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2026/01/02 02:54:17 (vkhOWISu)
物心がついてから、母の裸を見たのは、ずっと1度だけだった。それは中学生の頃、家族で旅行して、その旅先のホテルでユニットバスから上がった母が、こちらに背中を向けて体を拭いているのを見たとき。後ろ姿しか見えなかったが、細身のあまりのスタイルの良さと尻の形の良さから、その姿が記憶に鮮明に残っている。

次に母の裸を見るチャンスがあったのは、高校3年生の終わりに2人で上京した時。私は疲れて夜にすぐに眠ってしまったが、母は夜遅くにユニットバスでシャワーを浴び、浴槽内で突然意識を失って倒れた。寝ていた私は浴室から大きな音がしたのには気づいたが、特に何かを確かめようともせず、そのまま眠ってしまった。翌朝、母から、なぜ助けに来なかったのかと聞かれ、もし助けに行っていれば、母の裸この目で見ることができたのにと思った記憶がある。

しかし、この時はまだ母を性欲の対象とは見ていなかったのだろう。女として強く意識したのは、大学生になってから。帰省するたびに、母の寝室からパンティを取り出して、母が履いている姿を想像して自慰をした。茶色系の地味なものが多かったが、クロッチの辺りにはシミのようなものもあった。また、寝室の引き出しの奥には、普段の母の清楚な姿からは想像できない、いやらしいパンティーが何枚か出てきたことを覚えている。ほとんどお尻を覆うことができないような紐パンとか。父の前では、こんなパンティを履かされているのだと、母の別の顔を見た気がするとともに、父が羨ましかった。また、両親のベッドには常に掛け布団が敷かれていて、そのベッドで自慰をしようと母の紐パンを持って掛け布団をめくると、シーツに激しく濡れた跡形があった。あの形状からして、父のものではなく、母の体内から溢れた愛液であるとしか考えられなかった。おそらく母は、あのベッドの上で裸で股間を大きく開脚させられ、クリトリスなどを父に執拗に触られるか舐められ、秘部から愛液が止めどもなく溢れ出て肛門を伝ってシーツを汚したのではないかと、容易に想像がついた。母は、父と旅行に出かけることが稀にあったが、そのたびに、母は旅先のベッドの上でいやらしい下着を身に付けて、私が見たこともないクリトリスや陰唇をきっとなされるがままに父に曝け出し、父に激しくあの体を貫かれて処刑されているのかと、想像をかき立てられた。

両親の昔の写真アルバムを見ると、母が私の手をつないでワンピースの水着を着て、ピーチを歩いている写真があった。そして決してハイレグ水着ではなかったのに、母の右側のお尻が水着から大きくはみ出していて、それが写真に収められていた。

それからは自分に彼女ができたこともあり、母を女として意識することはほとんどなかった。そして、母が65歳位のとき、突然思い立って母親のタンスを久々に探ると、普通のパンティは出てこれど、前に見た紐パンのようなセックスの時に使っていたであろうパンティは見つからなかった。父とはもう交わっていなかったのだろうか。

