座に認識したのと同時に、部屋の中で何が起こっているのか、否、行なわれているのかも容易に想像できた私なのでした。
尚も男女二人の口から発せられ続ける艶めかしい声に私の心臓の鼓動は一気に速まって行き、私は抵抗感を覚えながらも、寝室の方へと恐る恐るゆっくりと歩を進めたのです。
その時期、ちょうど閉まり具合が悪くなっていたドアがほんの少しばかり開いていて、そこから薄暗い光が漏れていた寝室の前まで来ると、私は気づかれないように緊張して中を覗いたのでした。
覗いた瞬間に私の目に映った光景、それは私が思ったとおりのもので、1台の電気スタンドの灯りだけが頼りの薄暗い寝室の中にあるベッドの上で行なわれていたのは、初めて目にする妻の両親、義父と義母が男と女として絡み合っていた姿なのです。
二人とも身に着けているものの全てを脱ぎ捨てて文字どおりの生まれたままの姿になっていて、仰向けに寝た義父の裸体の上に全裸の義母が義父の体の向きとは反対の向きで体を覆い被せた女性上位のシックスナインの体勢になって、お互いに相手の性器(もの)を舌と唇を使って愛撫、刺激し合っていたのでした。
薄暗くてはっきりとは見えませんでしたが、義母は義父のペニスを舌で舐めたり口に頬張って顔を上下、左右に動かしたりしていて、義父は両手で義母のピップを鷲掴みにして下半身に顔を埋めてヴァギナを愛撫していたのです。
ピチャピチャと艶めかしい猥褻な音を立てながら、激しく濃厚にフェラチオとクンニリングスを繰り返す義母と義父は、お互いに快感の為、思わず、何度も声を発していたのでした。
52歳と46歳の夫婦だった義父と義母が若い男女のようにシックスナインの体勢になり、相手の性器を愛撫、刺激してお互いの性感を高め合っている姿はそれまで一度も想像した事がなく、信じられないほどの物凄い衝撃的な光景で、義父母夫婦が繰り出していた行為は私の目に本当に卑猥なものとして映ったのです。
20代の夫婦だった29歳の私と24歳の妻もセックスの時にはシックスナインを頻繁に行なっていましたが、私たちのような若い男女ではない50代と40代の熟年夫婦の義父と義母が、シックスナインを行なっているなどとは夢にも思っていなかった事なのでした。

義父と義母はシックスナインでお互いの性感を十分に高め合った後、いよいよ本番に突入したのです。
先ずは正常位で、その後、屈曲位、前座位、後背位、騎乗位、立位と、いくつもの体位で交わった義父と義母なのですが、義父母夫婦のセックスは私と妻のセックスとはまるで比べ物にならないほどの本当に激しくて濃厚なもので、見ていた私は物凄い大きな興奮を覚えてしまい、自分の中で情欲の念が一気に肥大化して来るのを感じました。
義父と義母が繰り広げたセックスはAVのそれも敵わないくらいの物凄い衝撃的なもので、その時の義父母夫婦は普段の姿からは想像さえできないほどの淫欲な男女と化していて、とても私が知っている義父と義母と同じ人間だとは思えず、二人は本能の趣くままに情欲を貪るただの男と女でしかなく、まさにセックスに飢えた獣、性獣だったのです。
そして、52歳の男性と46歳の女性のものとは思えないほどの力強さが漲っていた若々しいエネルギッシュなセックスで、29歳の私と25歳の妻のセックスは義父と義母のセックスの足元にも及ばないものなのでした。
成熟した男女の義父と義母のセックスはまさに大人のセックスと呼ぶべきもので、それに比べると、若い私と妻のセックスなどあまりにも未熟な子どものセックスと言うべき類のものでしかないと思った私なのです。
正常位で交わった時、激しくて力強くも巧みな腰使いで、義母の痩せ型の体を容赦なくガンガンと攻めまくり続ける義父に対して、義母は細い両腕で義父のがっしりとした筋肉質の逞しい体にしがみ付いて、獣が叫ぶような物凄い歓喜の声を上げて、義父の腰の動きに合わせて、義父の腰にしっかりと巻き付けている両足を自分の方に引き付けながら、義母自身も腰を突き上げていたのでした。
義母の両足を肩に乗せて屈曲位になった義父は上から物凄い勢いでピストン運動を行ない続け、義父に組み敷かれて完全に自由を奪われ、悲鳴を上げてのた打ち回っていた義母の体が壊れてしまうのではないか?と思えるほどの凄まじさだったのです。
男らしく堂々とアグラをかいて座った義父に義母が正面から跨った前座位では、義父は義母の腰の両端を掴んだ両腕を引き付けながら、腰を前後に激しく律動させ続け、義母は義父の首に回した両腕で強く抱き付いて、後方に反らした首を左右に何度も何度も振って、死んでしまうのではないか?と思ったほどに乱れまくったのでした。
後背位(バック)で義父が義母の腰を両腕で引き付けながら、激しく腰を動かし続け、義母も義父の性運動に応じてヒップを突き上げている様はまるで獣の交尾のようで、私の目にはすごく卑猥なものとして映ったのです。
騎乗位になってセックスの主導権を握った義母は腰を上下、前後、回転運動と自分の思いのままに激しく、猥褻なまでにクネクネと巧みに動かし続けて、快感が高まって来ると、両手で小さ目の形の良い乳房を乱暴に揉みしだいて、義父の目の前で淫乱そのものの女の姿を曝け出したのでした。

そして、義父母のセックスで最大の真骨頂と言うべきものだったのは何と言っても、最後に立位で交わった時の義父と義母の姿で、私にとってはそれまで経験どころか、一度も目にした事がなかった本当に物凄い衝撃なシーンだったのです。
