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1
2004/07/18 14:30:51 (3f8WBLx9)
この時期になると、自分の母が悪戯された記憶が甦る。
今のようにレジャープールが無い頃、夏の楽しみは湖での湖水浴であった。
今もある有名な水泳場は当時は大混雑が常識であったが、僕もまた母に
連れられて行くのは真夏の恒例行事であった。
母が深みで待つのを僕が泳ぐ練習として浅いところから必死で泳いでいく、
そんな水泳練習を何回か繰り返していた。
 ただその時は母の前後を潜水して往復する男が二人いた。その潜水で
母の前後を往復する瞬間だけ、母は急に黙り その男たちを視線で追って
その度に母は練習場所を移動したが何度か同じ光景が繰り返された。
 母は何故か逆に浅瀬に待つようにして練習をするように僕にいった。
男は、母に何かを話しかけたが母は特に会話をしなかった。
今から思うと無視したいたんだと思う。そして母は男たちが潜水して
母を横切るときに触っていったのであろう。
 今の女性なら声をだして「痴漢」と叫ぶ人もいるであろうが母は
特になにも言わなかったのが当時の普通の事であったと思う。
 その後母と僕の恒例である、遊泳区間のロープの先50m位の小島に
ゴム製の貸浮き輪で二人が捕まって母の横泳ぎの推進で、泳ぎ渡るという
いつものメインメニューを開始して泳ぎ始めたときにその男たちが
再び泳ぎ近づいてきた。その男たちは「一緒にいこう」と僕らのゴム製の
浮き輪に掴まってきた。 暫くして母は僕に「今日は渡るのをやめよう」
という趣旨のことを言ったあと母は急に「キャッ」「やめてください」
という小さな悲鳴を放った。浮き輪の僕が振り返ると、母の水着の肩紐が、
左肩から落ちて一人の男とその紐を引っ張りあいして防戦していた。
 母の片手は浮き輪にあるせいか、左の肩紐が落ちて乳首が見えるまでは
それほど時間がかからなかった。そのあとは、「やめて」という声が
小さくて僕は大変な事が起きてるという認識はなかったが、母の水着
(当時はセパレーツといったと思う)の上はなく、乳房が見えていた。
 多分男たちは母の乳房を触っていたのであろうがその辺の細かい記憶が
残念ながら甦らない。  記憶にあるのはその先である。
男たちは、母から剥いだ水着の上の部分を手に持っていた事。
母は「返して」と言いながら抱きかかえられるように小島に渡った事。
そして小島に近づいて浅瀬に来たとき、母は浅瀬に倒されて裸にされた事。
 挿入されたかどうかは子供の僕にはわからないが、今でもされてない事を
信じたいと思っている。
 ただ、記憶に鮮明なのが浜に戻る帰りは母が全裸であったこと、男達は
戻るときは居なかったこと、そして母が浜が近づくと僕に浜のゴザにある
バスタオルを持ってこさせて、身体を隠して浜に上がった事を覚えている。
 子供心に母の表情がいつもと全く違っていた。泣いてはいなかったと記憶
するが、とにかく表情が曇っていた。
 いつもは小魚とりをして遊ぶのだが、その日はとにかく母は「帰るよ」
の一辺倒だった。僕もいつもの母と違う何かを感じて素直に帰ったのを
記憶している。 多分は母子供の僕には何事も悟られないようにするため
抵抗を最小限にしたのであろうが、かえって男達の好き放題につながった
と思う。 母の抵抗が小さいのは(特に子供の僕がいるときかも)僕が
中学生のときに見た母が電車で痴漢をされているのを悟られないためか、
無抵抗だったこととダブって甦り、自分の母の男に受ける性的な悪戯に
対する弱さを感じてしまい、親としての物足りなさも感じた。
今となっては少し萌える思い出でもある。


 
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3
投稿者:56ちゃん
2004/07/18 23:14:33    (bMWlcGix)
母上も子としての物足りなさを感じた事でしょうね。
2
投稿者:感想
2004/07/18 18:07:29    (kl1X2xSq)
要するにお前は母親が目の前で凌辱されているのをボケーッと見てた阿呆餓鬼だったという事だ。男達も頭の足りない餓鬼で良かったと思っただろうな。
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