2022/09/18 15:04:51
(DWuvz5ij)
生みの親と連絡を取る事に怖さもあったのですが、探偵を通じて
「私と会う気があるか?」を確認してもらったところ、最初は強硬
に拒んだそうです。「捨てた自分に、会う資格がない」というのが
理由。でも、何度も交渉した結果、「謝りたい」という理由から
会ってくれることになりました。
生みの親が住んでいたのは、九州の田舎町。若くして亡くなった親
(私からすると祖父母)が、大昔に住んでいたのが理由のようで
す。「父親がDVということで離婚し、私を捨てた」ということか
ら、「無秩序な生活を送っているんだろう」と勝手に想像していた
のですが、「実の父親と離婚してからは再婚することもなく、中学
校で理科系の教師をしている」と聞き、意外に思ったものです。
会ってもいいということになってからは、私が電話で直接話をし、
休みの日を利用して九州まで足を運びました。当時の生みの母は
53歳。今の私よりも5歳若かったんですね。事前に写真などは貰
えませんでしたので(やはり、私を捨てたという後ろめたさがあ
り、一度会って終わりにしたかったそうです。なので、写真が私の
手元に残るのもいやだったとか)、待ち合わせ場所に「お互い決め
た格好(服や持ち物)」で待つという事にしたのですが、待ってい
たのは53歳には見えない若さの女性。ぱっと見は40代半ばと
言ってもいい感じでした。(後になって母からは、中学生と日常的
に接しているので、わかく見られることが多いのかと言っていまし
たが)
「関係ない人だろう」と思って周りをきょろきょろしていると、そ
の女性が寄って来て「〇〇?」と私の名前を呼んだ。そう、彼女が
生みの親でした。私には特に湧いてくる感情はなかった。何しろ生
みの親の記憶が全くないのですから。でも、母のほうは私に幼き頃
の面影が残っていたようで、「ごめんなさい」と何度も誤り、泣き
じゃくっていました。
バツの悪さもあり、とりあえず近くの喫茶店に入り、色々話をする
ことに。育ての親から聞いてはいましたが、実の父親のDVは常軌
を逸したレベルで、「離婚するのも当然だな」と思いましたが、だ
からといって私を捨てた事にたいする不快感はありました。「学校
の先生だったら、それなりに育てられたのでは?自分勝手だよ」と
いう思いがぬぐえなかったからです。
でも、1時間半ほど話しているうちに、不快感が少しづつ消えて
行った。私を捨てた後、再婚もせずに必死で生きて来た母の半生が
わかったからです。
翌日に仕事もありましたので、その日の内に家に戻りました。もう
会う事もないだろうとは思ったけれど、お互いに連絡先を交わし
て。帰宅して育ての親に詳細を話し(育ての親は、生みの親に会っ
たほうがいいと言ってくれていましたので、会う事は事前に言って
ありました)、育ての親は「会えてよかった」と涙。その姿を見て
「この人たちに育てて貰って本当に良かった。私の親は、この人た
ちだけ」という思いを強くしました。
仕事に忙殺されていたこともあり、生みの母のことを思い出すこと
もなく、半年近くが経った頃です。ふっと生みの母のことを思い出
しました。鬼畜と言われてしかたないのでしょうが、若い見た目の
母に、女としての思いが湧いたのです。決して美人ではない母です
が、学生時代に付き合っていた彼女とどこかしら似た雰囲気があ
り、また巨乳系が苦手な私にとって、程良い胸の膨らみが記憶に
残っていたのでしょうね。「自分自身のおぞましさに、何とか忘れ
ようとした」のですが、そう思えば思う程、生みの母のことが気に
なってしまい、想像して抜いてしまった。