ベッドの端に腰掛けた義父は自分の正面から跨って結合している義母の腰に両腕を回して両手を組んで引き付け、義母は義父の首に両腕を回して義父の腰に両足を絡ませてしっかりと抱き付いて、二人は前座位でセックスした時と同じ抱っこちゃんスタイルで抱き合うと、義父は義母の体を抱きかかえて立ち上がり腰を思いっ切り突き上げながら、前進し始めて室内を縦横無尽に歩き回り続けて、とても52歳の男性だという事が信じられないほどの若々しいヴァイタリティーを全身に漲らせていたのでした。
義母は両腕と両足で義父の体に必死で抱き付き、首を後方に折れ曲がってしまいそうなくらいに反らして、快感に堪えるかのように、歓喜のものとも苦悶のものともつかないような死にそうなほどの呻き声を発しながら、性欲と体力の塊のような義父の思いのままに完全に自由を奪われたセックスの奴隷と化して、女として乱れに乱れまくるばかりだったのです。
並外れた旺盛な性欲と人一倍のスタミナの持ち主である義父がなかなかイカなくて、快感に堪えられなくなって来た義母は
「あ、あ・・・っ! あああ・・・ ああっ! あな・・・た、あっ! ああ・・・ お願い・・・ もう・・・ もう、イカせて・・・ ああ・・・ あたし、もう・・・ もう、ダメ・・・ッ! ああ・・・ イキ・・・そうっ! ああ・・・ あなた・・・ 許して・・・ お願い・・・ あたし、もう・・・ もう・・・ ああ・・・ イキ・・・そうっ! ああ・・・っ! あな・・・たあっ!」
と、息絶え絶えの声でイカせてくれるように懇願したのでした。
しかし、義父は
「おお・・・っ! 栄、子ぉ・・・っ! まだだ・・・ まだダメだ・・・ もう少し・・・ もう少しだけ、我慢しろ・・・ おお・・・ おれも・・・ おれもあとちょっとで、イクから・・・ おお・・・ イク時は・・・ イク時は一緒だ・・・ 二人で・・・ おれと栄子と二人で・・・ おお・・・ 二人で一緒に、イコう・・・ おお・・・ おっ・・・ お、お・・・ おお、うっ! おおっ! 栄、子おっ!」
と言って、まだ義母にイク事を許さず、最後のその瞬間を目指して腰を激しく振って、義母の体を突き上げ続けたのです。
義母はすでに失神する寸前で意識が朦朧としていたようで、今にもイッてしまいそうなのを義父の命令により先にイカないように必死で堪えていて、義父にイク時が来るまでもはや声にもならないような喘ぎ声を本能の趣くままに口から漏らし続けていたのでした。
義父の方もイク時が自分のすぐ間近まで迫って来ている事を全身で感じていた様子で、いつしか口から発せられる声も
「おっ・・・ お、お・・・ おおお・・・ おうっ! おおっ! おお・・・ お、おお・・・ お、おうっ! おうっ! おおっ! おお・・・ 栄・・・子おっ! おお・・・ おお・・・ おおお・・・ おおっ! おおっ! おおうっ! おうっ!」
と、明らかに強大な快感を覚えている、否、快感に堪えているトーンのものになったのです。
そして、遂にそれまで激しく濃厚なセックスで愛し合って来た義父母夫婦の間にその時が、男女にとっての究極の悦び、二人が最後に味わう最高の快感の瞬間が到来したようで、義父は急に腰の動きを早めてピチャピチャと艶めかしい猥褻な音を立てながら、義母の体を突き上げて行き、義父と義母の口から発せられる声が一気に大きくなって、ほんの僅かな時間が経過した後の事でした。
「ああっ! あな、たあっ! ああっ! あた、しっ! ああっ! あたしっ! 栄、子っ! 栄子っ! ああっ! イ、クうっ!」
「おおっ! 栄、子おっ! おおっ! おれもっ! おれもっ! おおっ! おうっ! おお、うっ! おうっ! おおっ! おうっ! おおお・・・ おうっ! おおうっ! おうっ! おおっ! 栄、子おっ!」
義母と義父、二人の口から物凄い歓喜の叫び声、義母の甲高い悲鳴と義父の獣が唸るような野太い声が発せられて、次の瞬間、それまで一つに繋がって躍動していた全裸の男女の肉体が静止したのです。
「あっ・・・ ああ・・・ あ・・・ ああ・・・っ! あん・・・っ!」
「おっ・・・ おお・・・ お・・・ おお・・・っ! おう・・・っ!」
その直前に男女双方が発した叫び声に代わって、義母と義父の口から今度は打って変わった静かで穏やかな声が漏れて、私は義父母が二人で同時にイッてしまった事を確信したのでした。
義父と義母がイッてしまった瞬間の姿は、とてもこの世の出来事だとは思えなかったほどの官能に満ち溢れた本当に艶めかしい、そして、美しいもので、まさに愛し合って最高の悦びを感じながら、頂点に達した男女の究極の姿だと思った私なのです。
イッた後も義父は立ったままで立位の体勢を崩さず、絶対に離さないと言わんばかりに、両手でしっかりと義母の腰を引き付けてお互いの結合部を密着させた状態で間を置きながら、腰を前方へ軽く突き出して義母の膣内で射精を行なっていて、義母は義父の突き上げと射精に応じて、ヴァギナで義父のペニスを締め付けているのが二人の発していた声から容易に察しがついたのでした。
「ああ・・・ ああ・・・ ああ・・・ ああ・・・ あああ・・・ ああ・・・っ! ああ・・・ ああ・・・ あ・・・ふ・・・ うん・・・っ!」
「おお・・・ おお・・・ おお・・・ おお・・・ おおお・・・ おお・・・っ! おお・・・ おお・・・ お・・・う・・・ おう・・・っ!」
