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継母と父のこと

投稿者:無名人 ◆nmJei1N6Go
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2013/09/14 23:18:59 (OwkG3KFB)
わたしが小学生の時、生母が病死してその前後からわたしの世話をするために母の妹が家にきてました。最初のうちはわたしの身の回りの世話をしてくれて、夕方には帰っていましたが、そのうちに寝泊まりするようになりまだ幼かったわたしと寝てくれるようになりました。冷え性のわたしの足首を太ももで挟んで一緒に寝るのは至福の時間でした。そのうちに抱き合って寝るようになり、叔母の浴衣の前がはだけると、叔母の股の間にオチンチンを挟むような格好になり、何ともいえない気持ちの良さになってしまってやみつきになり、毎晩一緒に寝るのがやめられませんでした。
ある晩、夜中に目が覚める一緒に寝ているはずの叔母がいません。手洗いかな?と待っていても戻ってこないので階下の手洗いまで見に行ったのです。一階には父の仕事場があり、いつも夜遅くまで机に向かって書き物をしたり、ガリ版をきっていました。父は中学の教師をやっていたので夜中までいつも何かやっていて寝るのもその部屋で寝ていました。その部屋から父と叔母の声がしていました。「あ、あ、あ、、、、あっ、、イイッ」「ミサちゃん、、、いいか」「グスン、グスン、好きよ」
飼っている猫が空けた隙間から覗くと下半身をあらわにした父が四つん這いになった叔母のお尻をまくり上げ、後ろからヘコヘコやっているところでした。見てはいけないものの遭遇したという興奮と、父にばれたら、、という恐怖が混じった気持ちでした。叔母の白い豊かなおしりに父の毛むくじゃらなおしりがピッタリくっつき、うごめいているのだけははっきりわかりました。もっと見ていたかったのですが、急におしっこがしたくなってきたのですが階下へおりてきていることがばれてはまずいと思い、二階に戻り、窓をほんの少しだけ開け、そこからオチンチンを突き出して瓦の上に放尿しました。
小一時間して叔母は二階に戻りわたしの隣に入ってき、いつものように抱いてくれました。「おや、ずいぶん冷たいね」ともらしながら抱いてくれました。わたしは寝たふりをしていましたが両脚で挟んでくれた時、叔母が下半身に何も履いてないのにすぐ気づきました。ざわざわとした股間の恥毛がわたしのオチンチンに触ったので気づいたのです。
わたしが生まれてからずっと母は入退院を繰り返していたので父にとって男の欲望を満たせなかったと思います。そこへ若い肉体が、といっても三十過ぎですが、身辺近くに居続ける、それも泊まり込みでとなれば、性交渉に及ばない方が却っておかしいともいえます。母の一周忌がすんで間もなく、叔母はわたしの継母になりました。父にとっては堰が切れたように健康な肉体を持つ叔母を抱いたのでしょう。継母はわたしが寝付いた夜半、そっと抜け出し、階下へそっと降りてゆくのを布団の中から見送っていました。もちろんわたしは時々覗きました。大抵、ふたりとも下半身だけ脱ぎ捨て
卑猥な言葉でいえばヤリまくっていました。昼間の面倒見のいい主婦とは思えないほど積極的に父の求めに応じ、求愛行動に反応していました。ろくな性生活を営んでいなかった父をリードしていたのかも知れません。ただ、ことの終わった後必ず二階のわたしの布団に戻り、一緒に寝る習慣は変わりませんでした。多分それが母としてのわたしとの絆作りだとおもっていたのかも。父とも性交渉の後の継母の股間に挟まれていると考えなくてもチンポが勃起してしまい、もう一緒に寝てくれなくてもいいよというべきか、迷いました。しかし、継母の股間に挟まれて寝る心地よさは捨てられないし
そんなある夜、いつものように継母と寝ていると、母の手がわたしの股間をまさぐり、チンポを優しくさわさわし始めました。毛も生えてないし、包茎ですが間違いなく亀頭が成長し始めているわたしのチンポはその気持ちよさにたちまち硬く立ち上がりました。寝返りを打ってそらすことだって出来ただろうけど、その心地よさに寝たふりを続けていると、母の手は皮を被っている亀頭を露出させようとしごきはじめました。痛い!すごく痛い、、、けど、母の手に身を委ねているとそれさえ耐えられないほどのマゾ的な快感、と思っていると、継母は硬くむけ返ったチンポを股で挟み、くねらせ始めました。多分今思うと、父との性交渉の余韻がまだ醒めていなかったのでしょう。後年わたしが妻との性生活を何年か経験したとき、女性は発情した時、内股をすり合わせる仕草をすることに気づかされてからこのときの継母の気持ちを推し量ることができました。よく妻はしたくてしたくてたまらなく自分からわたしのとこに入ってくる時、同じ仕草をしていました。おそらく父との性交渉で不満足のままで射精を迎えてしまったのか、ことの途中で父が萎えてしまったのか?継母は股ぐら深くわたしのチンポを挟み、腰をくねらせます。射精こそしませんでしたが、何ともいえない快感が股間の奥を突き抜けました、ここまでくると寝たふりも出来ず、寝返りを打って背を向けました。明くる朝、継母はいつものように朝飯を用意し、一日が始まりましたが、、、その晩から継母は父の部屋で寝るようになりました。
多分男になりつつあるわたしに危険を感じたのではないかと、その晩から包皮をむいても痛くなくなりました。