そして、夢の実現に向けた物語は、ここから始まる。まさか、両親がセックスを重ねたベッドの上で、母に下半身に一糸もまとわぬ姿で脚を開かせ、頭の中の想像でしかなかった母の股間を、自分の両手の親指で大きく開き、クリトリスをむき出し、止めどもなく溢れる愛液を舌で舐め回すことになろうとは。熟女AVに目覚め、近親相姦系の作品を本を見ていた僕は、母親を犯したくてたまらなくなった。そして、帰省中、母が風呂上がりで寛いでいる時に、突如、セックスをさせてほしいと、ストレートに切り出した。その瞬間の母の表情を、忘れることはないだろう。母は寝室のベッドの上に移動して行為が始まって終わるまでの間、ずっと泣いていた。
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投稿者:(無名)
2026/01/02 03:17:18    (WnoB1jzc)
ちなみに、このとき最後までは行っていない。私からの衝撃の告白の後、母は必死の抵抗を試みた。しかし、私の意思が固く、何もしないままに終わる事はないと悟った後、約束事として、先に母が寝室に上がって下半身裸にしてベッドで待っていること(要は、息子に脱がされるのを避けて、さっさと終わらせたかった)、行為は下半身を触って舐めるところまで、上半身は脱がないし、挿入は絶対にダメ、ということにしたから、それは親子関係を破壊しないようにしっかり守った。ただ、時間に制限はなかったので、母の股間と中学時代に見た憧れのお尻を1時間以上にもわたって好き放題おもちゃにし、シーツは主に母の愛液でぐしょ濡れになっていたことを覚えている。あの濡れ方は、今までに抱いたどの女よりも激しかった。ただ、小陰唇のビラビラは母の普段の姿とは似つかわしくなくとてもグロテスクで、指を挿入したときの締まり具合は、濡れすぎていたこともあるのか緩かったので、名器とは言えないのだろう。射精しないように我慢するのも大変だった。肛門をどうするかは事前の約束事には入っていなかったが、母を四つん這いにさせて、両手で尻を開いて、肛門を舐めようとしたときに、絶対にやめてと言われたので、それ以上は思いとどまった。
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投稿者:(無名)
2026/01/02 03:53:35    (7XANeold)
ろくでなしの君に乾杯!
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投稿者:(無名)
2026/01/02 04:15:52    (SoeCYycA)
もう一つ、事前の約束事に入っていなかったのは、撮影。行為を始めて間もなく、携帯で母の股間を撮ろうとしたら、これも強く拒まれた。

しかし、翌昼に自宅に帰るとき、墓場まで持っていく秘密として、母に股間の写真を撮らせて欲しいと改めて頼んだら、意外なことにOKしてくれた。夜中にさんざんにおもちゃにされたことで、もう隠すものがないと思ったのか。寝室のベッドはシーツの下までぐしょ濡れだったので、母は「ここでいい?」と、食卓横の和室に三角座りでパンティを脱ぎ、ロングスカートを捲り上げて、両膝を立てて閉じたまま仰向けに寝転がった。さすがに自分で股を広げる事は躊躇があったのだろう。僕は母の両脚を開き、母に自分の両手で膣を広げるよう求めた。クリトリスも皮を剥かせて。グロテスクな小陰唇と、クリトリスと、ぽっかりと開いて中に愛液が光る膣口、そしてそれらを広げている母の指。これらをフラッシュを焚いて撮影した。これぞ正しく家宝。あれから10年経った今でも、ほぼ毎日のように画像を眺めては自慰を行っている。
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投稿者:(無名)
2026/01/02 04:51:51    (SoeCYycA)
結論を書くと、母は5年前に他界した。

脳梗塞になり病院で療養生活を送っていたが、一時帰宅制度で自宅に3日間連れ帰ったとき、もう最後だからということで、決して強制ではなく、完全な同意を得て、母と交わった。母は、体が不自由だったので、僕になされるがままだったけど、母を布団の上で全裸にして全身を一通り舐めた後、膣は十分に濡れていて驚くほどスムーズに挿入できた。もちろん、挿入前には再度母の意思を何度も明示的に確かめた。本当に入れてもいい?後悔しない?と。母は、頷いて、いいよ、と繰り返した。母は泣いていなかった。

母の膣は、締まりがもう殆どなく、ゆるゆるであった。ずっと憧れていた母を遂に犯しているという興奮から、一時的に、病人に対する配慮よりも、自分の本能が勝ってしまい、根本まで母の膣に包まれた時は、一度だけ、思い切り腰を動かして突き上げてしまった。あの時の母の絶叫は、忘れられない。そのあと正常位で腰を優しく動かしながら体を重ねている際、母は僕の背中に腕を回してくれた。僕は、母の体内に入ったまま、母の乳首やもうほとんどフラットな乳房、首筋を丁寧に何度も舐め回した。何度も何度も交わり、その都度、母の膣の中に射精をした。病院に戻った後、看護師さん達にはきっとばれていただろう。

そしてこれも母の完全な同意を得て、母の身体を隅々まで、動画と静止画で撮影した。全裸でうつ伏せにして撮った全身姿は、中学生の頃に見た全裸の後ろ姿とは、似ても似つかぬものだったが、それでも撮っておいて、本当に良かったと思っている。病院に戻る前の最後の挿入は、母の同意を得て、2人の性器の結合が結合する瞬間を含めて、動画で撮影した。
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