そうして、しばらくの間、義母と義父はお互いに相手の体を強く抱き合って、義母は首を後方に反らしたままで義父は顎をやや反らして顔を上向きにして、吐息のような悦びと安堵感、満足感の漂う艶を帯びた嗚咽を漏らし続けながら、二人で同時にイッてしまった瞬間に味わった快感の余韻に浸っていたのです。
義父と義母の結合部から液体が、義母の膣内で一つに混ざり溶け合った二つの液体、義父の精液と義母の愛液の混合液がとどまる事を知らないかのようにボタボタと滴り落ち続けて、あっという間に床をベットリと濡らして行ったのでした。
薄暗い電気スタンドの灯りに照らされて、光を反射して艶やかに輝いていたように見えた義父と義母の体内から湧き出た液体、男女の混合液はまるで生き物のように生々しくて艶めかしいものだったのが遠目からでもはっきりとわかったのです。
52歳の義父のペニスから放出された精液は義母の膣内に収まり切らず、膣外に溢れ出てしまうほどに大量だった事は見ていた私にもよくわかり、それまで私は妻とのセックスで義父のように大量の精液を放出した経験は一度もなかったので、義父の精液の量には本当に驚くばかりでした。

「あっ・・・ ああ・・・っ! あああ・・・ ああ・・・っ! あな・・・たぁ・・・ あん・・・っ! うん・・・」
義母の口から“最後の”歓喜の声が漏れた直後、それまで立位でセックスしている間中はずっと蔦のようにしっかりと絡み付いていた義母の両腕と両足が義父の首と腰から急に離れて、力が抜けたようにだらりと垂れ下がり、上半身も密着していた義父の胸から離れて後方へ傾き、義母の体はまるで意思を持たないバネ仕掛けの人形のようになってしまったのです。
「おお・・・ 栄子ぉ・・・ 失神してしまったのか・・・」
どうやら義母は失神したようで、義父は腰の突き出しをやめて自分のすぐ目の前で気を失った義母を見つめてそう言うと、義母と結合したままでその場に腰を下ろしてアグラをかき、両手を義母の背中に回して力の抜けた義母の上半身を抱き寄せて、前座位の姿勢になって再び腰を動かし始め、まだ終わっていなかった射精を続けたのでした。
「あっ・・・ ああ・・・っ! あ・・・ ああ・・・ あ・・・ あん・・・っ!」
失神していながらも女の肉体が本能的に反応したようで、義父の腰の突き上げと射精に対して気を失っている筈の義母の口から微かな悦びの声が発せられたのです。
「おお・・・ 栄子ぉ・・・ 良かった・・・ 良かったぞ・・・ おお・・・ 本当に良かった・・・ 栄子、最高だ・・・ 最高に良かったぞ、栄子ぉ・・・ おお・・・ 栄子、気を失ってもおれのチンボを締め付けてくれて・・・ 栄子のオマンコ、最高だ・・・ 世界一の名器だ・・・ 栄子、最高に素晴らしい女だ・・・ 世界一の素晴らしい女だ・・・ おれは栄子と結婚して、これまで26年もこうして愛し合ってセックスする事が出来て、本当に幸せだ・・・ 栄子と結婚して本当に良かった・・・ おお・・・ 愛してる・・・ 愛してるぞ、栄子ぉ・・・ おれは一生・・・ 一生、栄子を離さない・・・ 死ぬまで栄子と愛し合って行きたい・・・ おお・・・ 栄子ぉ・・・」
義父は腰を動かして射精を続けながら、義母の背中に回している両手でお互いの上半身をピッタリと密着させて、意識を失くして首が後方へガクンと傾いて吐息と共に微かな声を発している義母の顔を見つめながら、悦びに満ち足りた穏やかな声で嬉しそうに、そして、義母を労わるように優しい口調で語り掛けたのでした。
そのうちに、なかなか終わらなかった義父の腰の動きもようやく止まり、ペニスに溜まりに溜まっていた大量の精液の全てを義母の膣内(なか)で射精(だ)し尽くしたようで、義父は射精を終えた後も、しばらくの間は前座位の姿勢で結合したままの義母の体をしっかりと抱いて、愛の言葉を口にしながら、男と女として愛し合った悦びの余韻に浸っていたのです。
私は義母が失神した後の義父の対応を目にしながら、ほんの少し前まで情欲の塊、セックスに飢えた獣、性獣と化して自分の性欲を存分に満たす為、義母が先にイク事を許さず、妻である義母をセックスの対象としてしか捉えていなかった、否、性奴隷として扱っていたとさえ思えた義父とはまるで別人のような優しい姿に、義父の義母への強く深い愛情を感じていました。
また、並外れた性欲の持ち主の義父とあれほどまでの激しい濃厚なセックスを延々と繰り広げて、もう今にもイキそうになっていたにも関わらず、要求されたとおりに義父がイクまで必死で快感に堪え抜いて、二人で同時にイッて失神してしまった義母も、夫である義父を心の底から愛していて、義父母夫婦が強く堅い愛の絆で結ばれている事を確信したのです。

やがて、義父は気を失っている義母の上半身を仰向けに寝かせると、長い間、義母のヴァギナとずっと結合したままだった自分のペニスをやっと抜き出したのでした。
義父のペニスは生々しく糸を引きながら、義母の膣内から抜け出て来て、ペニスは全体が男女双方の液体、精液と愛液でヌルヌルになっていたのが電気スタンドの灯りを反射して艶やかに光っていた事により、遠目からでもよくわかったのです。
一方、義母の膣からは義父のペニスが抜かれた直後、一気にドロッとかなりの濃度がありそうな液体が漏れ出して来て、義母の膣内で義父がいかに大量の精液を噴出したかを証明していたのでした。
ようやく射精を終えた義父は義母の膣内からペニスを抜き出すと、膣内から溢れ出して床をベトベトに濡らしたお互いの肉体から湧き起こった大量の液体、自分たち二人が愛し合った証である男女の混合液、一つに混じり溶け合った精液と愛液をしばしの間、じっと見つめていたのです。