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投稿者:無名人 ◆nmJei1N6Go
2013/10/05 21:23:58    (VehTa4Vl)
寝物語に継母と話したのですが実母と父はわたしが生まれてから夫婦生活をしていなかったらしいのです。わたしが生まれたので妻の義務は果たしたと考え?父を寄せ付けなくなったらしく実母の両親に相談をしに来たのを聞いたというのです。
そのことで継母は父に同情?したらしくその辺から体の関係ができたらしいのです。(継母はそうはいいませんでしたが)据え膳を食わぬは男の恥というか、わたしの世話を口実にひとつ屋根の下で夜を過ごすのが続き、同じ家の風呂を使う姿を見れば父がいかに堅物でも男女の関係になるのは当たり前というか、、、、

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投稿者:無名人 ◆nmJei1N6Go
2013/10/01 21:43:53    (0FcUskAL)
いま思うと実母より継母の方が母親らしかったような気がする。いまでもはっきり覚えているのは多分五歳くらいの時実母と湯船に入っていた時乳房に触ろうとして払いのけられたこと。もう乳離れしていたので拒否したのだろうが悲しかったことを覚えている。継母は十歳になりかかっていたとき一緒に寝ていた時にも乳房に触っても「オッパイ飲んでもいいよ、出ないけどね」と笑っていました。アサガオのつぼみのようなチンポを継母の股にはさまれて顔はオッパイにうずめて幼少の時味わえなかった至福のときを過ごしました。そして一人暮らし時代はひと月かふた月に一度継母がやってきてその晩継母の腹の上に乗り、、、、、溜まりにたまった精液を母の膣にぶちまけました。そして母は母なりに女体の悶えを癒したのかも。
布団の中でわたしのナニを握りながら(若いっていいねえ。ボクのお嫁さんになるひと大変だねえ、こんなんで毎晩されたら死んじゃうよ)と冗談めかしてつぶやいていました。もう五十になる父のナニと早漏だけども勃起盛りの硬く逞しいわたしのナニを比べていたのかもしれません。母には悪かったけれど、射精しても射精してすぐ回復し、したいだけさせてもらった身勝手な人間でした。

