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2014/06/18 06:41:23 (.XBfACyA)
このサイトは、99年頃から観ています。
初めて投稿します。
最近までトラウマになり苦しんだ時期もあったんで。
昔から、大人の性を見る機会がかなりありました。
幼稚園の頃、公園の隅でBの手前までしてるカップルを偶然見たり、友達の家から外に遊びに出掛けた際に、忘れ物をして取りに戻ると、着替える途中の下着姿の友人の母親と出ぐわしたり。
家が割りと裕福なのもあり、小学生の時には、裏の敷地内に建てた女子大生用のハイツに預かっている荷物を届けに行った際に、子供と言う事で油断からか、胸の谷間がバッチリ見えるネグリジェ姿や時には、部屋の中にに干してあるブラやパンティを隠さずに部屋まで通されたり、Tシャツに下はパンティだけで、荷物を笑顔で受けとる子なんかもいました(笑)
谷間を見つめたり、後ろを振り返る際にパンティ越しにお尻に触れたりしても怒られず、大家の子供と解っているからか?笑顔で対応されてました(笑)
そんな日常に頻繁にあると、エロに目覚め、2、3年生の頃から月刊誌に連載していた、○○騎士や○ダイアリーなんかを内緒で見てはドキドキしたり、母親の女性週刊誌の袋とじのsexの手解きなんかを覗いて喜んでました(笑)
そんな自分にトラウマがあったのは突然で、当時、四年生の終わり頃まで母親がバツイチで、母と祖父母と暮らしてました。
ある日の夜中です。
夕方から母が昔からの母の友人と会う予定があり、出掛けていませんでした。
いつもなら、夜には帰るんですが、その日は遅く知らぬ間に部屋で寝ていて起きてもまだいませんでした。
俺は、部屋から抜け他の部屋にいる祖父母に母がまだかな?と問いに行こうとしました。
2階に上がる階段のある部屋を通る途中に、それまで聞いた事もない女の声、悲鳴なのか何なのか解らない声が2階から下まで聞こえました。
「あっ!あっ!ああん!あーん!」。
強烈に胸が締め付けられ破裂しそうな感じ、今でも忘れません。
「あん!あん!あん!痛ーい!痛ーい!」
「いいっ!あん!いいっ!もうっ!」
幼稚園の年少の頃、夜中に目が覚めたら当時の父親と母が大喧嘩をしていました。
以前から元父親は俺に愛情がなく、度々罵られ殴られました。
何度も目が覚めた時には、大喧嘩があり、ある日、年少にして、「どちらと暮らすか決めなさい。」と母に問われ、母を選ぶと元父親に「子供なんかヤレば直ぐに出きるからいらんわ。」と言われ、夜中に母と二人で着のみ着のまま手を引かれ当時のアパートを出て、タクシーに乗り二人で泣いて、寝てしまい着いた場所が祖父母の家でした。
その体験は、今でも映像で頭にこびりついています。
それから、母と子の暮らしが始まり、時々泣く母、時折、俺を抱きしめたり、パジャマ姿で「お母さんの事を愛してる?好き?ずっと好きでいてくれる?」と問われ続けながら大きくなり、時には、2年生の頃に、寝ている母にパンティの上から触ったり、上をまくりあげ、胸を揉んだり、吸ったりもしました。
そんな時に、「お母さん好きだ、好きだ」と繰り返しながら夢中になり呟くと、母も気づいても怒らず、好きなだけ触らしてくれたり、時折、息が荒くなったり、少し声が漏れたりしてました。
そんな関係性があると、4年生の頃には、母は俺が守るんだと。母が大好きでした。
そんな俺の母が2階の部屋の中から、悲鳴とも悦びとも解らない声を一階まで漏らす。
離婚の時の心臓の破裂しそうな怖いような何なのか解らない感じが甦り、同時に男の本能からか興奮を覚え、下から聞いていました。
その時に、祖母が部屋から来て俺に「上がったらあかん!聞いたらあかん!」と必死で言いました。
俺は、その声が何が原因で、どんな状況か見たく、知りたく猛烈になり、振り切って階段を上りました。
上がる間、部屋に繋がる床を歩く間も、その何とも言えない母の声は続き、ドンドン無性に怒りと震える程のドキドキが続き、部屋の引き戸を思いっきり開けました。
見ると、部屋は豆電気て解りますかね?(笑)
それのもう少し明るい状態でした。
以前から何度か会う機会があった母の友人の母より年上の男が母の後ろに足を前に出す形で座り、その上にパジャマの上をまくりあげられ、おっぱいを出した状態で足首にはパジャマの下があり、パンティ姿で股間の部分には、その母の友人の男の手がある。