義母との激しいセックスを終えた義父は「はー・・・ はー・・・」と荒い息を吐きながら、満足そうな様子で
「おお・・・ ほんとにずいぶんとたくさん、膣内(なか)に射精(だ)したもんだ・・・ 今日、栄子が安全日じゃなかったら、成美と幹恵(私の義妹=妻の妹、義父母の次女)に弟妹(きょうだい)が出来たかもしれないな・・・」
と、今の今まで自分のペニスを挿入(い)れていた義母の膣と膣外(そと)へ漏れ出した液体を見つめてそうつぶやいたのですが、私も義父の言った事に同感でした。
52歳の夫と46歳の妻という組み合わせ(カップル)の男女でありながら、義父と義母は私たち夫婦、29歳の夫の私と24歳の妻にはとても真似が出来ないほどの物凄いセックスで愛し合ったわけなのですから、熟年夫婦の二人、義父母の間に子どもが出来ない方がおかしいと思えるくらいだったのです。
義父と義母が繰り広げた52歳の男性と46歳の女性によるものだとは思えないあまりにも激し過ぎるセックスを目にした私には、二人が精神的にも肉体的にも実際の年齢より遥かに若々しい事がよくわかったのでした。
46歳という世間一般では出産がかなり困難だと言われている年齢の義母でしたが、しかし、義父とあれほどまでの激しいセックスをした若々しい肉体の持ち主の義母にはまだ十分に妊娠、出産が可能であった事はそれから2、3年後に証明されたのです。
私が義父と義母の物凄いセックスを見てしまい大きな衝撃を受けたあの日から2年後、義母は48歳で妊娠してその翌年に49歳という高齢で帝王切開により女児を出産したのでした。
義母が出産した時、すでに義父はその2年4ヶ月前に亡くなっていて、私の妻も亡くなってから2年近くが経っていて、生まれて来た娘は義母と私の間に生じた子ども、和栄なのです。
人生とは本当に予測がつき難いものと言うのか、運命だったと言うべきなのか、あの日、私が義父と義母のセックスを目にして物凄い衝撃を受けた時には、まさか近い将来、義父が亡くなり私の妻も亡くなった後、義理の母息子(おやこ)、妻の母と娘の夫、義母と婿の間柄である自分たち二人、義母と私が男と女の関係になり、私たち二人の血を受け継いだ命がこの世に生を受ける事になるなどとは、義母も私もお互いにまったく夢にも思っていませんでした。

義母の膣内からペニスを抜き出した義父は、義母の体の横から左腕を背中に右腕を両足に回して抱きかかえてベッドにそっと寝かせた後、自分もすぐにベッドに上がり義母の左隣に体を横向きに寝かせると、気を失っている義母を優しく抱き寄せてお互いの体を横向きの姿勢で密着させたのでした。
「栄子ぉ・・・ 愛してるよ・・・ 栄子ぉ・・・」
義父は義母の首に回した右腕と義母の腰に回した左腕で愛する妻である義母の体をしっかりと抱いて、愛の言葉を囁きながら、愛し合った悦びの余韻に浸り、自分たち二人が夫婦として男女として強く堅い愛の絆で結ばれている事を実感している様子だったのです。
やがて、義父の口から言葉が発せられなくなって、どうやら義父も義母同様、眠りに就いてしまったようでした。
並外れた性欲と体力の持ち主であるさすがの義父も、義母とあれほどまでに激しくセックスした事により体力をかなり消耗して、精も根もすっかり尽き果ててしまい、大きな疲労感を覚えて睡魔に襲われたのだと思われます。
10
投稿者:和伸 ◆AS2jxbb5Hc
2013/10/10 08:02:56    (j.rbSIi2)
義父と義母の物凄いセックスを目の当たりにして全身を情欲の念ですっかり覆い尽くされた私は義父が眠ると、興奮が覚め止まないままの状態でそっとその場を立ち去り、妻と娘が寝ている2階の部屋に戻ったのでした。
部屋に戻ってからも私の中ではなかなか興奮が収まらず、すぐには寝つけなくて気を落ち着けようと窓際でタバコを吸っていた時、寝ていた妻が目を覚ましたのです。
畳の上に布団を敷いた寝床の枕元に置いている電気スタンドの最も暗い灯が点いているだけの薄暗い部屋の中で、目を覚ました妻は私に近づいて来て、私の只ならぬ様子に気づいて
「どうしたの・・・?」
と訊いたのですが、私は義父と義母のセックスを見た事は話さず、
「いや・・・ 何となく寝つけないんだ・・・」
と言ったのでした。
妻は女の勘で夫の私がセックスを欲している事を察し、妻もすぐにその気になって両腕を私の首に回して抱き付いて来て自分の方から私を誘ったのです。
「あなたぁ・・・」
「成美ぃ・・・」
義父と義母のセックスを見て興奮して情欲の塊のようになっていた私は妻の求めをすごく嬉しく思い、妻が抱き付いて来たのに応じて両腕を妻の腰に回して抱き寄せ、抱き合った私たち二人は薄暗い部屋の中でお互いの顔をじっと見つめ合うと、唇を合わせて激しくキスしたのでした。
寝床に戻るや否や、私たちは即座にお互いに身に着けていたものの全てを脱ぎ捨てて、あっという間に生まれたままの姿になり、仰向けに寝た妻の上に私が覆い被さって全裸の体を抱き合い、夫婦の営み、男女の行為を開始したのです。
私は普段以上に激しく妻の肉体を貪って、ほんの少し前、義父と義母が行なっていたように、女性上位のシックスナインでお互いの性感を存分に高め合った後、妻と結合して自分の中に存在していた情欲の全てを妻へぶつけたのでした。
義父と義母のセックスと同じように正常位でスタートし、その後、屈曲位、前座位、騎乗位、後背位、そして、最後は立位で交わったのです。