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投稿者:無名人 ◆nmJei1N6Go
2013/09/26 22:55:49    (N29fHORN)
男というものは女の人と交わると度胸がつくというか、そんな感じになります。継母に指導されて男としての仕事?をしてから(おんなのひとと一人前にできるのだ)と思うとあまりおどおどしなくなったような気がします。銭湯へ行っても前はこそこそしていたのですがそれからは全裸で鏡の前に立って己のものを堂々と観察できるようになりました。
それでも継母とは男と女の関係で寝るという意識より、子供の頃のまま同衾してやり始めると男と女になるという感じでした。継母は股ぐらに三本目のチンポを迎えいれた訳です。最初の夫、出戻ってから再婚して父と、そしてわたしのもの。三十させ頃、四十し頃とかいいますが、女の体の熟れ時だったのだとおもいます。四十三歳でした。全体に太り気味になってはきていましたがつやつやした健康的な肉体をしていました。
足は短く太かったですが、白く豊かな臀部、ふっくらしたおなかにつづいている品よく恥毛の生えているあそこ、他人から見れば平凡なおばさんだろうけどわたしにはどれだけしてもし足りない最高の彼女役をしてくれました。
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投稿者:無名人 ◆nmJei1N6Go
2013/09/24 22:09:16    (gHR9WnHM)
母がうちへ来て8年が経ちわたしは進学のため都会へ出ました。独り暮らしを始めた訳です。18歳ですから陰茎は成熟し持て余すほど逞しく勃起する毎日で誰もいない気楽さから自慰を繰り返す毎日でした。継母は季節の変わり目ごとに着替えなどを持ってやってきてくれました。そんなある晩遅くなって泊まることになりましたが、独り暮らしですから当然布団も一組しかなく、母も寝間着の用意もなく、シミーズだけの下着姿でひとつ布団にはいりました。夜中に目が覚めると母のシミーズは胸までまくれ上がりズロースが(おばさんパンツですね)丸見え状態でした。太ももの合わさったところが盛り上がり、呼吸とともに腹部が上下しています。わたしはそっとズロースに手を掛け、そっと脱がしにかかりました。その時「あ、な、た、したいの?」といいながら継母は眠ったまま自分でズロースを脱ぎにかかるではありませんか。寝ぼけまなこで脱ぎ終わると[はい、、」と言って足を持ち上げ股を広げるではありませんか。わたしが初めて見る女性が勃起した陰茎を受け入れる部分。継母はいま、どこに居るのか失念して、父とわたしを取り違えているのです。
もちろんわたしは継母としました。わたしがどこに挿れるのか焦っているのを(なにをしてるのよ)とばかり、勃起の絶頂に達した男根をそこにあてがいました。すっぽり継母とつながりました。あとは突き進むのみ、自慰とは比べ物にならない男根がとろけるような気持ちよさにあっという間に射精しましたが、それでもしたりず何度も何度も突進しました。継母は何度も達していたようですが、しばらくして薄暗がりの中でいまどこに居て誰としているのか気付いたようです。しかし黙ってわたしに任せていました。ことの果てた後も一緒に眠りました。わたしは夜明け前の薄明かりの中でさらに継母としました。いつも父と継母がしていたあの体位、渋る継母に手をつかせ豊かな臀部にあてがいました。このときも戸惑うわたしを尻目に男根をつかみ導いてくれました。
父と継母がしていたあの夜の光景を思い浮かべて何度も射精しました。その日どんな感じで継母と別れたのか覚えていません。疲れ眠るわたしをおいてそっと出て行ったようです。継母はわたしの母であり、又わたしの恋人だったと思います。実子の居ない母もわたしを恋人だと思っていたようです。その後も母がくるたび、しました。















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投稿者:無名人 ◆nmJei1N6Go
2013/09/17 21:30:27    (bjepnFJF)
いま考えてみると、父にとっても母親的存在だったんではなかったろうか。わたしには生母以上に母親だったが。男にとって催した時、気持ちよく相手になってくれて気持ちよく射精させてくれるのが一番のような気がする。そういう意味でおおらかな継母は妻としても理想に近かったんじゃなかろうか。無口な父の気持ちを汲み取ってその辺をうまくやっていたような。
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投稿者:無名人 ◆nmJei1N6Go
2013/09/16 22:55:41    (DbIznryD)
父と継母の夜の営みは思春期になりかかっていたわたしにはすごく悩ましかったですね。本当の母ならともかく父が別の異性と性交渉を営むのですから。階下まで降りてゆくと閉め切ってあるふすまの向こうから営みの囁きや、ためいきやすすり泣きが聞こえてきました。
中1になると精通が始まり、小学生の頃、継母にオチンチンを挟んでもらって寝たことを思い出して自慰にふけりました。継母はお風呂から裸で出てきても恥ずかしがらず、風呂上がりのツヤツヤした恥毛をわたしにみせても何とも思っていなかったです。

2
投稿者:ひろすけ
2013/09/16 07:35:11    (pG6vFVEi)
夜の寝床で夢心地の中で、性の目覚め。
幼い頃の甘酸っぱい大人の女性との思い。
投稿者さんは素敵な思い出が有りますね。

その後、継母さんとはどうなったのでしょうか?
投稿者さんの結婚させるまでを、聞かせて欲しいですね。

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