今考えると、胸を弄られながら、パンティ越しや、ずらして、あそこを弄られて喘ぎ声を出したんでしょうね。
俺は、固まりましたが、大声で「お母さんも、おじさんも嫌いだ!大嫌いだ!」と無意識に何度も叫びました。
部屋を飛び出し怒りとショックで下に降りようとする俺を母は、パンティ1枚で上だけ着た状態で階段前で後ろから抱きしめ、「ごめんなさい。ごめんなさい。許して。ごめんなさい。」と何度も言いました。
もうパニックでした。
俺は、夢なら覚めてほしいとか心の中で呟き続けてました。
それでも、好きな母に抱きしめられ謝られ次第に落ち着きました。
そして、母に手を引かれ下に降り、二人で寝る事になりました。
ですが、暫くすると衝撃の一言を母が。
「おじさん、今上で凄くあなたに対して後悔してる。私もおじさんもお酒を凄く飲んであんな事をしてしまった。それは本当にごめんなさい。」母から初めて謝られた瞬間でした。「でも、おじさんは今上で一人で凄く悲しんでる」「だから、おじさんも下に降りてきてもらって良い?布団を引いて一緒に寝てもらうから、その前に謝るのを聞いてあげてほしいし、許してあげてほしい。」
今、考えても信じられない衝撃の一言であり、考え方です。
我が親ながら、最低な母だと瞬間的に思いました。
今でも、許せない出来事で提案です。
何たって、祖父母も思春期の息子もいる家に、男を連れ込んでヤロウとしてた訳です。
下まで喘ぎ声を響かせてね。
大好きな母から、大嫌いな母に変わった瞬間です。
その日、結局、母はおじさんを下に降りてこさせ、母と俺が同じ布団で、おじさんは別の布団に入りました。
寝る前に、おじさんは土下座して俺に謝りました。何度も何度も。その時にはね(笑)
何故、その時にはね(笑)て書くのか、それは、そこから半年程で俺の父親になり、大嫌いな母と大嫌いなおじさんではなく、大嫌いな父親になったからです。
俺は、小さい頃にいらんわ。と言われ捨てられた子供。
おじさんにも別れた女との間に俺と変わらない年の2歳差の息子がおり、違ったのは泣く泣く親権が女側にあり別れた事。
そして、俺の父親になってからも、前の息子に手紙やプレゼント、数々の接触をしていた。俺には誕生日に「誕生日って何や?おめでとう。言うたら終わりやろ。」と言い放ち、前の息子には誕生日や会う度に好きな物を買い与え、電話で何が欲しいか聞く始末(笑)おまけに酒癖が悪いときたら、長年に渡り、確執と軋轢、時には、殴りあい、まあ入れ歯にしてやったが恨みを晴らす為です。
細かい話は、この掲示板にそぐわないんで書きません。色んな軋轢や確執の日々は、みなさんが想像してください。
ちなみに、今の父親との再婚前に俺は、母に急激に興味と欲求が沸いた性欲を晴らす為に、限りなく近親相姦に近い内容をお願いし、提案を母も再婚の為に呑みました。
そして、後から考えたらあり得ない、母からのお話も(笑)
それは、子から見たとは主旨が違うんで、近親相姦体験談に記憶の限りあるのを書きます。それがきっかけ、今回の目撃がきっかけで、年上の女との体験の数々も主旨にあう掲示板に書きます。
長々とごめんなさい。



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3
投稿者:ぺったん
2014/06/18 21:07:32    (McuZxU0M)
としさん、読んでくれてありがとうございます。
続きは、近親相姦体験談に載せます。
悩んでいた時期は思い出したくなくても、ふと、思い出す事が多かったんで書くのも嫌でしたが、その後、様々な年代の女性との性交を経て気持ちが軽く整理がつきました(笑)
それも、それに沿う掲示板に書きます。
2
投稿者:とし
2014/06/18 12:13:46    (6CHHM8zx)
ヘビーな体験、興味津々で読ませてもらいました。
>>限りなく近親相姦に近い内容をお願いし、提案を母も再婚の為に呑みました。
そして、後から考えたらあり得ない、母からのお話も
ぜひ聞きたいです。よろしくお願いします。
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