「ああっ! あな、たあっ! ああっ! イイッ! ああっ! すごいっ! ああっ! すご、イイッ!」
妻はいつもより何倍も激しく執拗に自分の肉体を攻め続けて来る私に、と言うか、普段のセックスでは考えられないくらいの私のあまりにも激し過ぎる異常なまでの欲情ぶりにたじたじで、何度も私より先にイッてしまいそうになったものの、私に応えて自分の情欲の全てを私にぶつけて、物凄く感じて私の目の前で歓喜の叫び声を上げて快感に満ち溢れた表情を見せながら、いつもとは比べ物にならないほどに乱れに乱れまくって、女として最高に淫らな姿を曝け出したのでした。
私たちがセックスしているすぐ隣には私と妻の間に生まれた5ヶ月の娘が寝ているにも関わらず、その時、私たち二人の中では娘の父親と母親としての自覚などすっかり消え失せていて、否、自分たちが父親と母親である事さえほとんど忘れてしまっていて、私たちはお互いにただの男と女として本能の趣くままに愛する相手を強く求め、激しく肉体をぶつけ合って、より強大な快感を欲して情欲の限りを貪り続けるセックスに飢えた獣、性獣と化していたのです。
体力と性欲の塊のような絶倫の義父と違って、体力は無論、性欲もあまり旺盛な方ではなく、男性としては明らかに義父より数段も劣っていた私なのでしたが、それでも、ほんの数十分前に目にした義父と義母の物凄いセックスにとてつもないほどの強い刺激を受けた私は、自分の持っている体力の全てを出し尽くして激しく腰を振って、全精力を注いだペニスで妻の膣内を突き破ってしまわんばかりの勢いで強烈に突きまくり続けたのです。
「おっ・・・ お、おお・・・ おおっ! おうっ! おおうっ! おおっ! 成・・・美いっ!」
妻の方もいつもと違う情欲の塊のようになった私との激し過ぎるセックスに刺激されて、最初の頃はほとんど防戦一方だったのが、途中から私のピストン運動に反応し普段以上にヴァギナに力を込めて、ペニスを食いちぎってしまいそうなほどに強く締め付けて来て、あまりにも強烈な快感を覚えた私は思わず、妻より先にイキそうになったのを何度も辛うじて堪えたくらいなのでした。
特に騎乗位でセックスした時の妻の乱れようは尋常ではなく、主導権を握った妻は夫の私を積極的にリード、否、完全に支配して普段のセックスの時には考えられないほどに大胆にガンガンと攻めて来て、膣内に咥え込んだ私のペニスを力強く締め付けながら、狂ったように激しく巧みに物凄いスピードで腰をクネクネと動かし続けたのです。
妻は私の目の前で激しい性運動を繰り返しながら、恥も外聞もなく、女性のシンボルであると同時に母親のシンボルである二つの乳房を自分の両方の掌に収めて、荒々しく鷲掴みにして握り潰してしまわんばかりに乱暴に揉みしだき、娘に飲ませる母乳を噴出させて私の体に飛び散らし、後方に反らした首を左右に何度も何度も動かして髪の毛を振り乱し、獣が叫ぶような物凄い歓喜の声を発して乱れに乱れまくったのでした。
「ああっ! あな、たあっ! ああっ! イイッ! イイッ! イイわっ! ああっ! すごく・・・ イイッ! ああっ! あなたのオチンチン、すごく、イイッ! ああっ! すごく、硬いっ! 太いっ! 大っきいっ! 逞しいわっ! ああっ! あなたのオチンチン、最高よっ! ああっ! あたしのオマンコ、すごく・・・ ああっ! 感じ、るうっ! ああっ! すごいっ! すごいわっ! ああっ! あなたのオチンチン、ほんと、すごいわっ! ああっ! こんなに硬くって、太くって、大っきくって・・・ ああっ! すごく、逞しいっ! ああっ! 最高っ! 最高よっ! あなたのオチンチン、世界一、素敵よっ! ああっ! あたしのオマンコ、感じ過ぎて・・・ ああっ! どうにか、なりそうっ! ああっ! すごいっ! すごいわっ! あな、たあっ! ああっ! すごく、イイッ! ああっ! すご、イイッ! ああっ! すご過ぎ、るうっ! ああっ! あな、たあっ!」
その時の妻はもはや明らかにいつもの妻ではなく、普段、私の前で見せている夫を気遣う優しい妻としての、娘へ深い愛情を注ぐ母親としての自分を完全に捨て去ってしまっていて、とても同じ人間だとは思えないほどのいつもの姿とは似ても似つかぬただの淫乱な女でしかなく、娘の母親である事がまるで嘘のようで、私との激しく濃厚なセックスにのめり込んでいたのです。
そうして、私と妻はお互いに他の事は何もかも忘れて完全にセックスの虜になり、久しぶりに精も根も尽き果ててしまうまで愛し合ったのでした。

ほんの少し前に見たばかりの義父と義母のセックス同様、私と妻も最後は立位で交わってイッたのです。
体力にはあまり自信のない私でしたが、義父が義母との立位でのセックスで行なったように、私も妻の体を抱きかかえて腰を激しく突き出しながら、寝床と窓際の間を何度も行ったり来たりして、自分の体力と性欲の全てを妻とのセックスに注いだのでした。
私たちがセックスしていた部屋は2階だったので、私も妻も1階の義父母の寝室に妻の体を抱えた私の歩く音が響くのではないか?と思ってはいたものの、しかし、その時の私たちにとってはそういう事などどうでもよく、お互いに最後の瞬間、男女にとっての最高の悦び、二人で味わう強大な快感を目指して自分の性欲の全てを相手へぶつけ合うばかりだったのです。
「ああっ! ああっ! ああっ! ああっ! あ、ああ・・・ ああんっ! あんっ! ああっ! あな、たあっ! ああっ! イイッ! ああっ! すごいっ! ああっ! あなた、すごく・・・ イイッ! ああっ! すご、イイッ! ああっ! すご過ぎ・・・る、うっ!」
義父と立位でセックスしていた時の義母同様、妻は私の首に回した両腕と私の腰に絡み付かせた両足で私を強く抱き締め、後方に反らした首を左右に何度も何度も激しく振りながら、快感に満ち溢れた悦びの表情を見せて物凄い歓喜の叫び声を上げて、私の目の前で乱れに乱れまくり続けたのでした。
私は義母と立位でセックスした義父と同じく、妻の腰に回して組んだ両手で妻の下半身を絶対に離さないと言わんばかりに強く引き付け、腰とペニスに全身全霊を込めて妻の膣内を力の限り、激しく突き上げ続けて、妻は私の性運動に反応してヴァギナを思いっ切り収縮させて、私のペニスを力一杯、締め付けていたのです。
妻の乱れまくる姿を目にして物凄く興奮して、妻の渾身の力を込めたヴァギナによる締め付けでペニスに強烈な快感を覚えていた私は、何度も妻より先にイッてしまいそうになったのを必死で堪えて、私たち二人の間に最後のその瞬間、イク時が来るまで止(とど)まる事なく性運動を繰り返したのでした。
私には義母をイカせた義父のような並外れた物凄い体力も性欲もなく、巧みなテクニックも持っていませんでしたが、それでも、夫として男として女としての最高の悦びを感じさせて妻をイカせる、二人で男女にとっての究極の快感を覚えながら、同時にイク事を目指して力強く腰を突き上げ続けたのです。
「ああっ! あ、おっ! あおっ! あおっ! あ、うっ! あうっ! あうっ! お、うっ! おうっ! お、おっ! おおっ! おお、うっ! おうっ! おおっ! おおお・・・ おおうっ! おおっ! おうっ!」
全身を絶え間なく襲う快感に堪えられなくなって来たのか、私に抱き付いて後方に反らした首を激しく振り続けている妻の声は、それまでの女らしい歓喜の叫び声から獣の唸りに似た悶えるような声に変わって、表情もイク時が近づいた事を示す悦びに満ち溢れたアクメ顔になっていたのでした。
妻がもう次期、イク事を察知した私は寝床の布団の上に移動し歩行をやめて立ち止まると、最後の力を振り絞って激しく腰を振り続けたのです。
「おおっ! 成・・・美いっ! おおっ! おおっ! イクか・・・? イクかっ!?」
「ああっ! あな・・・たあっ! ああっ! ああっ! イッて・・・ イッてっ!」
私の問いに答えた妻に応じて、私は腰の動きを早めて一層、激しく妻の膣内を突き上げまくったのでした。
「ああっ! あな、たあっ!」
「おおっ! 成、美いっ!」
激しく濃厚なセックスで愛し合う男女が最後に経験する最高の悦び、究極の快感、イク時、その瞬間がもう私たち二人のすぐ目の前まで迫って来ている事をお互いに肉体で感じ合った私と妻は、ラストスパートを掛けたのです。
私のペニスは妻の膣壁が擦り切れて出血してしまうのではないか?と思うほどに膣内を強烈に突きまくって、妻のヴァギナは万力で締め付けるかのように私のペニスを食いちぎってしまわんばかりに力強く締め上げ続け、全身を物凄い強大な快感に覆われた私たち二人はもうイク寸前なのでした。
「あっ・・・ ああっ! あ、ああ・・・ ああんっ! あんっ! ああっ! あな、たあっ!」
「おっ・・・ おおっ! お、おお・・・ おおうっ! おうっ! おおっ! 成、美いっ!」
そして、その時、最後の瞬間が遂に私たち二人の間に到来したのです。
「ああっ! あな、たあっ! ああっ! あた、しっ! もう・・・ もうっ! ああっ! あた、しっ! 成、美っ! 成美っ! ああっ! イ、クうっ!」
「おおっ! 成、美いっ! おおっ! おれも・・・ おれもっ! おおっ! おうっ! おお、うっ! おうっ! おおっ! 成、美いっ!」
妻と私が家中に響き渡る、否、家の外へまで聞こえそうな歓喜の叫び声を上げた次の瞬間、全裸の肉体を一つに繋げて愛し合っている私たちの全身を言葉では表わせないとてつもないほどの物凄い強大な快感が呑み込み、私と妻は男女にとっての最高の悦びを感じ合って、寸分の違いもなく二人でまったく同時にイッてしまったのでした。

「あっ・・・ あ、あ・・・っ! あ・・・ ああ・・・っ! あ・・・ あん・・・っ! あ・・・ ん・・・っ! あ・・・ うん・・・っ!」
「おっ・・・ お、お・・・っ! お・・・ おお・・・っ! お・・・ おう・・・っ! お・・・ う・・・っ! お・・・ おう・・・っ!」
イッた瞬間、私と妻はお互いの体を絶対に離さないと言わんばかりに強く抱き締め合い、自分のすぐ目の前にいる愛し合った相手の熱い吐息を感じながら、思わず、本能の趣くままに快感、満足感、安堵感の入り混じった歓喜の嗚咽を漏らしてしまっていたのです。
義父のような物凄い体力はない私でしたが、義父が義母と立位でイッてしまった直後に行なったように、私も立位の体勢のままで間を置きながら、腰を前方へ軽く突き出して妻の膣内(なか)で射精を行なったのでした。
妻は私の腰の突き出しによる膣内射精(なかだし)に反応して、私の精液を子宮に出来るだけ多く吸い取れるだけ吸い取ってしまわんばかりに、ヴァギナでペニスをキュッ、キュッと締め付け、そうして、私たちはしばしの間、射精と精液の吸い取りを何度も繰り返しながら、イッた瞬間に全身で味わった怒涛のように激しい強大な快感に代わって、イッた後に私たち二人を優しく包み込んでいた穏やかな快感に浸っていたのです。
「ああ・・・ あなたぁ・・・ ああ・・・ 熱い・・・っ! ああ・・・ あなたの射精(だ)してるの・・・ すごく、熱いわ・・・ ああ・・・ オマンコ、火傷しそう・・・ ああ・・・ 熱・・・イイッ! ああ・・・ あなたぁ・・・ すごく、気持ち・・・イイッ! ああ・・・ イイ・・・ッ! イイわ・・・っ! ああ・・・ あなたぁ・・・」
イッた後もずっと両腕と両足で私の体にしっかりと抱き付いて首を後方に反らしたままでいた妻は、私のペニスから射精(だ)されている精液の熱さによって膣壁に快感を覚え、悦びに満ち溢れた女として最高に魅力的なアクメ顔を見せながら、そう言ったのでした。
「おお・・・ 成美ぃ・・・ おお・・・ 素敵だ・・・ 素敵だよ・・・ おお・・・ 成美、最高に素敵だ・・・ 世界一、素敵な女だ・・・ おお・・・ 成美のアクメ顔、最高に素敵だ・・・ 女としてすごく魅力的なアクメ顔だ・・・ おお・・・ オマンコも・・・ 成美のオマンコも、世界一、素敵だ・・・ 最高のオマンコだ・・・ おお・・・ まだ・・・ まだこんなにおれのチンボ、締め付けてくれてる・・・ おお・・・ すごいぞ・・・ すごいぞ、成美ぃ・・・ 成美のオマンコ、世界一の名器だ・・・ おお・・・ おれも・・・ おれも・・・ おお・・・ すごく・・・ 気持ち、イイ・・・ッ! おお・・・ 成美ぃ・・・」
心地良い快感に全身を包み込まれていた私は自分のすぐ目の前で曝け出されている妻のアクメ顔を見つめて、妻のヴァギナでペニスを締め付けられながら、尚も腰を突き出して射精を続けたのです。
私には義父の義母を最高に感じさせてイカせた並外れた性欲と逞しいペニスも、イッた後に立位の姿勢で行なった膣内射精(なかだし)で義母を失神させた物凄い体力もありませんでしたが、それでも、自分が持っている力の全てを振り絞って、最後まで妻の体を抱きかかえて立ったままで射精を行なったのでした。

義母を失神させた義父と違って、私には妻を失神させる事が出来ませんでしたが、やがてペニスに溜まっていた精液の全てを妻の膣内(なか)で射精(だ)し尽くして射精を終えた私は、妻の体を抱いたままで布団の上に腰を下ろしてアグラをかいたのです。
妻は私が座ったのに伴って立位でセックスしていた間中、ずっと絡ませていた両足を私の腰から離して立膝にしたのでした。
立位でセックスを終えた私と妻は座って向かい合った前座位の姿勢になり、セックスと射精が終わっても、すぐにはヴァギナからペニスを抜かないでしばらくの間、お互いの肉体を一つに結合させたままでいて、私は妻の腰に回している両腕を引き付け妻は下半身を私の方に押し付けて、立位でセックスし始めた時からずっと私の首にしっかりと巻き付けている両腕を離さないでいて、私たち二人は全裸の体をピッタリと密着させて強く抱き合っていたのです。
お互いに全精力を愛する異性とのセックスへ注ぎ、激しく肉体をぶつけ合って情欲の限りを貪り、精も根もすっかり尽き果ててしまうまで交わって体力を出し尽くしたので、二人とも体がくたくたで、私も妻も「はー・・・ はー・・・」と荒い息を吐きながら、目の前にいる愛しい相手、自分と愛し合ったばかりの伴侶の顔を無言でじっと見つめて、快感の余韻に浸り大きな満足感を覚えて、男女の悦びを感じ合っていたのでした。
荒い息を吐きながら、夫の私を見つめていた妻は官能に満ち溢れた悦びで一杯の妖艶な目をしていたのです。
「成美ぃ・・・」
「あなたぁ・・・」
しばしの時間、無言でお互いの顔を見つめ合っていた私と妻は荒い息が収まると、ようやく口を開いて愛する相手を呼び合ったのでした。
「素敵だよ、成美・・・ 本当に素敵だ・・・」
「あなたもすごく素敵よ・・・ 最高に素敵だわ・・・」
妻は本当に幸せに満ち足りた表情をして私の顔を嬉しそうに見つめて、私は最高の幸福感を覚えていたのです。
「成美ぃ・・・」
「あなたぁ・・・」
お互いを呼び合うと、私たち二人はどちらからともなく、磁石で吸い寄せられて行くかのように自然な形で唇を合わせて、相手の唇を飲み込んでしまわんばかりに強く吸い付き合って、息が詰まりそうなほどに激しく濃厚にキスしたのでした。
「おお・・・ 成美ぃ・・・」
「ああ・・・ あなたぁ・・・」
吸盤のようにピッタリと一つに合わさって、絶対に離れないと言わんばかりに強く吸い付き合っている二つの唇の隙間から、悦びの声を漏らす私と妻はお互いに両腕に力を込めて、愛する伴侶の体をしっかりと抱き締めていたのです。
「おお・・・ 愛してる・・・ 愛してるよ・・・ 成美ぃ・・・」
「ああ・・・ 愛してる・・・ 愛してるわ・・・ あなたぁ・・・」
私と妻は身も心も完全に一つになっていて、お互いに自分たち二人が強く堅い愛の絆で結ばれている事を感じ合っていたのでした。
全裸の肉体を一つに結合させて抱き合ってキスしている私たちのすぐ隣の布団では、私と妻が愛し合って結ばれた証、男女の愛の結晶としてこの世に生を受けた生後5ヶ月の私たち二人の娘である和美が、すやすやと安らかな寝息を立てて眠っていたのです。
隣で父親と母親が行なっている事によって自分が生まれて来たなどとは露ほども知らずに。

自分たち夫婦、夫と妻、和伸と成美、二人の愛は永遠に・・・
その時の私と妻はそう信じて疑わなかったのでした。
その7ヶ月後、強く堅い愛の絆で結ばれている男女である私たち二人の間に、永遠(とわ)の別れが来るなどとはお互いに夢にも思っていなかったのです。
そして、その日から1年後の夏には、私と全裸の肉体を一つに結合させて男と女として愛し合っている相手の女性は妻の成美ではなく、妻の母、義母の栄子で、女としての悦びを感じさせて義母をイカせている男性は義母の夫である義父の武志に代わって、娘の夫、婿の私になっているなどという事も。
24年前のその日、同じ家の中で夜中に激しく濃厚なセックスを繰り広げて愛し合った二組の男女、夫婦、義父と義母=武志と栄子、私と妻=和伸と成美。
それから1年後の夏、1年前のその日に愛し合った男女のカップルの双方が伴侶を亡くしていて、残された二人、夫を亡くした妻と妻を亡くした夫である義母と私、栄子と和伸は男と女の関係になっていたのでした。
その1年前に同じ屋根の下で義父と愛し合った義母と妻と愛し合った私、義母と婿の間柄だった私たち二人が、1年後には男と女として激しく濃厚なセックスで愛し合っているなどとは義母と私は無論、亡くなった義父も妻も結婚して家を出ていた義妹=妻の妹の幹恵も、誰一人として考えてみた事もなかった、否、想像さえ出来なかったのです。
後に義母は婿の私の子どもを妊娠して娘の和栄を出産し、私たち二人は内縁の夫婦として生きて行く事にして、私と妻の間に生まれた娘の和美と四人で暮らして来ましたが、運命のいたずらとでも言うべきものなのでしょうか・・・

翌朝、私と妻は前日の晩(厳密には当日の未明)に行なった激し過ぎるセックスの為、起床してからしばらくの間は体に疲労によるだるさを覚えていたものの、ところが、義父と義母は私と妻のそれよりもっと激しいセックスを行なったにも関わらず、二人ともまったく疲労感が漂っていないいつもどおりの顔をして朝を迎えていたのです。
夜中に獣のように激しく愛し合っていた事がまるで嘘だったかのように、普段の気さくな義父と明るい笑顔の優しい義母に戻っていて、セックスしていた時に見せていた淫乱な男女の姿など微塵も感じられなくて、とても同じ人間だという事実が信じられず、私が目にした出来事は夢だったのではないか?と思ったくらいなのでした。
その朝の義父は私の目にいつも以上にすごく男らしい姿として映り、並外れた性欲と体力を駆使してあれほどまでの物凄いセックスで義母を感じさせてイカせた絶倫の義父は、私にとっては目標とする理想の男性になったのです。
キュートな顔立ちで痩せ型の体をした小柄な義母の姿も私には普段より何倍も輝いていて、それまでとは比べ物にならないほどの美しい魅力的な女性に見えたのでした。
無論、その時の私はまだ義母を異性として意識する事などまったくなく、飽くまで妻の母、義母としてしか見ていなくて、ましてや1年後には自分と男と女の関係になっていて、2年後には内縁の夫婦に、3年後には私たち二人の間に子どもが誕生していて、24年後の今日(こんにち)に至るなどとはとても考えが及ばなかったのですが。
日常生活で見せている姿とは打って変わった淫乱な男女になり、見ていて物凄く興奮してしまった激しい濃厚なセックスで愛し合った義父と義母は、私と妻にとっては理想の夫婦でした。
私が義父と義母のセックスを見て欲情して妻とセックスした直後、妻から聞かされた事なのですが、妻は16歳、高校2年の時に初めて両親のセックスを見てしまい、私と同じように物凄いショックを受けたのです。
しかし、その後、何度も見て行くうちに妻の目には両親のセックスが次第に美しいもの、男女の愛の行為として映るようになって来て、妻は両親が行なっている夫婦の営みを将来、自分がセックスする為の参考にするようになったのでした。
両親のセックスを見て学んだ事を参考にして、妻は結婚前から私とセックスして来たのです。
妻にその話を聞かされてから、私と妻は少しでも義父と義母のセックスの領域に近づけるように、以前以上に激しく濃厚なセックスで愛し合うようになったのでした。
それから1年後、あの夏の日、世間の大多数の人間が眠りに就いていた真夜中の時間帯に、一つの屋根の下で二組の夫婦、義父と義母、私と妻が激しく濃厚なセックスで愛し合った家で、まさか1年前のその時にはただの一度たりとも考えてみた事がなかった、否、想像さえ出来なかった男女、禁断の組み合わせ(カップル)による愛と情欲の生活が繰り広げられているなどとは、誰一人として夢にも思っていなかったのです。
義父も、妻も、そして、“義母と私”も・・・
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投稿者:啓太郎
2014/11/16 21:47:37    (rL.459PL)
俺38歳、義母53歳×1、彼女の娘が俺の妻で4歳の娘あり。
妻は2年前事故死。娘は祖母が養育し、俺は週末等時間の許す限り娘に会いに行く。
いつまの1周忌を済ませたあと娘、義母、俺と同居。
ある時義母が寝ているとき、愛をささやき体を求めたがやんわり拒否された。
そのごお互いなんとなくこまづくなったが、我慢できず彼女を抱きしめた。
あとは拒否することもなく受け入れ、性交渉もむしろ積極的に。
今では強く愛し合うようになり、夫婦のような生活。
居を変えてマンションで3人暮らし。
香のぞは生理も終わり、いつも激しく性交,中だし。
夫婦になれないだけに激しい恋心と切なさもある。
彼女はなくなった妻より綺麗で色白、優しい。
今彼女を抱けなくなったら気が狂いそう。

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